曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

亡くなる方が多かったので…その①

2013年12月10日 | 冠婚葬祭

まさかまさかのうちに、天国へ旅立ってしまったGオさん。

私たちは一旦待機室に。

知らせを聞いて駆けつけた親族も含め、更にもう1家族のほぼ同時刻にGオさんと全く同じ病気

「急性大動脈破裂」で亡くなった方の親類も駆けつけ、控室は、満杯状態。

とりあえず、高齢者を座らせ、私はGオさんが病院を出る時に着せるものを買いに走りました。

オットは、葬儀社との打ち合わせ。

それに、オットもオット弟、ムスコ、それに、駆けつけてきた甥たちもそれぞれ仕事を持つ身なので、それぞれに、緊急連絡に忙しい。

そして、老若男女にとりあえず、朝食をとってもらい(とはいっても、食べるのはマゴたちぐらいで、他は食べる気にもならないですが)、私もこの後いつ食べられるかわからないので、隙間に立ったまま、おにぎりをとりあえず1個。

と、思ったら、看護師さんが、「近い方だけ最後のお別れを」と呼びに来てくれて、Bこさんと、オット、オット弟と私だけ中に入らせてもらいました。

ただただ眠っているような、そんな顔でしたが、触れば冷たく…。

やはり、冷たくなってしまったというのは、悲しみが押し寄せてきます。

Bこさんは、もういいもういい…とつぶやいて、後ずさり。

緊急病棟の狭い通路を、Bこさんを抱えるようにして連れて出ました。

そのあとは、病院の方の準備に1時間ほど掛かり、そして、葬儀社の車が到着するのを待って、外に出ると言う事で、高齢の伯父さん伯母さんたちは会うのをあきらめて、一旦帰宅する事に。

迷路のような病院なので、送りに行ったりしている間に、葬儀社といろいろ話を兄弟でしたらしく、Gオさんは自宅ではなく、直接ホールに運ぶ事になりました。

私とすると、一度家に連れて帰りたかったのですが、後で聞くと、Bこさんが、頑として知らない人に家にはいられたくない(片付いていないところを見られたくない??)と言い張って、葬儀場に運ぶ事になったそうです。

しかも、会場となるところには、遺体がもう5体も搬送されていて、別の家から離れたところに運ばれる事になってしまいました。

いろいろ、思うところはありましたが、兄弟(Gオさんの実子)と妻(Bこさん)がそれがいいというなら、私が口出す事ではないですものね。

と、まだ、この時には、きっと、Bこさんが色々言って、いろんな事を決めていくのだろうと思っていました。

今まで、どんな細かい事でも、例えば、ムスコのところに(自分のマゴ)友達が訊ねてくるなんて時にも色々面倒なことを言うし、口も出すし、出てこなくてもいいのに、親よりも先に顔も口もはさむって人でしたので。

そうそう、Gオさんは、本当に綺麗にお化粧もしてもらい、綺麗な顔で、しかも、眠っていると言う事で、被いをしないで、お運びしましょうと、車まで送ってくれて、丁寧に回送してくれました。それは、とってもうれしかったです。本当に短時間しかいなかった患者なのに、丁寧な丁寧な心のこもった送り方をしていただきました。

さて、この後は、葬儀社との様々な打ち合わせが会場で直接行われることになり、Gオさんの顔を見る間もなく、その、打ち合わせは始まったのでした。

つづく