曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

振り返りたい時と、そうでない時と…

2013年12月30日 | 日記

いつもこの時期は、一年を振り返ってって時なんだけど…。

それって、いい一年だった時なんだなって思います。

自分もそうですが、決していい年だったとは言えない一年。そして、とてもお正月の浮いた感じにはなれない時を過ごす人も、けっして少なくないんだなって思います。

世の中が浮かれれば浮かれるほど、辛くなる時もあるんですよねえ…。

まあ、私はそれほどでもないんですけどね。

やっぱり、Gオさんとは義理の仲ってことなのかな。

実の親の時には、何をしていても、ふいに涙が止まらなくなった…。

いつも、頭の中から離れなかった。

あ、泣きそう。ではなくて、いきなり涙が溢れちゃうんだよね。

やっぱり辛かったのは、もう、助からないって判った時。

それからは、涙は止まらない。

人前で泣いてしまう訳ではないし、表面、明るくしているんだけれど、でも、一人になると涙はあふれて、とめられない…。

やはり、何年たっても忘れられないのは、父親の最後の一週間だった。

最後の一年だった。

その時の気持ちは、肉親にも話す事はなく、お互いに心の中にしまったままだった。

そして、その、少しだけ話したのは、2人の叔父が亡くなり、その葬儀への往復、久しぶりの泊まりの時だった。

でも、未だに、その時の、母の気持ちはきっと、何分の一もわかっていないんじゃないかと思うんだけど。

少しだけ、私のその時の気持ち、いえ、父親の様子を話しただけ。

それぞれが交代で付き添った時の話は、未だに話をしていない。母とも弟とも。

それぞれに、きっと、心の中にしまったままなのかもしれない。

それでも、思い出話で入院中の辛かった、いえ、入院中の父親のこんな事言ったよぐらいの話しですけど、出来たのは、良かったと思っています。

でも、今までは、自分の気持ちを履きだす、聞いてもらえる母親がいましたが、今は、母親には相談できなくなりました。母親に言ってはいけないことが、一杯になりました。

もちろん、今までだって、すべてを言えていたわけではないですが、やはり、どこかで、母親と話をすることで、気持ちが和やらいでいましたが、今まで通りにはいかなくなってしまったのが、もしかしたら、一番辛いことかもしれません。

Gオさんを亡くしたオットや義母も、それから、認知症になってしまった母親を抱えた実家弟夫婦も、それぞれ、いろんな思いを抱えながらの年越しとなりました。

私の友達もそれぞれに、親の介護や病気、その他の様々な困難を抱えたまま年越しをする人がいます。

なかなか、お互いに時間もなくて今年はついに、一件もいわゆる年忘れというか、忘年会というかはないまま、年越しになります。

早く、友達とも、いろんな事を話をしたいです。でも、今はお互い、一日一日を生きていくしかありません。

一日、そして一日。

一歩一歩、自分の道を、やるべきことを、出来ることを。

下り坂だろうが上り坂だろうが、前に進むしかない。

回り道でも、前に進めばいいんだ

でも‼

と、とりあえず、片付けか?ドテ