曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

天寿を全うしました。

2022年11月28日 | 高齢者

オット母Bこさん、天寿を全うしました。

御年96才 ある意味大往生でしょう。

入院前にはいつもとはそれほど変わらすでしたから、あっけなく、突然亡くなってしまったと言う感じがします。

まだ、頭がグルグルでして、落ち着いてはおりません。

ただでさえ滞りがちなブログですが、Bこさん転院後からの葬儀までの騒動も何かのお役に立つかもしれませんので、記事にして行きたいと思いますので、よろしくお願いします。


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その11(無事転院)

2022年11月15日 | 医療

Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その10 の続きです。

オット母95才、もう、この年齢だと高齢よりグレードアップし「超高齢」となるようです。

健康保険だと、前期高齢者後期高齢者で言うと後期高齢者ですが、今に健康保険でも超高齢者なんて区分が出るかもしれないですね。

転倒した後の様子がおかしいと、軽く?診察だけしてもらってと思ったら、要するに拒否とまでは行かないかもしれないですが、うちでは診れない、総合病院へ。それも救急車を呼ぶようにとの指示で、(まだその時は診察だけですぐ帰られてしまうだろうと思っていた)思いがけず入院。

すぐ退院だろうと思ったら、もう治ることのない所謂「超高齢」の為の様々な機能不全?、ほんとに?ってなっているんですよ。原因不明、しいて言うなら「超高齢」まあ、老衰と言う事なんですねえ。

で、施設では無理、医療的ケアがある療養型病院へ入院。となったのですが、オットもBこさんも実はそこへは行きたくない、行かせたくないと思っている。ヨメの私は、その辺往生してくれと思う訳ですが、たぶん2人ともいろんな思いがあっての転院だったかと想像しています。

転院にはオット曰く、ひとりしか付き添えないと言うので(あとでこれはオットのついた嘘だったとわかります。)私は家で待機してました。まあまず呼び出されることはないだろうと思っていたので、自身の体調不良もあり、横になっていました。

思った以上に時間が掛かり心配しましたが、転院先でも何にものスタッフから説明を受けながら、またまた様々な書類にサインをしてきた模様です。Bこさんは相変わらず人使い荒く、ああしろこうしろと口うるさく言っていたとの事ではありましたが、家に帰りたいとか言ってごねる事は無かったようです。

療養型とはいえ、外泊もあるのではないか(例えばお正月など)と思っていたのですが、全く外に出ることは出来ない状態だとの事です。

オットが持ち帰ってきたのは大量の洗濯物と、持って行った服(寝間着類)も箸、コップなども全て返されてきました。着るものも衛生用品も全て向こうにあるものを使用し、備品は病院で買って使用。当然それは料金が掛かりますが、紙おむつやパットも必要なく(転院前は全て買って届けなくてはならなかった)身一つでの入院生活。

もしもTVを見たいときは病室に自分用のTVを持ち込んで接続してもらうことが出来るとの事で、その説明を受けたオットは早速一番小さなTVを買って持ち込みました。と言っても届けただけで接続も向こうでやってくれたそうです。 

契約の一つに「コロナにり患した時」と言うのがあり、コロナに掛かってしまったら感染病棟に移動。面会は勿論、死亡した場合対面も出来ないと言う事を承諾するようにとの契約書がありました。

面会が出来ないのは、コロナにり患していなくてもなんですが。

面会が許可されるのが危篤になった時と言うのは何とも辛いものがありますよね。Bこさんの場合発熱解熱を繰り返していることからコロナだけでなく感染症が一番命取りになる。また誤嚥性肺炎のリスクが高いため、食事がとれなくなった時に経管栄養は出来ない。手術なども出来ないので、胃ろうも出来ないので、食事がとれなくなったら、それから数日で死に至ると書かれていました。また、辻褄の合わないことを言うなど認知症も進行している為意思の疎通が取れない。体を起こすことが出来ず、入浴も出来ないため褥瘡がひどくなっているのでその手当もしていくとありました。

オットが一番堪えたのは「認知症の進行」と言う事だったようです。

オットから様子を聞いたり、書類を見ると、「もうBこさんはここへ帰ってくることは出来ないんだ。」と言う事がひしひしと感じられ、さすがにオットも私も数日落ち込んで過ごしました。

オットの心臓の検査は1週遅らせて実施。

結果は「定期的に検査を継続し経過観察」となり、ちょっと一段落。

私もどうしてもの仕事だけにして、ほかは皆仕事はお断りしていたので、しばらく自由になって時間が出来たはずなのに、ほおけたようになってしばらく過ごしていました。

でもそれも長くは続かなかったのです。この顛末はまた次回に。

しつこくよし子がお送りしました(@^^)/~~~

 


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その10(転院)

2022年11月08日 | 医療

オット母Bこさんが、早朝に転倒してからの騒ぎシリーズのその9の続きです。

思いがけない入院から療養型病院への転院を言い渡されてから2週間。

その日は突然やってきました。

オット(Bこさんの長男)はいわゆる心労ってやつでしょうか、以前から調子の悪かった心臓の方が怪しげになり、オット母Bこさんの入院先と同じ病院で心臓の検査の予約をしていました。検査の前日の朝、「明日の朝8時半に転院できるか?」との電話がかかってきました。

実はオット母にオット弟は、面会できておりません。

もしも面会するなら転院の日の移動の時に会うチャンスがあるのではないかと思っていたのすが、明日の朝と言うのはあまりに急ですし、オットは検査が10時の予約。もしかしたら、検査後そのままカテーテルを入れるかもしてないと言う状況で、朝8時半!

さてどうしようか?

とりあえず、Bこさんの転院を午後に出来ないか交渉。

午後なら義弟も間に合うかもだし、オットも検査に合格すればまあ、すっきりとは行かないですけど、転院に間に合うかもです。

交渉の結果、一応午後1時の転院は可能。但し、12時半には入院病棟で手続きが必要。東京にいる弟(Bこさんの次男)に面会は可能かと確認すると、「県外は面会できません。当日も付き添いはひとりだけです。」との事で、少なくとも義弟の付き添いは出来ない。そして、この機を逃すと、今度いつ転院できるかわからないと言われ、やはり、明日の転院はやむなしとなりました。

さて、今後の事を考えると、やはり実子であるオットが付き添うのがいいだろうと、オットの検査の方の日延べをお願いすることにしました。(まあこちらもなかなか大変だった。担当医が不在だったりして確認がなかなか取れなかった。)オットの命だってももしかしたらBこさんより短い事も考えられる状況でして、究極の選択となりました。

この間何回電話を掛けなくてはならなかったか…。

それにいざ転院となると、オットの気持ちすなわち心臓の方にも悪いわけで、文字通り顔色が悪くなってしまいました。

無事オットの検査日は1週間後に予約を取り直し、Bこさんの転院はやはり朝ではなく午後一番でお願いしました。

さて困ったのが書類の保証人の所でした。オット以外に保証人が2人。1人は私達のムスコ(Bこさんから見ると孫)1人はオット弟に頼むつもりでいましたが、義弟は明日は来れないとの事で、これは内緒の話になりますが、私が代筆して提出することに。

他にも色々書類がありまして、転院後の荷物はそれほどないものの、それなりに準備を慌ただしく行いました。

転院の連絡があってからまあその、当然の事ではありますが、オットの動揺は激しくて、心臓の検査を日延べして大丈夫だったんだろうかと心配になりましたよ。

Bこさんの、現在の様子というか姿を全く見てないので、どんな状況なのか想像がつきません。一番は精神的にどうなのかです。もしかしたら、家に帰りたいと困らせるかも知れないしと、オットも眠れない夜だったと思いますが、私も不安な夜を過ごしました。

午後1番の転院に備えて、午前中から病院に出かけて行ったオットが無事帰って来たのはもう夕方になってからでした。

転院の顛末は次回お知らせします。この後はますます激動?になっていきます。長々になって申し訳ありません。最後までお付き合いいただけるとうれしいよし子がお送りしました~~。(@^^)/~~~