曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

臨終

2013年12月09日 | 冠婚葬祭

Gオさんにとっての、初孫である私の娘は他の孫もですが、とてもGオさんがかわいがってくれました。また、結婚してからも近くに住み、娘は家で産前産後過ごしましたから、ひ孫も、Gオさん、泣けばだっこしてあやしてくれました。幼稚園に入ったひ孫の運動会にも駆けつけ、先日も七五三のお祝いもみんなで祝い、ひ孫もひい爺ちゃんが大好き。

そんな娘とその子供が駆けつけ、下の2歳児は異様な状況におびえて、私にしがみついて顔をあげようとしませんでした。それまでは手も動かせないものの、少しは反応がありました。でも、娘と5歳児の孫が呼びかけると、すべてのモニターがまっすぐなって、手がだらりと、下に落ちました。

きっと、ひ孫が来るのを待っていたんですね。

危篤状態になったのが、6時50分。それから2時間後の8時50分、Gオさんは旅立ちました。

静かに眠っている顔で、文字通りやすらかな顔で、起こせば、「はいよ」と目を覚ましそうな顔でした。

 人は誰でも死を迎える。

年齢的にはいつ、お迎えが来てもおかしくない年ではあります。けれでも、きっと、90歳は軽く、もしかしたら、100歳になっても元気なおじいちゃんとして、闊歩しているのではないかと、全く疑っていない元気な人でした。

直前まで元気に明るく過ごし、孫も皆成人し、ひ孫にも恵まれて、自分の趣味に生きた人ですから、最後の最後まで幸せに過ごしたと言えるでしょう。

大往生。

その言葉がふさわしい生き方、亡くなり方でした。

最後もちゃんと、一通り会う事が出来て誰にも迷惑もかけずに亡くなっていきました。

けれども、それは後で思う事。

最後のその瞬間は、皆だただた信じられない、それだけだったのではないでしょうか。

私も最後までみとる事が出来、そういう意味では幸せです。

いつもなら、熟睡してしまう時間なのに、なぜか、その時は目が覚め、異常に気が付く事が出来ました。夫も息子も、いつもなら、たたき起しても起きてはこないのに、この時は、2人とも私がバタバタしているのに気が付き起きてきました。

そして、危篤になったのが早朝だったため、それぞれが駆けつける事が出来た。もしも、これが違う時間だったら、留守に家の中であるいは、外出先でなくなってしまったかもしれません。

もしも、手術が出来たとしても、一生人工呼吸器をつけたまま生きていくというのは、辛いことだったと思います。

などと、そんなことを想っている間もなく、私たちは控室に移動する事になりました。

そして、私はGオさんの帰り支度の物を買いに、オットは葬儀屋さんに連絡をし、そのあとの事を考えなくてはなりませんでした。

控室に移動するころには、Gオさんの兄弟、従兄弟たちが駆けつけ、もう1組の亡くなった方の家族も駆けつける中、またまた、緊急病棟はざわめいたのです。

つづく。