いせ九条の会

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国立民族学博物館の観点は文化相対主義/山崎孝

2008-03-31 | ご投稿
朝日新聞には読者がテレビ番組を観て抱いた感想を短文にまとめた文章を掲載する「はがき通信」欄があります。私は3月に投稿した文章を掲載していただきました。以下はその文章です。

朝日新聞2008年3月29日付「はがき通信」欄に掲載文 一部分追加

【文化に優劣はない】 23日の「フィールドへ異文化の知をひらく・国立民族学博物館の30年」(教育)は、探検家の関野吉晴さんや民博の研究者が異文化を見る視点の大切さを伝えた。かつては欧州の民族文化は優れており他の民族文化は劣っているとされた。民博では、それぞれの土地には環境に適した文化が育まれ、文化に優劣はないとする文化相対主義で展示と研究がされている。今日、保守派が日本の伝統と文化の尊重が強調されるが、文化相対主義の視点を保っているのか懸念する。(以上)

国立民族学博物館は、大阪万国博の時に大阪に出来ました。そこで世界の民族文化の展示と研究を行なっています。民族とは同じ言葉や文化を持ち生活をする集団です。民族や人類を研究する学問には、民族学と呼ばれる他に社会人類学とか文化人類学があります。民族の個別性と普遍性(違うところと似ている)を研究し、人間とは何かを探る学問と言われています。

研究する重要な手法としてフィールドワークがあります。長期間ある一つの民族の住む場所に滞在して、言語を習得し、現地の人に受容れられて研究をします。

中根千枝著「社会人類学」は、フィールドワークを次のように説明しています。《社会人類学は異なる社会の比較研究であり、第一義的なフィールドとしては、研究者の生まれ育ったとは異なる社会が対象となる。たとえば日本の研究者の場合は、少なくとも主たるフィールドは日本の外に求められる。この点については後にまたふれるが、社会人類学の研究者が民俗学や社会学の場合と大変異なるところである。このために、調査対象である社会の言語をマスターすることが必須の条件となってくる(通訳を介した調査ではよいデータは得られない)。したがってたとえ、その言語を事前に学習していたとしても、現地で自由に使えるようになるのには相当な期間が必要であることはいうまでもない。さらに人々の生活の全体のリズムを知るためには、少なくとも一年のサイク~を必要とするし、はじめての場合は、その社会についての十分な背景をもっていないので、多くのものをミスするわけで、その意味でも再度そのサイクルを繰り返すことが必要となってくる。事実、研究者がそのコミュニティの人々にとって自然な存在となり、データを得られるほど慣れてくるためには、少なくとも半年は必要である。最初は、被調査者たちも調査者になれないので、調査者の存在自体が普通の日常生活のリズムをこわしたりすることもよくあることで、調査者が彼らに自然に受け入れられるようになるまで、本当の調査ははじめられない。また、調査者がコミュニティの個々人、彼らの関係を頭に十分いれていないと、諸現象や事件の性質、物事の軽重を的確に理解することはむつかしく、たとえ観察した現象を正確に記述しても、それはきわめて皮相的で、データとしての価値が低いものといわざるをえない。滞在が長期にわたればわたるほど、同様なデータのクロス・チェックができるし、他の種類のデータとの関連性もわかってき、データが生きてくるのである。

 したがって、社会人類字の調査というのは、社会学でよく行われるようなクエスショネアによるものとか、民俗学でしばしばとられるような物知りといわれる人(この種の人はどの社会にもいる)の話をきく、といった方法は、主要部分ではない。むしろ、そうしたアプローチを避けるのである。なぜならば、対象社会の生活全体を把握することによって、特定問題について深い考察をすることを目的とするものであるから、単なる直接質問はできるだけ避けて、具体的な事象をさまざまな角度から考察することによって、調査者の最も知りたいと思うことに迫るという方法が理想的なのである。つまり、相手がかまえないで自然に表出するプロセスをとおすということが、よりよいデータを得る方法なのである。》

民族学は、19世紀は未開の文化は文明を持つ文化に進化するという社会進化論が唱えられ、欧州の民族文化は優れており、他の民族文化は劣っているとされました。この立場は植民地主義にとっては都合の良いものでした。この観点の民族学が明治時代に日本に入ってきたと言われます。

戦後になり、社会進化論に意義を唱えた米国のフランツ・ボアズの、それぞれの土地には環境に適した文化が育まれ、自然と共に生きる知恵がある。民族文化に優劣はないとする文化相対主義が日本に入ってきて、現在の民族学博物館はこの立場で展示と研究をしています。

文化相対主義は各民族を対象にした細心で綿密なフィールドワークで生み出されてきた研究成果です。ですから殊更に自国の文化を誇ることもないものです。それに日本の文化は日本独自で創造したものではなく、その骨格部分は中国や朝鮮、西洋の文化の影響を受けて育ってきています。古来から日本人が他国の文化を受容れて自分流に消化してきたことこそ深く認識すべきことだと思います。