いせ九条の会

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命を大切にすることを出発点にしている日本国憲法/山崎孝

2007-07-22 | ご投稿
新聞に投稿した文章が、運良く採用されましたので、ブログに投稿します。

2007年7月22日付朝日新聞「声」欄掲載文【憲法を生かし いのちを守ろう】

 本紙「ポリティカ日本」(16日)は、がんで余命半年と宣告された現職参院議員が「私は国会議員の仕事は人々のいのちを守ることと思った」と語る演説を紹介し、「命は大切にされているか」という観点で、政治や社会を論じていた。その結果、参院選の争点の奥底にあるほんとの争点は、「『いのちを大切にすること』から出発しているかどうかということなんだなと私も思った」と書いていた。同感だ。

 命を大切にすることを出発点にしている、と言えるのが日本国憲法だ。日中戦争、太平洋戦争を起こした日本は、憲法前文で政府の行為により再び戦争の惨禍を起こさないと決意し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持すると述べる。第9条では国家の手で人命を奪わない考えの戦争放棄の規定をした。

命を大切にすることと密接に結びついている個人の尊重を第13条でうたい、第25条では健康で文化的な最低限度の生活の保障を政府に課している。

政府が危険なイラクに自衛隊を派遣している現実やとてもひどい格差社会を見れば、憲法の精神を生かす政治こそが、国民の命と、生活を守ることになる。(以上)

次に紹介します文章は、同日の「声」欄に掲載されていて、読むと涙がにじんでくる内容です。国家の政策で命と人生を奪われた人の悲しみと、軍国主義が奪えない人間の本来の心が伝わります。日本とアジアの国、そして米英豪の人たちに大きな悲しみを齎した歴史の教訓の上に、日本国憲法の決意と理念があることを改めて感じます。

【伯父が残した歌を小冊子に】画家 金井順子(愛知県春日井市57歳)

 伯父、吉本正三は昭和15年、代用教員をしていた岐阜県土岐市から旧満州(中国東北部)にあった火薬製造会社に就職し、そのまま現地召集されました。戦死は免れたのですが、昭和20年11月10日、ニューギニアで引き揚げ船を待つ間に病死しました。30歳でした。

短歌誌の同人で、戦地からも投稿したそうです。手元に残る120余りの歌を弟である父たちが、手作りの小冊子にまとめました。

ふるさとの方と思える秋空をユンカース一風切りてゆく

 淋しとも生きねばならぬ大陸の無辺の空に浮けるしら雲

 即時出頭の命令電話電撃の五体貫く思いしにけり

 み召し受けて出で征くわれに今の今会いたしと思う父ひとりあり

以下は、戦友が生家に届けてくださった遺品の手帳にあった歌です。

 待てばとて今日も甲斐なく暮るる日の船来ぬ海の波風の音

ゴムの木の枝を削れる一片の墓標の下に眠るわが戦友

仏桑華赤き花咲く戦線に吾生きてあり夢ならぬなり

吹く風にただよう雲にふるさとの秋ふかからむ山川をおもう

遺影だけの伯父ですが、残した歌を少しでも多くの人たちに知っていただきたくて、ペンをとりました。