いせ九条の会

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歌で見る日本と朝鮮半島の関係/山崎孝

2007-07-06 | ご投稿
「いせ9条の会」は7月8日、13時30分から、公開学習会を開きます。テーマは日本と朝鮮半島との関係を見つめようとするものです。講師は立命館大学コリア研究センター専任研究員 庵逧由香さんです。そのテーマと関連して日本と朝鮮半島の関係を歌謡という視点で見てみました。

【歌で見る日本と朝鮮半島の関係】                            

胡弓奏者 許可は哀愁の音色の楽器で哀愁のメロディー「五木の子守歌」を弾いています。小学校の音楽教師をしていたある女性は、エッセイの中で「五木の子守歌」は、実は豊臣秀吉の朝鮮侵略時に朝鮮半島から連行されてきた陶工たちが歌っていた歌だと記します。中学生用の歌集「うたのいずみ」にその旨が記されていたという。

「おどまかんじんかんじん」と歌われる「かんじん」は「韓人」だったのでした。故郷を離れて五木に子守にきた少女たちは、古い朝鮮民謡に共感して自分たちの境遇と心を表現しました。

韓国のバイオリン奏者 丁讃宇のアルバムに入っている「私の心」の曲の説明に、作曲家 金東振は1944年当時、満洲新京で金東鳴の詩「わが心は湖水、君や櫓を漕がん…」にメロディーをつけたが未完成の状態のものを、声楽家の友人がこっそりと朝鮮に持ち帰ったことで、本人が知らないままに朝鮮全土に広がったと記します。

このアルバムには、私の住んでいた故郷は 花咲く山里/梅の花、あんずの花、山つつじ/色とりどりの花が咲き乱れる 美しい村/その中で遊んでいた頃がなつかしい、と歌われる「故郷の春」も入っています。

シンガーソングライター 沢知恵は1998年、金東鳴の詩を沢知恵の祖父 金素雲が邦訳した「わたしのこころは湖水です どうぞ漕いでお出でなさい…」の詩に透明感のある優しいメロディーを付けた曲「こころ」を、韓国光州市で初めて日本語で歌いました。そして、日本の歌「故郷」と洪蘭坡作曲「故郷の春」も歌い、韓国の人たちも共感して大合唱になりました。人の感性は同じです。音楽に共感し歴史の悲劇を乗り越えて、異国の人々と心を結びます。

韓国政府は1945年8月15日以降は、日本語歌詞の歌は禁じていました。日本語の歌を禁止した背景に朝鮮民謡「アリラン」が「私を捨てて行く郎君(きみ)は/一里も往かずに足が痛む」と歌われて、恋人を置いて旅立つ歌だったのが、「故郷(くに)を捨てて行く民は/一里も往かずに足が痛む」に変ったといわれる日韓併合時代があったからです。

【韓国の歌を日本の歌と思い込み】

FMfan2001 №12に加藤登紀子さんが韓国の歌、哀愁あふれる曲「宛ての無い手紙」をリリースしたとの紹介がありました。「韓国」と「哀愁」のキイワードで私が思い出したことがあります。

私は1957年、港で働いていました。菅原都々子さんが歌う「涙の連絡船」が観光船からよく流れていました。1983年に「釜山港へ帰れ」という韓国ベストヒット集のレコードを買うまでは、この曲を日本の歌謡曲だと思っていました。韓国の「連絡船の歌」が原曲でした。

日本も連絡船を題材にした歌謡曲はありますが、釜山港へ帰れ、涙の連絡船の2曲とも関釜連絡船が題材です。しかし、日本と韓国の人々の別れを生む社会の状況は、1945年の日本の敗戦(朝鮮半島の人は「解放の日」と捉えています)までは大きく異なっていました。朝鮮半島は日韓併合のもとでの日本への強制連行、生きる道を求めての渡航と過酷で厳しいものがありました。渡航の背景には日本人の高利貸は1ヶ月1割から2割の高利で朝鮮人に貸して、期限が来るとわざと外出して受け取らずにおいて、これを返済しなかったとして貸した朝鮮人から土地家屋を奪ったことをキリスト教の伝道で朝鮮に渡った二人の日本人牧師は記しています。また、農業の仕事にかかわった柳沢七郎という人は「私の心に最も深い衝撃を与えたものは、一つは併合直後の土地調査による農民の土地の収奪」だったと記しています。(高崎宗司著「植民地朝鮮の日本人」より)

「ドキュメント 朝鮮人」と言う本には次のような歌が記載されています。

何を怨もか 国さえ亡ぶ

家の亡ぶのに 不思議ない

運ぶばかりで 帰しちゃくれぬ

連絡船は 地獄船

日本でも知られる朝鮮の歌謡、アリラン、トラジ、恨二百年などは民俗音楽の系譜で日本の歌謡とは明らかに違いますが、日本でもよく知られる、釜山港へ帰れ、涙の連絡船、カスバの女、カスマ・プゲなどは、日本歌謡の雰囲気を感じます。それはなぜなのか。姜信子氏は「日韓音楽ノート」の中で閔庚燦氏の言葉を引用して、「日本は、韓国での学校教育を通じ、日本人が作曲した日本唱歌と日本から輸入した日本化された唱歌だけを普及させた。」と書いています。

この日本への同化教育が根本にあり、韓国の歌謡曲に影響を与え、私が韓国の歌を日本の歌と思ったことは、それほど不思議な思い込みでなかったことになります。いずれにしても連絡船の歌はせつないものを感じます。

【日韓併合のもとでも未来を信じた歌】

日本は1910年韓国併合を行い、日本同化政策を取っていきます。1919年の「3・15独立運動」の後に作られた歌で「鳳仙花」という歌があります。歌の雰囲気は日本歌謡に似ていますが。しかし、

夏の風が吹けば そっと咲く花/垣根の下の 赤い鳳仙花/かわいい娘たち つめを染めたよ

秋の風が吹いて 花は枯れても/タネをつけた 赤い鳳仙花/遠くの大地へ はじけていくよ

冬の風が吹いて お前が消えても/平和を夢見る 赤い鳳仙花/春の風吹けば いつか目を出すよ(金亨俊作詞、笠木透訳詞)と、うたわれ、哀愁の旋律の中にも未来を信じる心が秘められています。鳳仙花の種子は四方に飛び散り、冬に耐えて花を咲かす花なのです。

【南北対立時代に平和と統一を願った歌「イムジン河」】(作詞 朴世永 訳詩 松山猛)

イムジン河 水清く とうとうと流る/水鳥 自由に むらがり とびかうよ/わが祖国 南の地 想いはははるか/イムジン河 水清く とうとうと流れる (二番省略)

イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ/河よ 想いを 伝えておくれ/ふるさとを いつまでも 忘れはしない/イムジン河 水清く とうとうと流れる

イムジン河は南北軍事境界線の間に流れる河です。この河を越えて2007年5月17日、一往復ですが、京義線では南から、東海線では北から出発した列車が南北の乗客を乗せて56年ぶりに軍事境界線を越えて運行されました。鉄道運行は南北の平和定着と信頼構築の象徴であると言えます。2000年6月の南北首脳会談の目標、南北の平和的統一のために民族経済を発展させ、あらゆる分野での協力と交流を活発化させ、双方の信頼を固めるという合意の道を歩んでいます。

 9日からは金剛山で第15回離散家族再会事業が行なわれ、1968年に北朝鮮に拉致されたとされる62歳の男性も韓国から訪れた肉親と再会を果たしました。

与党ウリ党のキム・ヒョッキュ氏ら議員5名は5月2目から3日間北朝鮮を訪問し、3日には最高人民会議の金永南常任委員長と会談、6日に党本部で記者会見し、臨津江(イムジン河)・漢江・礼成江河口の共同利用や海州周辺工業団地造成、鉱物資源開発などの事業を話し合ったと説明した(『韓国日報』2007年5月7日付の情報)。

米国の朝鮮問題専門家46名が共同で作成した「朝鮮半島および東北アジアの平和と安全のためのフレームワーク」と題した報告書が発表されました。6者協議の米国の柔軟な対応と考え合わせれば、米国は北朝鮮の政権を力で封じ込める、武力で打倒する方策を変えたことはゆるぎないものと思われます。

北朝鮮の核施設を調査したIAEAは6者協議の2月の6者協議で合意した「初期段階措置」の核施設稼働停止や封印の検証作業に北朝鮮が協力したことを報告しています。次の段階、核施設の無能力化へ進める段階に進めると思います。

6者協議の進展は、国際紛争の解決は、武力による威嚇や行使で解決してはならないとした日本国憲法の理念に沿ったものだと言えます。憲法を守り生かす運動にとっては大きな励ましになると思います。