一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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今日のことば(46) ―― 杉田玄白

2005-12-05 01:15:28 | Quotation
▲杉田玄白肖像
(早稲田大学図書館蔵)

「かのターヘル・アナトミアの書にうち向いしに、誠に艫舵(ろかじ)なき船の大海に乗り出だせしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、ただあきれにあきれて居たるまでなり。」

(『蘭学事始』)

杉田玄白(すぎた・げんぱく、1733 - 1817)
蘭法医。若狭小浜藩医甫仙の三男。幕府奥医師西玄哲に蘭法外科を学ぶ。1765(明和2)年藩奥医師となり、同年3月、前野良沢・中川淳庵などと千住小塚原で刑屍体の臓器観察を行い、クルムスの『ターヘル・アナトミア』(ドイツ人 J. Kulmus"Anatomische Tabelle" の蘭訳書)の正確なことを知る。同志とその書の翻訳を行い、1774(安永3)年、『解体新書』を刊行。
上記引用は、玄白の回顧録『蘭学事始』から、翻訳を開始した当初の状態を述べたものとして知られる。
翻訳にあたっては、実際の中心者は前野良沢で、玄白はいわばプロデューサー役である、との説が有力。

さて、西洋の科学技術の導入には、次のような類型があるといわれている。

1.拒絶型(現状維持論)
「西洋技術の摂取が技術にとどまらずさまざまな分野を欧化するのを恐れて、新たな導入を認めない」(安達裕之『異様の船―洋式船導入と鎖国体制』)
とするもの。
保守的・反動的と思われがちであるが、きわめてまっとうな認識であり立場である。
前回見たように、技術の導入は、それに伴う思想の受容を必要とする。表面の技術だけを導入するだけで、思想に変化を起こさせまいとする「和魂洋才」などは、実際にはありえない。
したがって、思想の変化を拒否するなら、技術を導入する必要なし、とするのが当然なのである。

2.折衷型(選択的摂取論)
「風俗・言語など本邦の制度の根幹にかかわる分野の欧化を防いで、有用の西欧技術のみを摂取せよ」(安達、前掲書)
とする。
これは、上記「和魂洋才」型の摂取といってもいい。
明治維新前後(また、それ以降も)の摂取は、ことごとくこれであろう。
実務的な態度と思われようが、実は危うい部分が多々ある。本来なら取り入れるべき基本的な思想を抜きにしているため、本質的な理解が不十分であったり、改良・発展に限界があったりするからである。
つまりは、思想も含めた形での「システムとして科学技術」という理解が不十分なのである。

3.全面輸入型(全面的摂取論)
「有用であれば何でも摂取する」(安達、前掲書)
というもの。
「有用であれば」という限界がついているところは、2.の類型とほぼ同様。あえて、分類する必要もないくらいであるが、具体的な導入事例を分類する場合に必要になる概念。
多くは、鉄道や通信のような、新規産業の場合に見られた。
ここでは、システムとして導入せざるを得なかったために、さまざまな変化が必然的に起った。
端的な例としては、鉄道の導入による「時間観念」の変化である。
ほぼ2時間(「刻」。あるいは1時間「半時」、30分「四半時」)という時間単位が、急に時分単位とならざるをえないのである。

このような類型から見ると、杉田玄白における西洋医学の導入は、どうであったのだろうか。

参考資料 杉田玄白『蘭学事始』(講談社)
     安達裕之『異様の船―洋式船導入と鎖国体制』(平凡社)
     海野福寿編『技術の社会史3』(有斐閣)