一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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今日のことば(45) ―― 高橋由一

2005-12-04 00:00:11 | Quotation
▲『丁髷姿の自画像』

「絵事(かいじ)ハ精神ノ為(な)ス業ナリ、理屈ヲ以テ精神ノ汚濁ヲ除去シ、始テ真正ノ画学ヲ勉ムベシ」
(『由一履歴』)

高橋由一(たかはし・ゆいち、1828 - 94)
洋画家。狩野派に絵画を学ぶが、嘉永年間(1848 - 54) 西洋石版画に触れ西洋画を志す。1862(文久2)年、蕃書調所画学局に入局、川上冬崖に指導を受ける。1873(明治6)年画塾天絵楼を開き、後進の指導に当たる。1881(明治14)年と1884(明治17)年、県令三島通庸の委嘱で山形・栃木などの新道を写生した。近代日本最初の洋画家として知られる。

日本画の世界から見れば、西洋画は理屈の絵画だった。
遠近法が、その一番端的な例であろう。
たとえ見よう見まねで北斎が遠近法的な絵画を描いたとしても、そこには理屈の上での嘘がある。つまりは、理屈を知らないから、パースペクティヴに狂いが生じている(それを面白いと見ることとは、まったく別問題)。

そのような見方からすれば、従来の狩野派の絵画などは、まったく「精神の汚濁」そのものとしか映らなかっただろう。そこにあるのは、旧態依然たる絵手本の模写でしかない。

引用は、高橋由一、洋書調所(蕃書調所が改称)在籍当時のことば。
由一は調所画学局のあり方に不満を抱き、改善を盛んに主張した。しかし、かえって周囲からは「憎マレ者」「大邪魔者」との定評を受けてしまう。

ある日、一人の上司が由一に意見して、
「君ハ終始理屈ニ富メリ(理屈が多い)、其思想好カラザルニアラズ(考え方が間違っているわけではない)、然シナガラ理屈ヲ吐ク寸隙ニモ(理屈を言う暇があったら)写法ヲ研究スルガ得益ナラン(写生の一つでもして技量の向上に努めたらどうだ」
と言った。
それに対して述べたのが、上記のことばなのである。

由一は、
「西洋絵画の理論を知らなければ、技量の向上すらありえない。なぜなら、西洋絵画とは、そのような理屈/理論の上に成り立った絵画だからだ」
と言いたかったに違いない。

背後にある理論を抜きに、表面の技術のみを学んできたのが、日本の近代化である。
しかし、根源のところを押さえていた高橋由一のような人物がいたということを、われわれは忘れてはならないであろう。

参考資料 芳賀徹『絵画の領分』(朝日新聞社)