一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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今日のことば(48) ―― 澁澤龍彦

2005-12-07 02:25:05 | Quotation
「もしかしたら、ノスタルジアこそ、あらゆる藝術の源泉なのである。もしかしたら、あらゆる藝術が過去を向いているのである。」
(澁澤龍彦『記憶の遠近法』)

澁澤龍彦(しぶさわ・たつひこ、1928 - 87)
評論家、仏文学者、小説家。明治時代の実業家渋沢栄一の一族(栄一の従兄弟の系統)に生まれる。マルキ・ド・サドを含め、ヨーロッパの異端の研究・紹介を進める。その過程で、訳書『悪徳の栄え』をめぐり、1960(昭和35)年に〈サド裁判〉が起こった。小説作品には『高丘親王航海記』(遺作)などがある。

ここでの「ノスタルジア」とは、単なるレトロ・スペクティヴな指向を言っているのではないだろう。
むしろ、エミール・シュタイガーの言う「叙情の本質は、思い出("Erinneurung" =過去の記憶)に似ている」との指摘に近いであろう。

われわれが藝術に感動するのは、その作品が、どうやらそのような「源泉」(「本質」)に触れてしまうからのようである。
それを、小生は「無意識に限りなく近い場所、過去の記憶と感情が詰まっている場所」と呼んで、説明してみたい気持があるのだが……( F. シュミット『交響曲第4番』に即しての説明を、「一風斎の趣味的生活/もっと音楽を!」で展開する予定)。

――天竺にはね、わたしたちの見たこともないような鳥けものが野山をはね回り、めずらしい草木や花が庭をいろどっているのよ。そして空には天人が飛んでいるのよ。そればかりではないわ。天竺では、なにもかもがわたしたちの世界とは反対なの。私たちの昼は天竺の夜。わたしたちの夏は天竺の冬。
(澁澤龍彦『高丘親王航海記』より)

参考資料 澁澤龍彦『高丘親王航海記』(文藝春秋)