一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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今日のことば(44) ―― 福沢諭吉

2005-12-03 00:00:48 | Quotation
「法を設けて人民を保護するはもと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と云ふべからず。政府若し人民に対し其保護を以て御恩とせば、百姓町人は政府に対し年貢運上を以て御恩と云はん」
(『学問のすゝめ』)

福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち、1834 - 1901)
啓蒙思想家、教育者、ジャーナリスト。
大坂の緒方洪庵の適塾で蘭学を学ぶ。1860(万延1)年咸臨丸で渡米、帰国後幕府の外国方に雇われ、外交文書の翻訳にあたる(後、外国奉行翻訳方に出仕)。1862(文久2)年には、幕府外交使節に同行、渡欧する。1866(慶応4)年、自らの率いる塾を芝新銭座に移し、慶応義塾と名づける(三田に移転したのは、1870(明治4)年)。
『学問のすゝめ』初篇は、1871(明治5)刊行。偽版を含めて20万部以上を売るという、明治初期の大ベストセラーとなった。

発生時の武士にとって「御恩」と「奉公」というのは、双務的なものだったが、近世以来、「御恩」は主君から臣下に対する恩恵のように捉えられてしまった。
つまりは、与えられなくても当然、与えられれば感謝すべきものだったのである。
その観念が、明治初期にも残っていたため、政府による人民の保護は、恩恵的なものと、政府は無論のこと、当の人民にも思われていた。

そのような観念が間違ったものであることを述べたのが、上記引用。
ちなみに「年貢運上」とは、広く「税金」と考えればよいであろう。

さて、現在、「グローバル化」という美名の元に、リバタリアニズム*(Libertarianism)が跳梁跋扈しようとしている。

一方、自立した市民の合意による「公」の構築には成功したとはとても言えないが現状である。「国家」の名による「公」意識ではなく、市民の名による「公」意識が薄い状態で、リバタリアニズムがはびこった場合に何が起きるかは自明のことである。

老人医療費の負担増を皮切りにした、弱者切り捨ては既に始まっている。

*リバタリアニズム:「自由至上主義」、「新自由主義」とも。個人に他の自由を侵さない限りにおいて最大限の自由を認めるべきであるとする、自由に最大の価値を置く個人主義的な立場。公正に価値を置くリベラリズム、慣習、共同体に価値を置く共同体主義と対立する。
以上は、政治思想、政治哲学上の定義であるが、経済的には、
「市場での競争のメリットを生かすために、政府は民間経済活動への介入を小さくし、従って政府の規模は小さくなる。いわば経済効率を高めるために、自由競争をどこまでも優先する立場である。結果として勝者と敗者が明確になるので、国民の所得配分が不平等化する可能性を容認する。福祉を重視すると人々は怠惰になるとして、福祉政策をミニマムにする立場」(橘木俊詔 たちばなき・としあき、朝日新聞2005年11月2日夕刊より)
である。


参考資料 福沢諭吉『学問のすゝめ』(岩波書店)