一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

『物は言いよう』を読む。

2005-12-13 07:00:06 | Book Review
斎藤美奈子の「藝風」の1つに「韜晦」というものがある。
本書「あとがき」に、
「この本は、評論でもエッセイでもなく実用書である」
とあるのが、その1例。

実のところ、本書は、フェミニズムという塹壕からの一発必中の射撃に他ならない。
ターゲットは政治家(森喜朗、太田誠一、福田康夫、西村眞悟、石原慎太郎など)から、文化人(渡辺淳一、福田和也、林真理子など)、マスコミ各紙誌(『産經新聞』『朝日新聞』『中央公論』など)まで、多種多様(それだけ、「フェミ・コード」*に引っかかる言辞が、日本の社会に蔓延しているという証拠か)。
*フェミ・コード:エフ・シー(FC)。「言動がセクハラや性差別にならないかどうかを検討するための基準。公の場ではそれに相応しいマナー(作法)を身につけよう、との趣旨で考案された」

戦術的には、「フェミ・コード」という武器で、社会事象を撃つというところ。
もちろん、その前面には、
「性差別やセクシュアル・ハラスメントに怒っている人は多数いるにもかかわらず、これについていったり書いたりすることは、いまやタブーに近い。『このヒステリーババア』という石礫(いしつぶて)がどこからともなく飛んでくるからだ」
という現実がある。

そのためには、「韜晦」という藝も必要である、というわけだ。
ましてや、
「頼みの綱のフェミニズムはといえば、学問的な精度を上げていく一方で、一般の生活者に届く言葉をかなり以前から失っている」
現状である。
であるから、本書の〈藝=戦術〉は、「その間にできた空白地帯にも、きっと届く言葉がある」との著者の信念から選び取られたものであろう。

その〈藝=戦術〉が成功しているかどうかは、読者各自がご判断いただきたい。
ただ、小生には、目の届かない所が結構あったんだな、という感想を得たことを述べておく(特に「第5章『女だからこそ』問題」――「女性だからこそ、書けた作品である」などの表現に潜む差別意識)。

斎藤美奈子
『物は言いよう』
平凡社
定価:本体1600円(税別)
ISBN4582832415