一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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今日のことば(53) ―トリン・T・ミンハ

2005-12-12 07:54:22 | Quotation
「普遍的知識を打ち立てようとする近代のプロジェクトは、1つのもの(光)のために別のもの(闇)を排除することで、文明/未開、進歩/退歩、改革/停滞という自己満足的な二分法に埋没してしまった。しかし、合理性と解放を推進する植民地主義的な考え方が衰退し始めるにつれ、明らかになったことがある。それは、近代のプロジェクトをその発生源においてもう一度見直さなければならないということだ」
(『女性・ネイティヴ・他者』)

トリン・T・ミンハ (Trinh T. Minh-ha, 1952 - )
現代アメリカの作家、作曲家、映像作家。ヴィエト・ナム生れで、1970年にアメリカに移住。イリノイ大学で作曲と民族音楽学、そしてフランス文学を学ぶ。現在は、カリフォルニア大学バークレー校教授。映像作品に『ルアッサンブラージュ』『姓はヴェト,名はナム』『核心を撃て』、ポストコロニアリズム関係の論文も多数ある。

上記の引用は、そのポストコロニアリズムに基づく、近代的思考の「見直し」に関する言説。

近代的思考は、19世紀の「社会進化論」によって、その科学的な〈まなざし〉を非西欧社会にまで広げていった。つまり、原始―未開―文明という図式である(コロニアリズムの原形を1492年のコロンブスの「アメリカ発見」の置く考え方もあるが、社会科学としての「原始社会」への〈まなざし〉は、明らかに19世紀に起源をもつ)。
また、〈近代家族〉*というモデルも同様。

*近代家族:ヘテロセクシュアリティを基礎とし、夫婦愛・親子愛によって結ばれ、子育てに重点をおく核家族であり、さらにまた、「男性は外で働き、女性は家庭を守る」という固定的な性別分業を組み込んできた。


以上のような19世紀に始まる諸制度は、実質的な崩壊を見せているのだが、それに代わる理論的支柱(モデル)を、いまだに見出せないでいる(代替する枠組みとしては、構造主義的人類学や、ポストコロニアリズム、ジェンダー論等、さまざまな提示がなされてきたのであるが、現実に定着するには到っていない)。

それどころか、旧態依然たるゼノフォビア的言説(「嫌韓流」)や疑似科学的な言説(「男脳と女脳」)が、まかり通っているのが現状。

「小さいけれど強い政府」というのは、どうやらこのような土壌の上に成り立つようなのだ。
「改革」と称するものの実態が何であるのかを見極める上からも、近代的思考の「見直し」が必要なのではなかろうか。

参考資料 トリン・T・ミンハ著、竹村和子訳『女性・ネイティヴ・他者』(岩波書店)
     斎藤美奈子『物は言いよう』(平凡社)