一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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今日のことば(59) ― 廣瀬淡窓

2005-12-20 17:41:51 | Quotation
「我邦(くに)の人は書を読むこと多からず。故に見識なくして、人の真似をすることを専一と心掛けるなり。是を名づけて、矮人観場(わいじんかんじょう)といふ。」
(『淡窓詩話』)

廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう、1782 - 1856)
江戸時代後期の儒学者、教育者、漢詩人。
筑前福岡の亀井南冥・昭陽父子の塾に学ぶ。1805(文化2)年、故郷の豊後日田に私塾(後に「咸宜園(かんぎえん)として発展・拡大)を開く。門人は3000人にも及び、能力別等級・試験による昇級などの教育法により、高野長英・大村益次郎ら多くの英才を育てた。
漢詩人としての著作に『遠思楼詩鈔』『淡窓詩話』がある。

当時の用語で「書」といえば儒学あるいは漢詩文の書物。もちろん、俗文学と称された「読本」「黄表紙」などは含まれていない。
それはともかくとして、現在でも、小説やノン・フィクション、週刊誌などに目を通す人は多くとも、専門書にまで手を出す人は、さほど多いとは思われない(出版界の不景気は、まだまだ続くであろう)。
それが原因であるとは言わないが、「人の真似をすること専一」なことは間違いない、当時からの日本人の通弊。

「現実主義」とは標榜していても、それが「現実追認」であるなら、「人の真似をすること」とさほどの変りはない。大勢に従う、という意味では同一と言っても良い。
また、「同調圧力」が強いのも、別に先の戦争中だけのことではない。

その意味からすれば、「矮人観場」は、江戸時代から変っていないのではないか。

参考資料 『江戸詩人選集9 広瀬淡窓/広瀬旭荘』(岩波書店)

天皇制における「創られた伝統」

2005-12-20 08:54:09 | Opinion
「創られた伝統」とは、E. ホブズボウムの述べた概念(本ブログ11月21日「今日のことば(35)」参照)で、著書『創られた伝統』では、スコットランドのタータンチェックやバグパイプ、英国王室の儀礼などのイギリスの例を挙げ、それらが近代になって人工的に造り出されたことを明らかにしている(「創られた伝統」が、近代国民国家=民族国家統合のためのものであったことは、今はひとまず横へ置く)。

それでは彼は「伝統」否定論者かと言えば、そうではなく、同時に、伝統社会における慣習(custom) を「本物の伝統(genuine tradition) 」または「生きた伝統」と呼び、その強靭さと融通性についても述べている。

つまるところ、「創られた伝統」と「生きた伝統」とを、明確にすることが大前提として必要なのである。

最近読んだ網野善彦の『日本論の視座ー列島の社会と国家』に、昭和天皇の葬儀の例を挙げて、この「創られた伝統」と同様の趣旨を述べてあったので、以下にそれを引く。
昭和天皇の代替りに当って、天皇の葬儀が世の注目を浴び、種々の論議のすえ、鳥居を建てた神式、巨大な墳丘への土葬などが『伝統的』方式とされ、これが結局、実行に移されたことは、その適例であろう。(中略)
この『前例』は明治天皇以前に遡るものではなく、聖武以来、孝明まで一貫して仏式、持統から江戸初期まで二、三の例外を除いて火葬、後光明以後、表向きは火葬で実際は土葬、葬所は仏式採用後は適当な寺院の近傍、後光厳以後、後花園のみを例外として葬儀はすべて泉涌寺、墳丘をつくらぬ薄葬も持統以来のことで、淳和にいたっては火葬に付した遺骨を粉砕して散布させたなど、天皇の葬儀に関わる歴史的事実は、多くの人びとに知られることのないまま、『伝統的』という言葉がまかり通ったのである。
(「序章 〈日本〉という国号」)

現在、さまざまな場で論議が行われている「皇位継承問題」(結局は「女性天皇」問題)においても、明治になってから「創られた伝統」を、「生きた伝統」のごとく取扱っていないか、充分に注意する必要があるだろう。

参考資料 網野善彦『日本論の視座ー列島の社会と国家』(小学館)