私がアバクロンビー&フィッチを知ったのは1985年ごろだ。
イトキン?時代に2年ほどイトキンのアメリカビジネスを担当していた頃だったと記憶している。
今ではファッショナブルで刺激的なアメリカンカジュアルウエアーの代表格的なイメージだ。
当時は、フィッシングやアウトドアーのオーソドックスで高質で男性マニア向けのアウトドアー用品の店というイメージだった。
郊外のメガSCに行くと大きな売場でアウトドアー商品が展開されているアバクロの店を見て、アメリカのライフスタイルの広さと奥行きと豊かさに圧倒された事を思い出す。
1980年頃からから1900年後半にかけて、全米に郊外型SCが林立しだした頃で
リミテッド、Gap、エスプリなどの現在のSPAの業態が拡大していた。
郊外型のSCでの有力企業同士の覇権争いの状況は、少し前の日本のメガSCのスペース確保の状況と似通っている。
競ってSC向けのSPAブランドの確保に有力SPA企業は走った。
リミテッドの「ビクトリアシークレット」、Gapの「バナナリパグリック」などM&Aが話題をさらっていた。
リミテットがアバクロをM&Aしたのが1988年だったと記憶している。
『オーソドックスなアウトドアー用品のアバクロ』がマイケル・ジェフリーがCEOとして入社してから大きく変わったと推測している。
当時のアバクロとは大きく変わって、オシャレで刺激的なカジュアルウエアーとなって現在に至っている。
私は、イトキンを退社して、その後の情報は、アバクロ社がリミテット社から離脱したと聞く程度だった。
多分、その頃からファンドの資金を使った拡大が始まったと想像する。
リーマンショックも出店の延期も影響したのかも知れない。
その後のアバクロの商品内容の大きな変貌振りは、マスメディアや一部のマニアから聞いて知ってはいるが、寧ろ、『アバクロ風』という業界連中の商談話から想像することが多かった。
コピーとは言わないまでも『アバクロ』に似た商品が売場に溢れていた。
今回のアバクロの日本進出でそれが加速するのだろうか?
オープンイベント?の『冬の寒いのに、シャツの前を空けて肌を出したスタッフと記念撮影をしている若い女性客のちょっと恥じらいながら、笑みを浮かべている顔』が印象的だった。
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繊維業界の知人から言われ買った。
「とうとう化けの皮が剥がれた」と思った。
私も、この人と仕事をして金をもらえなかった。
この人からすると、貸す方が悪いとなる。
まあ、この人のことだからまた違う人たちを騙し、
生き残るだろう。
でも、もうこの人はいい。
私の人生で、一番 会いたくなかった人だ。
実害に合われたとのこと、多くの方から同様のお話しがあり驚いています。
今後もお商売を続けていかれれるなかで、これからも同じような人が現れないとは限りません。
今回の事を教訓にされますように。
私は40年ほどアパレルの第一線で仕事をしていました。
その間、幸運にも一度も大きな被害にあったことはありません。
単なる偶然か?幸運か?それとも何か秘訣みたいなものがあったのか?
一度考えてみたいと思っています。