その1のつづき。
ブレイク中に気付いたこと。
今、料理がわりと好きで、調味料は無添加のものを選ぶようにしていたり、
玄米を食べていたりするのは、もうすっかり私の一部で、「普通」のことだけど、
この「普通」は、ブラウンズフィールドでの徹底したオーガニック玄米菜食生活が
あったからなのは間違いない。
それまでは、平出油屋も醤油や味噌や酒がどうやってできるのかも、
ズルなしでつくった油や調味料がどれほどおいしいかも、知らなかったもの。
それに、それまでは私にとって、料理はなんだか、わざとらしいものだった。
プロフィールの特技とか趣味の欄に男受けをねらった女子が書くもの、みたいな。
(そして私はそんな女子じゃないもん的な気負い。うざい。ゆがんでましたねー笑)
そんな歪んだ料理観に、
デコさんの「食べたいものを食べるには自分でつくるのがはやい」という一言は、
ガツンと効きました。
その日あるものでなんかしらチャチャッとつくって食べればよい。
たまに気合いを入れて、美しくつくってたのしむ。
基本、玄米とみそ汁と漬け物があればよい。
米を主食にできているのは、日本が水と土に恵まれているからで、
決して当たり前ではない幸せなことだ。
そんな感じになりました。
ブラウンズフィールドには料理を習いに行ったわけじゃない。
持続可能な暮らしのあり方を実践しに、学びにいった。
だけど、卒業して数年たっても残ったのは、食習慣や食思想だったりする。
ま、単純に、食いしん坊だってだけのことかもしれないけど笑
えっとそれでなんだっけ。
沖縄に来てからの1週間は、毎日泣いていました。
取り返しのつかない悲劇に対するショック。
こうなる前に止められなかったという無力感。
そんなある日に鏡を見たら、
なんか目の向きとかが左右対称じゃなくなってて、
「ヤバい。狂うのか。」と思いました。
途中で鎌倉で知り合ったばかりだった子が、
メーリングリストで「沖縄に行きます」と。
早速連絡して那覇に会いに行き、
顔を見た瞬間えも言われずホッとした。
ごはんを食べながら、
アダルトチルドレンの話をしました。
彼女によれば、私はアダルトチルドレンなのだとか。
幼稚園生のときから小学校受験が始まって、
絶対評価による肯定ではなく、
相対評価による否定にさらされた子ども時代のことなんかを
話していたんだね、そのとき。
ありのままの自分を受け入れてもらえなくて
さびしいままの小さな浅倉彩がまだ私の中にいて、
その子が無意識のうちに、ふつうに幸せになることを拒否しているんだそうです。
(ちょっと心当たりあり)
その後、彼女と同じ那覇のゲストハウスに移り、テレビとツイッターにかじりついて
ゲンパツの情報を集めずにはいられない時間が、「まわりに人がいる」という状態によって
だいぶ中和されました。
そして、彼女が色んな人に会わせてくれた。
「自然エネルギーのことをやっている人」として。
怒涛の出会いの渦がそこにありました。
自立していて、覚醒している人たちとの。
あれは、今までに経験したことのない感覚でした。
この経験が、
「自分の軸と人とのつながりさえあれば、
どこへ行っても笑って生きていける。」
という信念を完成させたような気がします。
ところで、沖縄行きのチケットを取った3月4日の手帳には、
こんな絵が描いてあります。
久高島。
まさか通って取材して記事を書くことになるなんて夢にも思いませんでした。
琉球大学。
まさか非常勤職員としてお仕事をすることになるなんて。
人生は不思議なご縁がすべてなのです。