地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

2011年をR水素的に振り返る。その1

2012年01月08日 | お仕事日記
2009年の10月に、R水素のお仕事を始めたとき、

たった2年ちょっと前のことですが、

言っちゃナンだけど、

R水素ネットワークには、

なーーーーーんにも、ありませんでした。

コピーライター丸原さんによると、

「ハルさんとYOSHが、
green drinksで『これからのエネルギーは水素なんです』とか

とにかくふごふご 言ってた(笑)」

状態だったそう。

想像つくなあ。

だって、電気を水素にして、水素からまた電気に戻したら、
最初にあった電気はどのくらい残ってるの?

なんていう、超初歩的な質問に対する答えさえ、

持っていなかったんだから。

エネルギー産業は日本国内だけで年間50兆円の巨大産業。

とうぜん関連する情報は、

ピークオイルから原発問題、スマートグリッド、CCS技術まで多岐に渡り、

完全シロウトだった私は、

断片的な情報の底なし沼で溺れていました。

交流/直流って何? 周波数って何? ワット?ボルト?アンペア?
キロワットとキロワットアワーって何が違うの?
つかそもそも電気って何?
ロッカショって一時期みんな騒いでたけどそもそもなんなの?
核燃料サイクルって?プルサーマルって?
原発って日本に何基あるの?
プロパンガスって石油からできてるんだ。
タクシーは天然ガスで走ってるんだ。
エネルギーって実はすごい多義語なんだ。
自分が使ってるエネルギーには、電気と熱と動力があるんだ。
ジュールっていう単位があるんだ。
ウランってカザフスタンからも来てるんだ。
FITって何?RPSって何?
(以下、エンドレス)

うわ。
こんなに知らないの、私。
でもこれって、
私が詳しくならなきゃいけないことなの??

(このときは、まさか原発が爆発するなんて夢にも思わず。
 というか、「エネルギーって本質的な感じがするし、
 テーマのひとつにしてみたいなあ。」という気持ちで始めたから、
 まさか「私は原発に反対です」という意見を持つことになるとも
 思っていなかった。)

でも、人にわかりやすく説明するためには、

深く耕しておかなければならない。

いっかい全体像を網羅しないと、

本質に届かない。

同時に、常に最新の情報にもアンテナをはっておかなければいけないけど
追いつかない・・・。

その、とにかくふごふごアップアップ状態から、

よくここまで来たなあ、と振り返れるぐらいに、

2011年は、実り多い年でした。






2012年になりました。その4

2012年01月03日 | お仕事日記
その3でようやく、

一編の詩を残すために波風のある方へ向かい、翻弄されて生きていく

という今年の指針ができあがりました。


さて、この指針を着実に遂行するためには、やはり「力」が必要です。

波風を見つけてたどりつくまでは「ご縁」と「直観」ですが、
波に乗り風を味方につけるために必要なのは「力」です。
そして、「力」をつけさせてくれるのは、
何を隠そう身近な(卑近な?)願望を叶えようとする努力だったりします。

と、いうことで、一年の始めの努力目標を、ここに銘記しておこう。

■仕事
 ・お金のことをちゃんと考える
 ・新規事業を開拓する

■暮らし
 ・少しずつでも、理想に向かう準備をする
  つまりそれは、cafeやまがめとか朝日屋みたいな
  木でできていて、まわりの自然に対してガバっと開いている、
  川や海の音が聞こえる木や土でできた曲線的な家で、
  自然に溶け込んで(ここ重要!→)同じ価値観の人と暮らすこと。
  その家には、オープンキッチンと外の間に泥の付いた野菜が洗える大きな流しがある。
  煮炊きできてあたたまれる薪ストーブか囲炉裏がある。
  外の人が気軽に寄れる縁側的なアウトドアリビングがある。
  天気がいい日はここで朝ごはんを食べる。
  ヨガや昼寝もできる。
  鶏を飼って野菜を育てる。米は仲間たちと一緒に田んぼをする。
  一年に一度、一年分のお米が食料庫にうず高く積まれる。
  一年に一度、味噌を仕込む。
  春にはそのへんの野草をつんできて天ぷらにして食べる。

■人間・恋愛関係
 ・好きな人に好きと伝える
 ・人と人をつなげることを続ける 
 ・あらゆる境界線を自ら溶かす
  都会⇄田舎 男⇄女 日本人⇄外国人 
  若者⇄年輩 、、、

■基本のスタンス
 ・どうでもいい自分像を捨てる。
  すると不思議と、正真正銘の自分が現れてくる。
  それを素直にてらいなく表現する。
  つまり、いつもありのままでいる。

と、いうことで、

今年も「今」「ココ」を生きて行きましょう。

おしまい。

2012年になりました。その3

2012年01月03日 | 自分日記
ようやくスイッチが入ってきた。

つまり、今日のやることリストに
2012年の計をブログに書く。とあって、
さっきから私はその、
自分で自分に課したタスクを忠実に遂行しようとしているわけです。

ところが、どうも思考が中心に向かって行かない、
散漫な状態だったわけです。

思うところ、
思考というのは、
原子の粒みたいなものがふわふわと脈絡なく
脳という宇宙に浮遊しているんですね、最初。
そこに、うずまきをつくる、そう、ちょうど洗濯機の芯のようなものを
投入すると、最初はゆっくりと全体が回り始める。
徐々に加速して、中心に向かってぎゅっと凝縮して、
核心にせまっていく。
やがて、星ができる。

そんな感じ。


で、今日の私は、やっと星ができ始めました。


その1とその2は、
未来を想像するために、過去を掘り起こして、
底に沈殿していた原子の粒をまずはたくさん、
中空に漂わせるところから始めていたんだ多分。

さてと。

私の人生の目的は、
一編の詩を残すこと。


ことばの力で、人がありのまま生きることを支えること。


だそうです。今日できた星によると。


だから、2012年も、日々それを実践し、
目的に向かってゆるやかに進んでいけばいいのです。


「つらい思いをするのは、つらい思いをした友達の話を親身になって聴いてあげられる自分になるため」
これは10代から20代にかけて長く付き合った彼が、私に残した最高の一言。
今思い出した。なかなかいいこと言うじゃないか。


この人生に起きるどんなできごとも、いつか誰もがつらいときに、
もう一度顔を上げて歩き出す助けになるような詩を残すための
ステップになるんだね。
どんなできごとも、ないよりは、あったほうがいい。

だから、今年も私は、なるべく
波風がある方に向かっていって、
波に乗ったり風にのったり、
時にのまれたり流されたりして
積極的に翻弄されていきたいと思います。

そして、今思ったけど、できれば
自分から波風を立てていきたい。

もうひといき!次はもう少し具体的なことを書く。

2012年になりました。その2

2012年01月03日 | 自分日記
その1のつづき。

ブレイク中に気付いたこと。

今、料理がわりと好きで、調味料は無添加のものを選ぶようにしていたり、
玄米を食べていたりするのは、もうすっかり私の一部で、「普通」のことだけど、

この「普通」は、ブラウンズフィールドでの徹底したオーガニック玄米菜食生活が
あったからなのは間違いない。
それまでは、平出油屋も醤油や味噌や酒がどうやってできるのかも、
ズルなしでつくった油や調味料がどれほどおいしいかも、知らなかったもの。

それに、それまでは私にとって、料理はなんだか、わざとらしいものだった。
プロフィールの特技とか趣味の欄に男受けをねらった女子が書くもの、みたいな。
(そして私はそんな女子じゃないもん的な気負い。うざい。ゆがんでましたねー笑)

そんな歪んだ料理観に、
デコさんの「食べたいものを食べるには自分でつくるのがはやい」という一言は、
ガツンと効きました。
その日あるものでなんかしらチャチャッとつくって食べればよい。
たまに気合いを入れて、美しくつくってたのしむ。
基本、玄米とみそ汁と漬け物があればよい。
米を主食にできているのは、日本が水と土に恵まれているからで、
決して当たり前ではない幸せなことだ。

そんな感じになりました。

ブラウンズフィールドには料理を習いに行ったわけじゃない。
持続可能な暮らしのあり方を実践しに、学びにいった。
だけど、卒業して数年たっても残ったのは、食習慣や食思想だったりする。
ま、単純に、食いしん坊だってだけのことかもしれないけど笑






えっとそれでなんだっけ。






沖縄に来てからの1週間は、毎日泣いていました。
取り返しのつかない悲劇に対するショック。
こうなる前に止められなかったという無力感。

そんなある日に鏡を見たら、
なんか目の向きとかが左右対称じゃなくなってて、
「ヤバい。狂うのか。」と思いました。

途中で鎌倉で知り合ったばかりだった子が、
メーリングリストで「沖縄に行きます」と。
早速連絡して那覇に会いに行き、
顔を見た瞬間えも言われずホッとした。

ごはんを食べながら、
アダルトチルドレンの話をしました。
彼女によれば、私はアダルトチルドレンなのだとか。
幼稚園生のときから小学校受験が始まって、
絶対評価による肯定ではなく、
相対評価による否定にさらされた子ども時代のことなんかを
話していたんだね、そのとき。

ありのままの自分を受け入れてもらえなくて
さびしいままの小さな浅倉彩がまだ私の中にいて、
その子が無意識のうちに、ふつうに幸せになることを拒否しているんだそうです。
(ちょっと心当たりあり)

その後、彼女と同じ那覇のゲストハウスに移り、テレビとツイッターにかじりついて
ゲンパツの情報を集めずにはいられない時間が、「まわりに人がいる」という状態によって
だいぶ中和されました。
そして、彼女が色んな人に会わせてくれた。
「自然エネルギーのことをやっている人」として。

怒涛の出会いの渦がそこにありました。
自立していて、覚醒している人たちとの。
あれは、今までに経験したことのない感覚でした。

この経験が、
「自分の軸と人とのつながりさえあれば、
どこへ行っても笑って生きていける。」
という信念を完成させたような気がします。

ところで、沖縄行きのチケットを取った3月4日の手帳には、
こんな絵が描いてあります。



久高島。

まさか通って取材して記事を書くことになるなんて夢にも思いませんでした。

琉球大学。

まさか非常勤職員としてお仕事をすることになるなんて。

人生は不思議なご縁がすべてなのです。