私がフリーライターになった理由。
それは、ある場所で、生きるための勉強をしたかったからだ。
英語で言ってみれば、サバイバル・スタディーズ??
まあ、いずれにしても、
最終的にお金は食べられない、という、
今の社会では忘れ去られた宇宙の大原則がある。
今の社会で「食べていく」と言うとき、それは「お金を稼ぐ」とイコールだけど、
それは、誰かが食べ物をつくって、誰かがそれを近所のスーパーまで
運んできてくれる、という「約束」があってこそ成り立つ常識です。よね。
環境問題に興味を持ち、本を読んだり識者の話を聞いたりしているうちに、
「これはひょっとすると、そんな約束、誰がした?ってことに
なりかねないぞ。あと20年もすれば。」と生存本能が耳元でささやいたのだ。
気になる方は、「フードセキュリティー」とか読んでみてください。
要するに、こういうこと。
人口は増え続けている。
ところが、耕作可能な土地には限界がある。
そこで、同じサイズの農地から、たくさん収穫しようと、
機械と除草剤と化学肥料(全部、元は石油)を使って
土に無理をさせると、やがてその農地は荒れ果てる。
という悪循環が、今この瞬間にもどんどん進行しているのです。
そこに、気候変動が追い打ちをかけます。
つまりは、
今のままでは、地球が人間を養い続けることは無理。
ってこと。
知ってしまった以上は、食べないと生きていけない存在として、
理性的に行動したいと思った。
そして、よのなかが変わらなきゃいけないと思うなら、
まずは自分が、その変化になりたいと思った。
とはいえ。
当面の現金は必要だ。食べ物だけつくれても、サバイブできない。
移動や明かりや熱、本や雑誌やインターネットの情報。
必要不可欠と思われるもので、自分では調達できそうもないものが、
次々と思い浮かんだ。
そこで、
「自給自足を目指しつつ、得意なことで現金収入も得ながらバランスをとってやっていく」という、いわゆる半農半Xスタイルのブラウンズフィールドの研修生制度が、ピンときた。
よくサーフィンをしに行くビーチが近いのも、魅力的だった。
東京に日帰りできるのも、無理がないと思った。
当然、会社は辞めないと研修生にはなれない。本来の目的である、生きるための勉強ができない。でも、会社を辞めると現金収入がなくなる。辞めるのはかまわなかったけど、研修生は無給だから、本当に、現金収入がなくなる。それはやっぱり不安だった。なにが不安って、社会人として、社会とのつながりを失うことが。お金をもらえる仕事というのは、社会と自分をつなげるメディア(媒介という意味での)だから。ブラウンズフィールドと同じように、私自身も、半農半Xで現金収入を得てバランスを取りたかった。
それで、フリーライターをやりながら、ブラウンズフィールドに移住することを思いついた。
フリーライターなら、通勤なしで、稼げる。時間を柔軟に使って仕事ができる。そもそも、そんなにたくさん稼ぐ必要はないんだし。
リクルート時代の同僚や上司は、寝る間も遊ぶ間も惜しんで仕事をしたおかげで、何度も表彰された私のことを、きっとまだ覚えていてくれてるはず。だから、仕事ももらえるはず。(おめでたいwそして図々しい笑)
きっとできる。これはもしかすると、新しい未来の働き方・生き方かもしれない!私は、その変化の先駆者になるんだ!
と、ひとしきり、ひとりで興奮した。
その後、はっと我に帰り、ブラウンズフィールドの女将で、マクロビオティック料理研究家の中島デコさんに、研修生の分際でフリーランスの仕事なんてしてもいいものか相談すると、なんとOKしてくれた!
こうして、2009年の1月に、私はブラウンズフィールドの研修生&フリーライターになり、外房のいすみに移住した。
そうしたら、どうやら私は時代の半歩先を行ってしまったみたいで(またしても、おめでたいwwwそして図々しい爆)
2009年は、これでもか、っていうぐらいに、あっちこっちの雑誌で農業特集や農家レストラン特集が組まれ、都内の貸し農園にはキャパを超える申し込みが殺到し、農業ブームがわき起こった。
この現象について、
「一時的なブームでしかない」とか「全体として流行がナチュラル志向に振れているうちの、ひとつの事象」とか、色々な分析を耳にした。
でも私は、やせ細ってなりを潜めていた生存本能が反撃ののろしを上げたのだと思った。
”おカネ最優先教”に洗脳された脳みそに、ぎりぎりのところで抵抗を、
じわり、と。それで、潜在意識のレベルで
「あ。食べ物なきゃ生きてけないじゃん。自分つくり方知らないじゃん。」って気づいた人たちが、革靴をながぐつに履きかえて、田畑へと向かったのだ。
その「ある場所」は、房総半島の太平洋側、
九十九里とか外房と呼ばれるエリアのど真ん中にあり、
名前をブラウンズフィールドという。
エバレット・ブラウンさんがオーナーだから、
ブラウンズフィールド。
シンプルでナチュラルなのは、ネーミングだけではない。
それは、ある場所で、生きるための勉強をしたかったからだ。
英語で言ってみれば、サバイバル・スタディーズ??
まあ、いずれにしても、
最終的にお金は食べられない、という、
今の社会では忘れ去られた宇宙の大原則がある。
今の社会で「食べていく」と言うとき、それは「お金を稼ぐ」とイコールだけど、
それは、誰かが食べ物をつくって、誰かがそれを近所のスーパーまで
運んできてくれる、という「約束」があってこそ成り立つ常識です。よね。
環境問題に興味を持ち、本を読んだり識者の話を聞いたりしているうちに、
「これはひょっとすると、そんな約束、誰がした?ってことに
なりかねないぞ。あと20年もすれば。」と生存本能が耳元でささやいたのだ。
気になる方は、「フードセキュリティー」とか読んでみてください。
要するに、こういうこと。
人口は増え続けている。
ところが、耕作可能な土地には限界がある。
そこで、同じサイズの農地から、たくさん収穫しようと、
機械と除草剤と化学肥料(全部、元は石油)を使って
土に無理をさせると、やがてその農地は荒れ果てる。
という悪循環が、今この瞬間にもどんどん進行しているのです。
そこに、気候変動が追い打ちをかけます。
つまりは、
今のままでは、地球が人間を養い続けることは無理。
ってこと。
知ってしまった以上は、食べないと生きていけない存在として、
理性的に行動したいと思った。
そして、よのなかが変わらなきゃいけないと思うなら、
まずは自分が、その変化になりたいと思った。
とはいえ。
当面の現金は必要だ。食べ物だけつくれても、サバイブできない。
移動や明かりや熱、本や雑誌やインターネットの情報。
必要不可欠と思われるもので、自分では調達できそうもないものが、
次々と思い浮かんだ。
そこで、
「自給自足を目指しつつ、得意なことで現金収入も得ながらバランスをとってやっていく」という、いわゆる半農半Xスタイルのブラウンズフィールドの研修生制度が、ピンときた。
よくサーフィンをしに行くビーチが近いのも、魅力的だった。
東京に日帰りできるのも、無理がないと思った。
当然、会社は辞めないと研修生にはなれない。本来の目的である、生きるための勉強ができない。でも、会社を辞めると現金収入がなくなる。辞めるのはかまわなかったけど、研修生は無給だから、本当に、現金収入がなくなる。それはやっぱり不安だった。なにが不安って、社会人として、社会とのつながりを失うことが。お金をもらえる仕事というのは、社会と自分をつなげるメディア(媒介という意味での)だから。ブラウンズフィールドと同じように、私自身も、半農半Xで現金収入を得てバランスを取りたかった。
それで、フリーライターをやりながら、ブラウンズフィールドに移住することを思いついた。
フリーライターなら、通勤なしで、稼げる。時間を柔軟に使って仕事ができる。そもそも、そんなにたくさん稼ぐ必要はないんだし。
リクルート時代の同僚や上司は、寝る間も遊ぶ間も惜しんで仕事をしたおかげで、何度も表彰された私のことを、きっとまだ覚えていてくれてるはず。だから、仕事ももらえるはず。(おめでたいwそして図々しい笑)
きっとできる。これはもしかすると、新しい未来の働き方・生き方かもしれない!私は、その変化の先駆者になるんだ!
と、ひとしきり、ひとりで興奮した。
その後、はっと我に帰り、ブラウンズフィールドの女将で、マクロビオティック料理研究家の中島デコさんに、研修生の分際でフリーランスの仕事なんてしてもいいものか相談すると、なんとOKしてくれた!
こうして、2009年の1月に、私はブラウンズフィールドの研修生&フリーライターになり、外房のいすみに移住した。
そうしたら、どうやら私は時代の半歩先を行ってしまったみたいで(またしても、おめでたいwwwそして図々しい爆)
2009年は、これでもか、っていうぐらいに、あっちこっちの雑誌で農業特集や農家レストラン特集が組まれ、都内の貸し農園にはキャパを超える申し込みが殺到し、農業ブームがわき起こった。
この現象について、
「一時的なブームでしかない」とか「全体として流行がナチュラル志向に振れているうちの、ひとつの事象」とか、色々な分析を耳にした。
でも私は、やせ細ってなりを潜めていた生存本能が反撃ののろしを上げたのだと思った。
”おカネ最優先教”に洗脳された脳みそに、ぎりぎりのところで抵抗を、
じわり、と。それで、潜在意識のレベルで
「あ。食べ物なきゃ生きてけないじゃん。自分つくり方知らないじゃん。」って気づいた人たちが、革靴をながぐつに履きかえて、田畑へと向かったのだ。
その「ある場所」は、房総半島の太平洋側、
九十九里とか外房と呼ばれるエリアのど真ん中にあり、
名前をブラウンズフィールドという。
エバレット・ブラウンさんがオーナーだから、
ブラウンズフィールド。
シンプルでナチュラルなのは、ネーミングだけではない。