洗脳というのは、一定のプログラムのインストールおよびダウンロードという意味では教育に似ている。
しかしそれが教育と違うのは、する側にとって一方的に都合の良いプログラムをダウンロードするという点だ。
例えば脅しや、嘘によって判断能力を奪うことは、相手を扱いやすい操り人形にして自分の都合の良いようにコントロールする前提を作ることになり、これも洗脳の一種だ。
脅しによる方法は簡単だ。細かい違いはあると思うが、「あなたは今危機的状況にある。私の言うことを聞かねば地獄に落ちるよ。」的なものである。嘘も似たようなもので、説明する必要はないだろう。ほかにも、答えを全て押し付けるやり方もある。状況を解決するための答えを全て押し付けられていると、人間というのは自分で判断する必要性がなくなり、判断能力を低下させていくのである。
洗脳というと、自分とは無縁と思っている人が多いが、実際には逆で、空気と同じく、世界は洗脳に溢れている。
我々は知らぬ間に、他人から精神的な技をかけられ、理不尽なコントロールを受けているものだ。
こういうコントロールから自由になるには、まるで映画マトリックスのネオのような切磋琢磨が必要となってくるのではないだろうか?