人間というのは、日々の具体的経験から学ぶものである。
具体的体験から得られる、具体的な経験則を積み上げて、個々の思想を組み上げるというのは大変まともなやり方だ。
しかし、それだけでは問題がある。
というのは、個々の具体的体験というのは、具体的であるがゆえに、ミクロマクロで言うとミクロ的な体験であることが多く、これだけに頼ると、マクロな視野から物を見ることができなくなるからだ。
その状況は、経験というものに支配されているということができるだろう。
そこで非常に重要となってくるのが、自分が経験に裏付けられた考え方を獲得してはいるが、同時に経験によってある種の「思考の歪み」も獲得しているということを自覚することだ。
こういうある種の「無知の知」を持つことによって人は、経験による支配から脱することができるはずだ。
抽象的な話になったが、例えば、営業マンとしてバリバリに鍛えた人で説明する。
こういう人というのは、具体的な営業の世界での血と汗と涙の結晶としての一種の悟性に至るのだが、そこでそれがあまりにもはっきりとした真実であるがゆえに、その悟性によって支配され、仕事というものに営業以外存在しないのだ、くらいの感覚になってしまう危険があるのだ。
しかし、上記のような「無知の知」的スタンスを持つなら、その悟性は自分の思考を歪ますことなく、その価値をフルに発揮することができるだろう。
なんだか他人ごとのように書いているが、これはもちろん私にもあてはまるから、私が自戒の気持ちを持っていることは言うまでもない。
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