この前、ある方に、
「imagingstarさんのブログは、高尚過ぎる」と言われてしまいました。
ガクっ
そうですか・・・高尚・・・私が高尚ですか・・・
でも、コメントがあまり付かないのはそれで結構説明できますね・・・
確かに、体調が悪かったりして、あまり考えないでサラサラ書いたときの方がコメントが付きやすいです。
私も、ブログ文体というものをもっと学ばねばならないのかもしれません・・・
この前、ある方に、
「imagingstarさんのブログは、高尚過ぎる」と言われてしまいました。
ガクっ
そうですか・・・高尚・・・私が高尚ですか・・・
でも、コメントがあまり付かないのはそれで結構説明できますね・・・
確かに、体調が悪かったりして、あまり考えないでサラサラ書いたときの方がコメントが付きやすいです。
私も、ブログ文体というものをもっと学ばねばならないのかもしれません・・・
最近、グーグルマップを使って、ストリートビューというサービスに気づかれた方も多いと思います。
要は、地図を検索すると、その地点を360度カメラで撮った映像まで見れてしまうというものです。
これ、結構面白いのですが、やはり弊害が結構あると思います。
グーグル側では、道路上から見えるものは、ネット上で見えるようにしても何の問題もないはずという論理のようですが、事はそんなに単純ではなさそうです。
例えば、人に見せたくないような家に住んでいる人がいたとして、今まではその家をわざわざ見に来るような人はそうそういなかったのに、ネット上で公開されてしまうと、すぐさま誰にでも見えるような状態になってしまいます。今までは物理空間という事実上の検索障壁があったのに、ネットで公開するとそれが全くなくなってしまうので恐ろしく沢山の人が見に来れるようになってしまうわけです。
これは、家の持ち主にとってはひっそりと平穏に、自分の家を沢山の人に見られずに生活したい権利が侵害されていると言えるでしょう。
自分が持っている車の種類を内緒にしたい人も同様でしょう。例えば自分が属する組織の人に高級車に乗っていることを内緒にしたい人は少なからず存在するはずです。それが、このストリートビューでは、住所さえ判明していれば一瞬にしてばれてしまいます。これをプライバシーの侵害と言わずなんと言えば良いのでしょうか。
「地球上の全ての情報を整理してインターネット上で検索可能にする」というグーグルの企業理念というのは、実は結構、「インターネットで世界中を全て覗けるようにする」というオタクの覗き見趣味的な意味合いが入っているということに、今回のストリートビューによって気づき始めた人は結構多いのではないでしょうか。
また、よくよく見ていると、ストリートビューを載せたら文句がきそうな地域についてはきっちり避けていることに気づきます。
嫌がる人がいることはきっちり分かっているということですよね、これ。ということは分かっているのにあえてやっているということでなお更問題だと思います。
弁護士のアドバイスで、しばしば聞くのがこの「大丈夫、命までは取られませんから」というものです。
このアドバイスは実に良くできてると思います。何かの事件や紛争に巻き込まれている当事者をはっと我に返らせる力を持つアドバイスです。
そして、この考え方は、別に事件に巻き込まれなくても使えるとても便利なものだと思うのです。
人間というのは、向上心のある生き物で、いろいろな目標や理想を設定して、それを達成していくことが成長していきます。
その反面、目標や理想を自分が達成できないのではないかという恐怖にさいなまれ、落ち込んでしまうことが良くあるのです。
言わば、目標や理想といったものの持つ副作用です。
こういう副作用が、「でもね、それが達成できなくても、死にはしない」というスタンスを持つことで大きく低減できるのです。
人間は、自らの欲望(目標や理想は欲望です)の炎に焼かれてしまいやすい生き物ですから、こういうリセットがたまに必要となるのではないでしょうか。
インターネットが一般的になってから、早10年以上が過ぎたわけですが、その中で1つのネットの大きな効用として、権威とか、社会的地位とかに囚われない、ガチンコでの情報交換が可能になってきていることです。
リアルの世界では、学歴や社会的地位によってあらかじめ個人個人の言論の価値に値段が付けられているようなところがありますが、ネットはそういうものから相当自由です。
だから、純粋にガチンコでの意見の発表や交換が行える。
レッテルや権威の通用しない世界では、そういったものによって守られてきた人は安住できなくなるし、それらがない人も十分勝負の土俵に上がれます。
権威があっても、意味のないことを言えばブーイングがそのまま来るし、権威がない人でも、ちゃんと意味があることを言えば賞賛を受けることができるのです。
こういうのをまさにフラット革命と呼ぶのでしょうね。
ネットに関してはマイナスの話題がテレビやマスコミで喧伝されることが比較的多いように思いますが、上に述べたようなネットが開く可能性というのは、普通に想像する以上のインパクトを社会に与えるに違いないと思います。
この、ある意味下克上のようなインパクトについては詳しく書かなくても十分理解していただけるのではないでしょうか。
今まで人間というものを観察してきて、しみじみと思うのが、「類は友を呼ぶ」という言葉の重さです。この法則は、良くも悪くも切実に機能していて、誰もが逃れられないように思うのです。
考え方や、生き方、価値観、センス、などなど、とにかく人間のあらゆる性質は、同類を呼び寄せるようです。化学で言うなら、共有結合的な引き寄せ。
この話は前からしてますが、前にしたときよりも、もっとこれを重視すべきだと思っているのです。
いや、本当に恐ろしいです。特に、悪い性質同士の引き寄せパワーは目だって強力だと思います。腐った食べ物に蠅がたかるようにあっという間に集まってくるようです。
しかも、自分が腐った段階では、蠅が来てもそれが仲間に見えてしまうようで、なかなかそれに気づかないんですよね。
そして、この法則からすれば、人を見分けるときにその人の周りにいる人を見て判断すべきことになります。
この判断がまたこれまたものの見事に当たるんですよね・・・怖い怖い。
また、これからの自分の運気の流れを考えるにあたっても、自分がこれから出会いたい人や、出来事と同じ性質を自分が備えるべきであるということも言えます。なかなか自分の性質を変えるというのは難しいかもしれませんが、はっきり言えるのはそれが努力に十分値するということです。
というわけで、引き続きこの法則について観察と実践を続けたいと思います。
昨日、映画「20世紀少年」を観て来ました。ある方に私のある構想を話したら「20世紀少年みたい」と言われたので、これは観なくちゃいけないなと思ったからです。
2時間20分の大作ですが、若干荒唐無稽感大袈裟感が気になるのと、画像の美しさがないのと、人物の心理描写が少ない、音楽が物足りないなど、私のツボとはずれていました。
これならポニョのがいいです。
ただ、次回作は行きます。何だか生殺しの終わり方だったので。これ、マーケティング?
この前ふと思ったことは、宮崎駿監督作品って、「風の谷のナウシカ」が未だに一番なんじゃないかってことです。
もう20年以上前の作品だけど、主人公を中心とするキャラクター、ストーリー、舞台設定のスケール感、音楽、セリフなどなど、全てがダントツな気がするんです。
もちろんいろんな見方が成り立つのは前提なのですが、私はそう思っています。
それで思うのが、人間って本当に成長するのかってこと。若いときの、知識とか経験とか少なくて、無我夢中でやった仕事が人生の中で最も輝く成果になって、その後それを越えられないことって結構あると思うんです。
人のパフォーマンスって、知識とか、経験じゃないところで決まる部分って意外に大きいんじゃないでしょうか。
じゃあ、それはナンだって言う話になったら、それはやっぱり、情熱であったり、勇気であったり、ノリであったり、あるいは、欲求不満の昇華だったりするんでしょうね。
さてこのナウシカ、他のトトロとかの作品も、この前のNHKのプロフェッショナルによると、最初はどこに持っていっても、「時代遅れ」とか言われて相手にされなかったらしいんですよね。
誰にも認められないときに、人間ってエネルギー溜めるのかな・・・やっぱ。