イギリス軍のタイフーン戦闘機がシリア東部、ヨルダンとイラクとの国境近くで親シリア政府の武装勢力を爆撃したとサンデー・タイムズ紙が7月1日に伝えている。
この爆撃でシリア政府軍の兵士ひとりが死亡、7名が負傷したという。
ここにきてシリアやリビアでイギリス軍やフランス軍の動きが目立つようになってきたが、この攻撃もそうした流れでのことだと言える。
ロラン・デュマ元フランス外相によると、シリア侵略が始める2年前の2009年、
彼はイギリスでシリア政府の転覆工作に加わらないかと声をかけられたという。
声を掛けてきたふたりが誰かは語られていないが、ニコラ・サルコジ政権やフランソワ・オランド政権がシリアでの平和を望んでいないとデュマに判断させるような相手だったという。
また、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、西側のメディアやカタールのアル・ジャジーラがシリア政府が暴力的に参加者を弾圧していると伝えていた当時、
実際は限られた抗議活動があったものの、すぐに平穏な状況になったことが調査で判明していたという。リビアでも西側メディアが宣伝したような弾圧はなかった。
勿論、アメリカもシリア侵略を狙っていた。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、遅くとも1991年に国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたいう。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。(2007年3月、10月)
調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事によると、
アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したとしている。
2007年当時のアメリカ大統領はジョージ・W・ブッシュだが、
次のバラク・オバマが2010年8月に出したPSD11はムスリム同胞団を使った体制転覆計画。
これは「アラブの春」という形で現実になる。
「民主化」というイメージを強調するため、1968年の「プラハの春」をもじったのだろうが、実際は傭兵を使ったクーデターにすぎなかった。
目的は石油をはじめとする利権の維持と拡大。「南」からの略奪なしに「北」の支配体制は維持できない。
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