三十三間堂 十一面千手観音立像・千体像
図書館でふと手に取った本「仏像の声」西村公朝著を、今日は読んで見た。 そう言えば今から10年程も前から、特に若い女性の間で静かな仏像ブームが続いていて、国宝阿修羅展における、女性ファンの人気には、すさまじいものがあつた様に思う。 この本を私が借りたのは、そもそも仏教の世界に限らず「偶像崇拝」~物質的なものが、神、祖霊、死霊等の超自然的存在の力を表象しているか、それが有るとして、崇拝の対象にすることである。 この国でも仏師が彫った神像(釈迦像等)の、いわゆる偶像「加工された物」を崇拝しているのであるが、多くの人が単純に疑問を抱くのは、「たかが人が作った物を礼拝することに、何の意味があるのだろうか?」と言う事であり、私も同じ思いが心のどこかにあり続けたのだ。 ただイスラム教においては、偶像崇拝は厳しく禁止されているのだが、これも記されたコーランの唱句の文字を神聖視しているのである。
西村公朝氏は、三十三間堂の十一面千手観音立像や千体像等600体以上の仏像の修復等に携わり、また自らも多くの仏像を作った仏師であり、その後、東京芸大教授(名誉教授)を歴任し、退官後は、得度受けて京都天台宗・愛宕念仏堂の住職となった人で、仏師として仏様を彫りながら、感じたことごとなどについて、多くの著書を残し、またこの本の中でも述べている。
西村氏は、年に一度秋に、仏像彫刻や仏画を教えた学生達と共に、仏像・仏画の造形展を開くと言う。 その会場であった印象的な二つの事を序章において述べている。 筆者は、まずこの若者の仏像ブームに対して「本当にそうなのでしょうか。」と疑問を呈している。
~若者とお不動さん~
造形展の会場に於いて、訪れていた二人の若者カップルが、自分の目の前で150万円もする高価な「不動明王の」像の前を幾度となく行ったり来たりしていたが、自分が昼の食事を終えて会場に戻って来ても、「不動明王」の像を買って行ったと言う事に大変驚いたと言う。 その日二人の若者は、午前中から会場に来ていて、約半日をかけて会場でしきりに考え込んでいる様子であったが、やがて二人は係員のところにやって来て、「この不動明王は、ローンが組めるのでしょうか。」と尋ねていたため、近寄って行き「あんな高い仏像を物を買ってどうするの?」と聞くと、今日はデートでふと立ち寄ったここで、この「不動明王と出会った。」と言う。。。続けて「自分はこの春大学受験に失敗して、いま大工見習として働いているが、棟領に可愛がってもらい「この仕事で身を立てて行く決心をしたした所でした。」「何故かこの不動明王を見ていると、体の中からエネルギーが湧いて来る。 これが人生の新たな決意をして、スタートを切ったその心を失わないためにも、この怖い顔で自分を叱り、かつ力づけてくれそうなこの仏像を、いつも身近に置いて励みにしたい。」と、考えたていたと言うのです。 これから努力して、将来この高価な仏像を置ける仏壇のある様な立派な家を自分の技術で建てたい。」と、 このような結論を出すのに約半日かかったと言うのです。 また、二人は不動明王や制作者の刻印の事などを質問して来ました。 そう、仏像について何も知識がないままにこんな高価な物を買ったのです。 仏師としては、仏像の役割を体感して理解し、仏像のありのままの姿を素直な心で見、正直に感じた結果が、彼の心を購入へと突き動かしたことに感動したと言うのです。 仏像ブームは誠に喜ばしい事ではあるが、この若者の様に「仏像のありのままの姿、形を素直に見、正直に心に感じる。」所謂、「仏像の声」を聞く人間がいたのです。。。と述べている。
また、同じ会場で私の彫った「阿難尊者」の像を見て、「阿難さん泣いている。」と、ポツリともらした方がいたそうです。 自分が「阿難尊者」の像を制作した意図も実は、釈迦の弟子の一人である阿難が釈迦の最後を看取るにあたって、「少しでも長生きして欲しい。」と、南無釈迦、南無釈迦と唱え、きっと心では泣いていたのでしょう。 この阿難の心象表現が正に制作意図であった訳ですが、仏像の内なる声を言い当てられた様な驚きを感じたと述べています。 日本に古来仏教が伝来し仏像を初めて見た日本人は、白紙(ありのままの)の状態で素直に姿形を見、心で感じる所から仏教徒の関りも始まったのではないでしょうか。
なかなか読み応えのある本ではありました。 西村公朝氏は、「仏の道に救いはあるか」等の著書を残しています。
半崎美子:明日へ向かう人
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