タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

 ♪大輪のバラ「エレーヌ・ジュグラリス」♪

2016-06-12 | その他

優雅な大輪のバラの花、『エレーヌ・ジュグラリス』

 

先頃から、贈られたバラの花々を描いているのですが、バラの花には人の名を冠したものも

 

多く(それも横文字・・・)、これがなかなか私には覚えられない。

 

「オードリーヘップバーン」「カトリーヌドヌーブ」「イングリッドバーグマン」「プリンセスミチコ」「

 

プリンセスモナコ」など皇室や有名女優のものは覚え易いが、舞踊やバレーその他、私に馴

 

染みの薄い分野のもの名を覚えるのは、私には無理の様である。

 

そんな訳で、今日は贈り主の方に先日聞いてきた、「花名」を下に少し調べて見た。

 

それによると、薄いピンクのかかった大輪のバラ(先日描いた)の花は、『エレーヌ・ジュグラリス』

 

と言って1900年代前半にフランスで活躍した、有名な女性舞踊家の名に由来するものだそう

 

ある。

 

西洋舞踊を追及していたエレーヌは、それにはあき足らず、より優美なもの抒情的なものを追

 

求めた結果、たどり着いたのが‘日本の能‘の世界であり、「これこそが、舞踊芸術の極致」だ

 

と悟ったという。 

 

中でも西洋の「白鳥伝説」と通じ、人々に受け入れ易い『羽衣』に心魅かれ、舞台公演に情

 

を注いだそうです。

 

身も心も燃え尽きるまで情熱を傾け、そして1949年の公演中、羽衣の衣装を身にまとったま

 

まエレーヌは舞台で倒れ込み、遂にこの舞台を最後に、再び舞台に立つことは叶わず、まだ

 

35歳という若さでこの世を去っています。

 

エレーヌが、最後まで憧れを抱き続けたのは、『羽衣』の舞台‘三保の松原‘であり、生前、夫

 

マルセル氏に「私の代わりに三保を訪ねて・・・」と願っており、セレーヌのその遺志を果たす

 

ため、マルセル氏は、S26年(1951)に三保の松原の地を訪れ、その翌年には同地に「羽

 

衣の碑」が建てられ、マルセルが妻に贈った詩が刻まれているそうです。

 

三保の浦 波渡る風 語るなり 

パリにて「羽衣」に 命捧げし わが妻のこと

風きけば わが日々の すぎさりゆくも

心安けし

~H・マルセル・ジュグラリス~

(出典:羽衣まつり20周年記念誌「はごろも」より)

 

今日はそんなバラの花から、そのむかし‘能‘を通じて日仏のかけ橋となった、偉人を訪ねる

 

ことができした。

 

~全ての人に、心の安寧があります様に~

 

 

 

 トニー・ベネット~I Left My Heartin san Francisco(思い出のサンフランシスコ)