(この絵は、日野川流域にオシドリを昨年見に行った時のものです)
今年も「鴛鴦:オシドリ」を見に行って来ました。
観察小屋から観るオシドリのおびただしい群、これは、おそらく日本でも最
大級の群れではないかと思います。(約1000羽、500組のオシドリ夫婦、これは微
笑ましいと言うよりどちらかと言うと、壮観そのものです。)
昔からよく言われる『オシドリ夫婦』の様に、雌雄二羽のオシドリが、ここか
しこに、いかにも仲睦まじそうに寄り添って泳いでいます。
先日、UPした記事の中で、オシドリ夫婦とは名ばかりで・・・実際には・・
云々と書きましたが、この睦まじさはほんもの、微笑ましい限りです。
この「オシドリ夫婦」と呼ばれる所以は、その昔、オシドリの「番い」の一方
が捕らえられてしまうと、残ったもう一羽が相手を思い続け、挙句に死んで
しまうという悲しい言い伝えがあり、この「思い死ぬ鳥」という言葉が短くなっ
て、オシドリという名前が付けられたといった説もあるほどでが、さて如何で
しょうか。
確かにオシドリの‘番い‘を、ジーッと眺めていると、いかにも仲むつまじく寄
り添っているようにしか見えませんが、実際には、寄り添っているというよ
り、雌鳥を独占する雄鳥の見張り行為の様です。(そう言えば、何やら独占し過
ぎて、別れたオシドリ夫婦が・・・最近どこかで効いた様な、、)
しかしそんな一方で、上空に獲物を見つけて舞う鷹などを雄鳥が嗅ぎつけ
ると、自分が傷ついた振り(擬傷行動)をして、身を捨てて雌鳥を守るとか。
(いかに妻を救う為とはいえ、命と引き換えに・・・なかなか出来ることではありませんぞ・・・
勿論、私も含めて世の男性共に聞かせてやりたい)
オシドリは、見た通り相思相愛ですが、だからと言って一生添い遂げるもの
ではなく、むしろ「一冬の恋」の様ですが、これも神が造り給うた「より良き
子孫を残すための、夫婦愛」と言うことなのでしょう。
~貴方にとって、今日も良い一日でありますように~
ジュリー・ロンドンでクライ・ミー・ア・リヴァー
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