のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
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過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

オリジナルの原点と疑問

2009年05月19日 06時01分10秒 | Weblog
職業作家も含めいろいろな物書きがいる。
推敲を重ねて良いものにしていくという人も多いだろう。
少なくとも私の詩の場合は違うな。
こねくり回して良いものができたためしがない。
このブログの場合はまた別なんだけどさ、
短い詩作の場合はほとんどインスピレーションで決まるのね。
だからこねくり回さない。
10分考えて「?」の付く詩作はさっさと永久削除する。
それが私の基本方針。

発想、独創について。
密閉した無菌状態で細菌が繁殖しないように、
人間も無からは何も作り出せない。
独創にしてもその人の中に何かがあったから生み出せる。
その人の中にあったものがその人以外の影響でできあがることもある。
良い文章を多読するうちに自分でも良い文章が書けるようになる。
そこで生み出されるその人の文章は間違いなくその人の独創だけれど、
100%その人の力だけでできあがったものかっていえばそれも違う。

だから盗作と独創の境目も難しい。
私がよく使う例え。
「あなたを愛している」
を最初に考えついた人がいるとする。
「愛しているあなたを」
を考えた人は、盗作が独創か。
使っている言葉だけを見れば完璧な盗作だが、
このふたつの文章は明確に視点が違う。
その意味では独創だと思うのね。

もっと微妙なのはさ。
見たり聞いたりしたものが、
いつの間にか自分の中で自分の作品になっちゃうってこと。
とあるラジオパーソナリティが言っていたんだけど、
時々以前紹介したのと全く同じ内容のネタ葉書が来るんだそうな。
もちろん違う人からね。
頭の中で「これ面白い、これ面白い」と反芻しているうち、
自分がこの情報を外から取り入れたという情報が抜け落ちて、
いつの間にか「自分が考えた面白いネタ」になってしまうってことだろうな。

他人事ではない。
物書きとして心しなければならない。
私も本はよく読む。
本を読んで気に入ったフレーズがあったとして、
時が経ってそのフレーズを思い出したとする。
その時自分の中でいつの間にかそれが「自分の作品」になっていることが、
全くないと言い切ることはとてもできない。
ここをノーチェックで素通りするとこれは完璧に盗作になっちゃう。
これは危ない。
私の中の予防策として、
良いフレーズが出てきて少しでも「あれ?」と思った時は、
必ずネット検索するように心がけています。

結局盗作か否かっていうのは、
心の中の問題になると思うのだけれど、
今言ったばかりの例もあるとおり、
「悪意のない結果として完璧な盗作」
っていうのもあり得るわけで。

私としてはもちろん一度も盗作をした覚えはない。
幸いなことに今まで盗作をされた覚えもない。
盗作をしようなどという不埒な気持ちは微塵もないけれど、
前述の理由からこの先
「結果として盗作」
を生涯一度もしないと言い切る自信はない。

オリジナリティというのは、
「その人が生み出したもの」
で簡単に片付けられるものではない。
オリジナル、盗作の問題は今後も世にちょくちょく出ることだろう。
「自分は関係ない」と言い切れる人はいないはずだ。
全ての作家、アーティストは心しなければならない問題だと思う。
もちろん私自身も含めて。