今使っているデジカメは、五年になる。バッテリーの充電時間が長くなった。まあ、劣化なのだろう。バッテリーを、ネット通販で買った。純正でなかった。なんのことはない、「安物買いの」の何とかだぁと。苦笑をしている。そろそろ寿命かなぁと思っている。いろいろと、物色していたが、画像の物にする。家電店ではなく、昔ぁーしからの、街の電気屋さんから、買うことにした。デジカメは、これで四台目になる。初代はの、記憶媒体は、スマートメデアなので、記録された画像を、読みだすことはできない。
あれから五年。震災が発生した日は、原発事故は、さほど気にしてはいなかった。原発の安全神話があった。翌12日になって、原発のことが気になり出し、情報でもあるかと、市役所に行ってみた。その時は、何もなかった。夕方になり、テレビの画面は、大津波のことより、原発のことが、放映されたと思う。当時の12日の夕方、楢葉町の知人が、避難をしてきた。会って話を聞くと、その日の朝、町内に、全員避難するよう、指示があったと。その時、ヨウ素剤を持ってきたという。びっくりした。いわき市では、被ばくの予防措置として、ヨウ素剤を配布した。隣組には、ヨウ素剤を、服用しなくてはならない若い世代のは、居住していない。町内会の末端の班長として、市役所に、情報を取に行き、それをコピーして、25軒分を、ホッチキスで留めて、配布してあるいた。電気とガスは、普通に使えたので、ありがたかった。自主防災会の組織はあっても、まったく機能していなかった。画像は、五年前の、3月18日に、市役所からのお知らせのもの。