一陽来福  ~齋藤一陽による截金の日々~

伝統工芸。截金職人齋藤一陽が、日々の物創りの様子を紹介します。

つらつら椿つらつらに。

2011-02-24 12:05:16 | 花の眠る場所。
つらつら椿つらつらに


万葉のころ。山には自生の椿がつらつらと、咲きみだれていたのでしょうか?


さて、その頃山に咲く山茶花と藪椿などが万葉の人の目に区別されていたかというと、なんとも難しいことだと思います。
そしてそのままいつの頃からは分かりませんが中国に渡って行ったのだと思うのです。

サザンカは、中国語でツバキ科の木を「山茶」といい、その花を「山茶花」と称したことに由来するそうで、「山茶」と呼ばれる由来は、葉がお茶のように飲料となることから、「山に生える茶の木」の意味だそう。
日本では遅く、中世に中国から逆輸入のようなかたちで「山茶花」の名が現れ、江戸中期頃から定着したようです。
今私たちが一般に目にしている椿は、実は中国より渡ってきた種なのだそうです。
山茶花の関連記事はこちら→http://blog.goo.ne.jp/ichiyo_raihku/e/8ef573f9d4559cba85edc3b1a79beb90

しかしやはり日本人の心にうつる椿といえば、藪椿のような気がします。


なごり雪

山ふりつもり こごえける

あかく咲きつる 椿落ちらん


雪のまだ残る山の辺を さくさくと歩いていく すると ぽとり ぽとりと あかく椿の花が落とされていて ハっとつよく心にのこる

太陽が衰え、大地の生命力が深く眠る冬期に、復活の儀礼として明るい陽春を予祝した椿は、文字通り、春を言触(ことぶ)れる花木として重要な意味を持っていた花のひとつなのだそうです。

陰に満ちた冬にあって、花は陽の進出する場となり、
中でも椿は一番に咲き、春を寿ぐ。

奈良のお水取りなどでも、椿の花が使われていますね^^

昔、鎌倉期も終わりころまでは、宮中にも卯杖という春の儀式というものがあり、山からもたらされた杖(棒)で大地を突き、陽の魂を地に植える。それにも椿の木が使われることもあったそう。
また民衆の間でも山より女たちが椿の枝を持ってきて春の言触(コトフ)れをしていたようです。

陰の中にあり、陽の進出の場をいち早くつくりだす椿が、邪を祓うものとして文様の中に現れてきたのも、とても自然なことなような気がしています。

でもちかごろでは、春といえば、桜・梅・桃など寿ぐ花は咲き乱れ、椿は愛されてはいるものの、少々遠い存在になっていて、
その昔、とても重要な役割を担っていながら、わたしは少し寂しいような気がしています。
まだこのようにして、眠ってしまったような花たちがたくさんあるように思うので、その場所をまた探しだしボツボツと書いてみたいと思います。
なんだか、眠り姫を探しだすみたい^^

花の眠る場所。

こんなお花たちをほりおこして、作品に投影していきます^^←誓い!


着付け教室をはじめたお友達たちがリンクを貼ってくれました。

ふあふあくらぶ 奈良の生駒で着付け教室・苔盆栽・パン教室
http://ameblo.jp/fuwafuwapannookurimono/
京女さとこはんは一陽の帯留めを身近に実際に使って下さっています^^
ありがとうございます。

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