ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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強運の3人(その1)

2015年04月19日 15時09分15秒 | 日常生活
4月19日(日)曇時々雨

時で暮らす、じじの親戚Hちゃん夫婦が4年ぶりに帰省し

13日月曜日、空港から直行、我が家の寄ってくれた。

しかし、当日じじが体調不良で、Hちゃん夫婦と会えぬまま・・・・

Hちゃん、今回は実家の片付けなどもあり

1週間、島に滞在するとのことで、

「又、寄らせてもら」いますからとじじを気遣いながら

ホテルへ向かった。

それから5日、じじも回復し、

昨日、Hちゃん達も実家の片付けも進んだだろうから

様子を見ながら、コーヒーでも差し入れしようと準備して、

じじとふたりでHちゃんの実家を訪ねたが、鍵がかかっていた。

ホテルにいるかなぁ・・・と、ホテルに向かったら

何と運の良かったこと!

Hちゃん達は従姉妹さんの運転で全島一周に出かける直前。

ホテルの駐車場で会えたので、飲み物とおやつを渡して

じじとふたりは、母と面会したり別行動した。



そして今朝、Hちゃん夫婦が

昨日の飲み物を入れて渡したポットを返しがてら寄ってくれた。

昨日ホテル駐車場で会った時、

Hちゃんのご主人Sさんが、じじに向かって

「お互い元気になって本当に良かったですね」と話しかけてくれた。

今日も上がってもらい、4人で座って色々話すうちに

「本当に運が良かった」

「奇跡としか言えない」という言葉が何回も出た。

と言うのは、4年前、SさんはHちゃんと一緒に徳之島に帰省中、

急に心筋梗塞の発作に見舞われた。

すぐ、病院へ。

しかし、専門の先生が島にいなくて、応急処置はしたものの

病院で意識不明の重篤な状態に・・・・

じじやばばも、ずっと病院にいたけれど

重苦しい時間が過ぎた。

祈るような気持ちで交代でSさんの傍で見守った。

夜の9時前後だっただろうか?

「自衛隊のヘリコプターで、隣の奄美市の病院へ緊急搬送します」

という、一報が入り、病院からも看護師さんとか何名かが付き添い

Hちゃん夫婦は救急車で空港へ。

そして、奄美市の病院へ搬送された。

・・・その後・・・・・・・



今日、Hちゃんが話したことによれば

奄美市の病院に着いて、一応専門の先生が見て下さったが

「これは・・・・」と、暗に希望が無いようなことを口にされたそうだ。

処置室に入り、4時間位経った時、先生が出て来て

「心臓が動き出しました!」と告げられたそうだが

それでも、いつ何時急変するか分からないと。

しかし、Sさんの意識はなかなか戻らず。



2,3日後、奇跡的に意識は戻った。

その頃,Hちゃんは病院近くのホテルに宿泊しながら

病院へ通い、看病をしていたそうだが安心したのも束の間

数日後、急に病院から「心臓が止まりそうです」との連絡が入った。

慌てて病院へ走ると「AED」を使って

必死に心臓を動かそうと試みていたそうで 

それからしばらくして、Sさんの心臓は又動き出したそうだ。

じじが、「Sさんは、搬送時や、その後の記憶がありましたか?」と聞くと

Sさんは「何だか船に揺られているような気がしたのだけは覚えています」と。

ヘリコプターで搬送される途中の記憶なのかなぁ・・・・



それから、懸命の治療とリハビリとで,Sさんは少しずつ回復し

奄美大島の病院で4ヶ月間過ごした後、都会の自宅へ帰って行かれた。



あれから4年・・・・・

Sさんは、体力を付けるために、

一生懸命自転車を漕いだりしているそうだ。



Sさんの退院後、Hちゃんは、色々料理の本を読んで

体に優しい料理を作るように心がけていたそうだが

あまりにも忠実に、食材や塩や油を制限しすぎて

Sさんは栄養失調になってしまい、病院の先生から叱られたって・・・・

今だから、笑って話せるけどね・・・



今日、目の前でにこやかに話すSさんを見ていると

「本当に運が良かった!。あの日、色々な事態が

Sさんに良いように動いてくれたんだなぁ」と目に見えぬ何かが

上手く導いてくれたような気がしてならなかった。

Hちゃんは、「当時のことを思う出すと今でも鳥肌が立つ」と言う。



一緒に、旅行(徳之島への帰省)も出来る位

Sさんが元気になって本当に良かったね~。

明日、Hちゃん夫婦は、又大都会へ帰って行く。

又、数年後に元気に再会しましょうね。



※今日のブログの題を「強運の3人」としたが

これについては、又明日、もう少し書く事にするね。