ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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話を聞かない男・地図が読めない女

2008年11月20日 21時53分56秒 | 思い出

11月20日(木)室温18度

旅行から帰ってきた日と今日の温度差約10度。

今日は秋らしい1日になりそうだ。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 

もう何年になるだろうか?

「話を聞かない男・地図が読めない女」という本がベストセラーになったのは。

ばばは、この本を読んでいないが、

きっと男脳と女脳の特徴みたいなことが内容になっているのだろうか?

この本のタイトルは正にじじ&ばばにピッタリ当てはまる。

 

じじは、ばばが話しかけるといつも受け答えはしてくれるが

後でその返事を求めたりすると「エッ?何だったっけ」と言うことがよくある。

これは加齢によるものだけでなく、きっと「男脳」のせいなんだ・・・・・・・

一方ばばは?ハイ、本のタイトル通り全く地図が読めない女そのものです。

地理なんて一番嫌いな分野です。。。。。

 

唯一ばばが地図を見て頑張ったのは東京オリンピックが開催された年、

高校生だったばば。

世界地図を見ながらオリンピック参加国の位置と国名と国旗を覚えるという課題があった。

必死で覚えた。

テストは見事合格した。

でも、今、あの時必死で覚えた国名も国旗もほぼ全部忘却の彼方。

こんなばば、鹿児島以北の旅行ともなると、いつでもじじ頼み&娘頼み。

「目と口があるから、どこへでも行けるよ」とじじは言う。

 

じじは、若い頃からバイクが好きで60代だった父と3,40代だった義兄とじじで

日本全国あちこちツーリングを楽しんでいた。

一人で出かけることもあった。

北海道・四国・本州・沖縄と。

見知らぬ土地を風を切ってバイクですっ飛ばす・・・・男のロマンだなあ。

 

だから、どこへ旅行に行ってもどんどんあちこちへ出て行く。

ばばはしっかりとじじの上着の後にぶら下がって「引っ付き虫」状態。

 

こんなじじとばばだから、東京へ行ってもじじは毎日のように自由に歩き回り

ばばはひたすら家の周り半径1㎞内外で大人しく行動する。

 

又旅行へ行っても嗜好が真逆のじじとばば。

じじの好きなもの・・・バイク他機械類・・と言っても昨今はパソコン関係が一番の関心の的。

ばばの好きなもの・・・本・おいしい料理・ウインドウショッピング。

 

だから、今回の旅行でも東京滞在7日間、じじは毎日秋葉原へ出かけた。

小さな部品を買って帰ることもあれば、手ぶらで帰ってくることも多く、

(戦果なしか?)と思いきや旅行から帰ってくると

大きな箱がドオ~~ンと届いた。

(お主やるな)

またまたパソコンだ。全くもう~~~。

 

ばばは、チマチマと近所の商店街を回っては書店を覗き、

珍しいお菓子や食材はないか目を凝らし

素敵な洋服はないかとキョロキョロ。

でも、お店に入る勇気はない。

だって、店員さんにあれこれ言われるのが嫌だから・・・・・・

 

そしてそして、、ばばが娘たちに自ら告白して笑われたことと言えば、

約9ヶ月前にもブログに書いたと思うが「右折病」。

娘たちの住まいまで駅構内を出ると6~7分。

駅から家に帰る時は胸を張って堂々と迷うことなく一直線に帰れるばば。

しかし、家から駅へ向かう時は

どうしても二つ目の角のコンビニ前に来ると「右折」したくなるのだ。

娘たち、じじからは「ばばは、かえって遠回りしているよ。

駅に行けないことはないけど何でそんな遠回りをするの?」と不思議がられ、バカにされる。

 

でも・・・・ね、遠回りって言うけどじじ&娘たちと歩く同じ道なんだよ、ばばが通っているのも。

「じゃ、お母さん、右折してなくて私たちと同じ道を歩いてるんだよ。

お母さんの頭の中だけで右折したつもりになっているのかも。

お母さんって不思議・・・」と娘たちは言い、

長女も「お母さんって本当に不思議ちゃん」と笑う。

じじに至ってはあきれ果て諦めきっている。

 

コンビニの角に来ると娘たちは

「お母さん、右折しちゃダメよ。直進直進。」と教える。

ばばも「直進・直進」と呪文を唱えながら歩く。

自分でも呆れるほどの方向音痴の地図音痴。

 

今回の京都旅行でも次女が「私、地図が読める女で良かった」と呟いたのを

ばばは聞き逃さなかったぞ。

ばばに似ないで本当に良かった良かった。。。。。。。。。。。。。


国は違えど

2008年11月19日 16時00分23秒 | 家族のこと

11月19日(水)

京都旅行2日目のこと。。。。。

金閣寺を散策して夕方ホテルへ帰る途中のバスの中で。。。。。

乗客がとても多かったが幸いばばは何とか座ることが出来た。

ばばの右隣には外国の方が3名。

一人は男性、二人が女性。

そして、ばばの左隣には外国人の女性が1名。

ばばの右の3名と左の3名は同じグループらしい。

 

その4名の外国人はバスに乗ってすぐからおしゃべりを始めた。

特に若い女の子が話しては笑い、時には笑い転げ・・・と言う風で

バスの中は「ちょっとうるさいモード」。

最初英語圏の人たちかな?と思ったが、一言もばばには聞き取れない。

フランスorドイツ語圏?と思ったがそうでもないらしい。

ロシアかイタリアの人たちらしいとばばは推測した。

ばばを挟んで右隣と左隣の人も何やら話すので、

ばばはよっぽど席を替わろうかと思ったが、しばらく様子を見ることに。

それにしても喋る喋る。

一体何を話しているのやら。

今見てきた金閣寺の素晴らしさでも話しているのか、

それとも全く別のことなのか?

少々うるさいが、我慢できないこともないし、

ばばは黙って意味不明の会話を聞くともなく聞いていた。

 

どのくらいの時間が経っただろうか、バスは下りる人は少なく後から後から乗ってくる。

ある停留所でおじいちゃんが乗り込んできた。

すると、「おしゃべり4名グループ」の男の人がサッと立って

そのおじいちゃんに「どうぞ」というような身振りをしたのだ。

するとおじいちゃんは、笑顔で会釈をして外国の男の人が座っていた場所に腰を下ろした。

 

それからバスは又いくつかの停留所を通過したが、

「おしゃべり4名グループ」は

高齢者や荷物を抱えた人が乗ってくるたびにサッと立って席を譲った。

席を譲られても座らない方もいたが・・・・・・

ばばは見ていて何とも言えないあたたかい気持になった。

言葉では意思疎通が出来なくても、

身振り手振りで高齢者にごく自然に席を譲った外国の若者達。

それに引き替え、このバスの中で

ばばを初め日本の人たちで高齢者に席を譲った人はいなかった。

高齢者でも席を譲られて快く座って下さる方もおられるが

無視して?立ち続ける人もいる。

席を譲るっていう行為もなかなか難しい。

そう言えば、バスや電車の中で席が空いていても最初から座らない若者も多いが

途中で席を譲ることが煩わしいからなのかなあ・・・ 

 

 

ばばが下りる停留所が近づいた頃、バスはますます混み合ってきた。

運転手さんが「もう少し中へお詰め下さい。ドアが閉められません」

と繰り返しアナウンスした。

見るとドアの近くで若い青年が携帯片手にメールか何かに夢中になっている。

運転手さんは繰り返しアナウンスするが青年は気づかないらしい。

バスは発車できず、ついにばばの近くに立っていた中年の男の人が

「あなたに言っているんですよ。もう少し中に詰めて下さい」と言うように

青年の肩をポンポンと軽く叩いた。

すると、青年は中の方に詰めるには詰めたが

憎々しげな目で中年男性の方をにらみ返した。

 

ばばは(こういうシーンの続きで傷害事件が起きたりするんだよなあ)と

ハラハラしながら見ていた。

ばばの降りる停留所にバスが止まって、ばばは下りたが

青年と中年男性のことが気がかりだった。

 

このバスの中で見た何気ない光景から改めて

若いから、年寄りだから、外国人だから、日本人だからという前に

人間として一人一人が「思いやりの心」を持ち合うことが出来たら

(きっと良い世の中になるだろうな。。。。)なんて気障なことを考えたばばだった。

 

 


思い出せるかな?

2008年11月18日 19時27分16秒 | 家族のこと

11月18日(火)後小雨

朝は昨日抜歯したところの消毒に行ってきた。

夕べ発熱することもなく今回はホッ。

でも、やはり朝まで少しずつ出血は続いていた。

歯科医院では先生から「昨日はよく頑張りましたね」と話しかけられ

(まるで小さい子がなだめられているようだな)と内心苦笑。

日々、傷口も固まっていくだろうし・・・・・と思いきや

下の歯も2本抜くということ。

一本は根っこしか残ってなくて、もう一本もぐらぐら動くので

一緒に抜いて治療した方が良いとのアドバイス。

ボツボツ真面目に歯科医院通い続けましょう。

 

一昨日、旅行から帰ってきた時は気温が27、4度もあり

「やはり島は暑いなあ・・・」と思っていたのに

今日は夕方から急に冷えだし、今の室内気温24度。

風が強く雨も降っていたので夕方の買い物はちょっとつらかった。

 

島に帰って2日。

記憶が薄れないうちに旅行の思い出を書き残しておかなくちゃ・・・・・・

旅行の思い出と言えば、旅行から帰った翌日から娘二人に

「ハイ、お母さん今回の旅行で行った場所を順序よく答えて下さい。」と言われ

大いに焦った。

「まず、清水寺へ行って、三十三間堂へ行って・・・・・」

と頭をひねりひねり答えると

「じゃ、1日目のお昼は何食べましたか?」ときた。

ウヒャー助けてくれぇ~~~。

昨日の昼何食べたかさえ忘れてしまうばば。

数日前の昼ご飯なんか簡単に思い出せないよぉ~~~。

 

ばばが迷いに迷っていると「ほら、○○食べたでしょう」とだめ押しが出る。

 

今回、家族旅行をしようと決めてから、

全ての計画を次女が三女の意見を聞きつつ設定してくれた。

新幹線のチケットの手配、ホテル、京都で回る場所、バスや電車のチケット等々。

ツアーではなく、自分たちで行きたい時間に行きたい場所へ行く・・・・・

簡単に言うけれど、計画を任された次女は2ヶ月くらい練りに練って

スケジュールを組んでくれた。

本当にご苦労様、そしてありがとうね。

 

京都のホテルも10月に新築なったばかりの真新しい建物で

部屋も広々していて、おまけに宿泊代は驚くほど安く、

おまけに朝食は「おいなりさん3個と巻きずし2個」が小さなパックに入って

希望する時刻に毎朝届けられる。

お風呂も大浴場もあり。。。。。。

 

見て回った場所は紅葉がきれいな名所旧跡が多かった。

清水寺・三十三間堂・京都御所・東福寺・青蓮寺・祇園界隈・

嵐山・宇治上神社・安倍晴明神社・金閣寺・龍安寺・

 

島では紅葉らしい紅葉を見ることがないので、本物の紅葉を見たばばは大感激。

ばばは降り積もった紅葉の上に寝てみたい誘惑に駆られた。

又、今回訪れた場所は「いにしえ人」の息づかいが聞こえるような場所ばかりだった。

外国からの観光客もたくさんいた。

燃え立つような紅葉の下、記念撮影をする人も驚くほど多い。

さすが名観光地、京都。

 

京都と言えば、京料理もばばの楽しみの一つだった。

娘二人は美味しい食事処を捜すために携帯電話をフル活用。

お豆腐のコース料理も食べたし、「八つ橋」も食べたし満足満足。

娘二人が食べたいと言う「行列の出来るお餅屋さん」で大福を買って

鴨川河畔のベンチで食べながら(家族って良いなあ)と改めて思った。

 

今支度のパソコンの前に座って旅行のことを思い出していても

幸せな気分になれる。

 

今回巡った場所はお寺が多かったので

後半じじは少し飽きたようだが、娘二人とばばは大満足。

まだまだ見足りなかったと言う娘たち。

改めて又京都へ行くらしい。

 

今回不思議だったのは2日目頃から娘たちは

「足が疲れた」なんて悲鳴を上げていたがばばは至って元気。

「年とれば、3、4日後くらいに疲れが出る」と脅されたが

未だに旅の疲れは出ない。

やはり、じじと毎日夕方の散歩をしていたのが良かったのだろうか。

今後も元気で、じじと・・・娘たちと・・・・あちこちへ楽しい旅行をしたい。


意識朦朧?

2008年11月17日 21時49分17秒 | 家族のこと

11月17日(月)時々曇り

久しぶりの我が家での目覚め。

じじは昨夜遅くまでかかり、

今回の旅行で買ってきたパソコンの部品組み込みに成功!

早朝からパソコンの前にいたらしい。

ばばはゆっくり起き出して仏様の水を替えたり

庭の植物に水をかけたり燃えるゴミをまとめて出したり

ちょっと片づけをしていたらあっという間に半日は過ぎた。

 

昼からは旅行に出発する前の日で「歯の治療予約」をしてあったので出かけた。

行く前から(今日は、もしかしたら抜歯かも)と思っていたが予想は当たり

上の歯2本を抜歯しなくてはいけなくなった。

若い頃から歯の治療では、抜歯後の血が止まらず鹿児島の病院まで行ったり

抜歯後に破傷風になって生死の境を彷徨ったりした苦い経験があるだけに

「抜歯」と聞いただけで緊張して体が硬くなってしまうばばだ。

 

先生が「ゆっくりゆっくり抜きますから大丈夫ですよ」と言いながら

麻酔をして数分。

部分麻酔で自分の体であって自分の体でないような状態で抜歯は始まった。

先生が器具を扱う感触が分かる。時々何かを細かく切り刻むような感触、

何かを差し込むような感触がする。

たまに「痛い!」と体が硬直する。

その度に先生は

「大丈夫ですよ。ゆっくりゆっくりやりますからね」と優しく声をかけてくれる。

 

とても長い時間に感じられたが、どれほどの時間だったろう?。

「よく頑張りました。終わりましたよ」と、先生の声。

続けて「軽くうがいをして下さい」と・・・・・

 

うがいをしようとすれども、唇も麻痺してしまったようで

うまくうがいは出来ず口の端から勝手に水がこぼれる。

と同時に、出血が・・・・

慌ててハンカチで口を押さえたが、自分が寝ている診察台?にまで血が・・・・・

血に弱いばばは、それを見ただけでめまいを感じ、

その後はほとんど夢現で診察台に寝たまま何回か傷口の消毒をされ、

痛み止めの薬を飲まされ、

最後に止血のためにガーゼを丸めたものを8個もらい、やっと診察台から下りた。

受付で精算し、「明日1番で消毒に来て下さいね」

と言う事務員さんの声を後に車を運転して帰った。

 

家についても気のせいだろうが、体全体がフワフワした感じと

抜歯後の痛みと口中の違和感で声も出せず。

昼寝から覚めたばかりのじじとはゼスチャーと筆談で会話。

「どこからか電話が来たら出てね。少し眠るね」と書いた紙をじじに見せ

ばばは4時過ぎから6時まで寝てしまった。

目覚めると当たりは真っ暗。

(そうだ!じじのため刺身を買ってこなくちゃ)と頭では思うが体が動かないので、

暗い中でじぃっとしていた。

心配したらしいじじが枕元へ来て「まだ痛いか?」と聞くのに

止血のガーゼをくわえたまま「うん」と答えると

じじは自分で買い物に行ってくれた。

そして、自分で刺身のツマを並べ、

お昼のおかずの残りなどを冷蔵庫から引っ張り出し寂しい夕食。

ごめんね、じじ。

明日はきっと血もしっかり止まっているだろうし

普段の「口うるさいばば」に戻るからね。

 

でも、今日、口にガーゼをくわえ、ほとんど話せないままで過ごしたことで分かった。

身振り手振りでじじとは充分意思疎通が出来ると言うことが・・・・

(これが、長年連れ添った夫婦っていうものかなぁ・・・)。

 


ハプニングから始まった

2008年11月16日 22時26分54秒 | 家族のこと

11月16日(日)時々

2週間近くもブログを休んでしまった。

ばばが、ブログを書き始めてから初めてのことだ。

2週間近く、ブログも書かずに何をしていた?

実は、遊び回っていました。

 

家にいたら3度3度のじじの食事の世話、掃除洗濯くらいしかしないのに

時間の経つのが早くて早くて・・・・・・・・

でも、ブログをサボっていた2週間は中身のぎっしり詰まった日々で充実の日々だった。

2週間の間のことを思いつくままに少しずつ書いてみよう。

 

11月5日。

楽しみにしていた旅行出発。

普通、少しでも早く東京に着きたくて必ず12時35分発のチケットを取るのに

今回は、徳之島発15時55分のチケットを前もってとってあった。

その訳は、今回ばばは、じじの「お供でマイル」サービスを使っての旅で、

鹿児島発が19時過ぎ発・東京着21時過ぎのチケットしか取れず

娘宅に着くのは何と夜中の11時前後だという。

あぁ~~~~~あ。

厳しい旅の予感。

 

どうせ、徳之島を12時過ぎに発って鹿児島で7時間近く待つよりは

我が家でゆっくりして出発しようと言うことで徳之島発も遅い便にしたのだ。

 

でも、何故か前の晩からばばは

(徳之島を早く発って鹿児島まで行けばキャンセル待ちとかで早い便に乗れる)

という確信のようなものがあって、出発の朝、じじに提案した。

すると、じじも賛成したので急遽予定変更、じじの車で出発。

 

空港に直行、カウンターで相談してみた。

幸いなことにカウンターには、じじのかつての教え子、Aちゃんがいて

徳之島発は早いチケットに切り替えることができた。

でも、鹿児島から東京へ行く便は満席とのこと。

 

しかしここで思わぬハプニング1号が!

何と、定刻12時35分徳之島発の飛行機が機材の故障で

代替機が来るという。

それも、羽田から鹿児島に到着した飛行機を徳之島に回すとか・・・・・・・

そのため、飛行機が1時間以上遅れているという。

と言うことは・・・・鹿児島着も遅くなり・・・

(待つ場所が違うだけで時間は変わらないじゃん)等と思っていると

何と、チケットと一緒に「千円のお食事券」を差し出された。

 

以前のブログに書いたが、ばばが飛行機で旅行するとろくなことはない・・・・と言うか

結果的にはハッピーなんだけど・・・色々なハプニングがある。

行き先が変更になったり、せっかく乗った飛行機に一時間近く乗ったまま待たされたり

数名の搭乗者が遅れて出発時刻が大幅にずれて搭乗予定の飛行機に乗れず

航空会社が準備してくれたホテルに一泊したり等々。

 

じじも過去のハプニングを十分承知していて、

カウンターで「お食事券」が差し出された時は(またしても・・)と言う顔で

ばばを見てニヤリと笑った。

ばばも可笑しくなって笑ってしまった。

本来なら、二人は「お食事券」をもらう資格はなかったんだよね。

だって、遅い便に乗るはずだったんだから。

 

じじとばばは初めから長い待ち時間を予想していたので

(昼ご飯も夕ご飯も空港で食べることになるだろう)と

二食分の手作り弁当を持っていたんだよね・・・・

おまけに、行きつけの魚屋さんのお姉さんが、

前日捕れたてプリップリの魚で刺身を切ってくれ

「冷凍室に入れておいて明晩、東京で食べなさい。ちょうど食べ頃で美味しいよ。

島からクール宅急便で我が子に刺身を送る人もけっこういるのよ」と持たされたので

「お刺身」まで飛行機に乗せる羽目に。

 

じじとばばは顔見合わせてニヤニヤ笑いながら、空港のレストランに入り

「お食事券」に少しプラスして昼食を済ませた。

 

レストランから外に出たところで、チケット販売カウンターに座っていた、

Aちゃんがじじとばばの方に走ってきた。

何事かと驚いていると「鹿児島、東京間の便にキャンセルが出ました」って。

それで、わざわざじじとばばを捜していたみたい。

Aちゃんは、せっかくキャンセルの出たチケットが他の人に押さえられるのではと

気が気ではなかったらしい。

そんなこととはつゆ知らず、のんびりニコニコレストランに座っていたじじ&ばば。

 

なんてありがたいことでしょう!!!

じじとばばは、その子に何回も頭を下げ御礼を述べ無事チケットも入手。

 

そして、普通より1時間と少し遅れの徳之島発の機上の人となり・・・・・・・・

鹿児島での待ち時間もそんなに長くなく、

何と予定より4時間も早く東京に着くことが出来たのだった。

めでたし、めでたし。


ばばの髪型

2008年11月04日 15時57分43秒 | 家族のこと

11月5日(水)

ブログにも何回か書いたが、ばばの母は躾が厳しかった。

おしゃれなんてとんでもない!

ばばの小学生時代の髪型は「ちびまる子ちゃん」。

当時は、美容室なんてあったかどうか、子どもの散髪は親がするのが普通だった。

ばばの髪は、今は亡き姉が切ってくれていた。

しかし、一直線のはずの前髪は右肩上がりの時も左肩上がりの時もあり

横は耳のすぐ下あたりでカット。

後はどうだったろう?

小学生でも友達の中にはパーマをかける子もいた。

パーマと言っても今のような薬品を使ったりしてかけるのではない。

なんと、お母さんが鉄火箸を竈で温めて熱くし、

それで子どもの髪をくるくる巻くのだ。

今流に言うならカーラーで巻いたのと同じようなことかな?

少しウエーブがついて友達はとても可愛く見えた。 

 

中学生になって友達は髪を伸ばし前髪は横に流したり

後ろ髪も二つに分けて結んだり、三つ編みにしたりしていたが

ばばは、やはり小学生時代の髪型のまま。横髪の長さが少し長くなったけど。

前髪が少しでも眉にかかるとすぐカットされた。

 

そんなばばは、高校に進学した時も入学時は耳も見えるくらいのショートカットだった。

初めて髪の毛を伸ばしたのは高校1年生の3学期頃。

充分な長さではなかったが三つ編みにした時、とても嬉しかった。

初めて三つ編みをした時の嬉しかったこと。

それからはどんどん伸ばし、腰のあたりまで伸ばした。

大学に行って、またおかっぱになった。

そして卒業し、島に帰る直前に、鹿児島で初めてパーマを当てた。

どんなに大変身するだろうか、ばばの期待はいやが上にも高まった。

しかし、しかし。。。。。。。。。。。。。。

まん丸顔で、おかっぱの髪にパーマを当てたら・・・・・

 

結果は、ますます顔はまん丸になり、頭は大きく見え、さんざんだった。

パーマを当ててすぐは、少しウエーブもあったが、

数回洗ううちに元の直毛に。

期待はずれの結果に、(なぁんだ、パーマって大したことないんだ)と思い、

それからは、髪を伸ばしてもあまりパーマは当てなかった。

 

ばばの髪は「これでもかっ」っていうほどの直毛。

おまけに細くてパーマはかかりにくい。

ソバージュが流行って、ばばも挑戦したが、

美容院で「すてき!」と褒められ、自分も喜んで帰ってきて

ウキウキしていたのに、次の日は「ストン」とストレートに。

今でもこの時のことは美容院で語りぐさになっている。

 

その後はパーマは諦め、ヘヤーバンドをしたり、結んだり、

「とにかく、うっとうしくならないように」ということだけには心がけてきた。

 

じじが結婚当初「長い髪が好き」と言うので髪を伸ばしていたが

長女ができ、当時、髪の手入れのために海を渡って

半日もかけなければならない加計呂麻住まいということもあって

ある日、じじの手でバッサリカットしてもらった。

それ以来、肩より長く伸ばすことはなかった。

 

しかし、いつもひっつめて結んでいるので

行きつけの美容室のオーナーが先日は

「もぅ~~ばばちゃんは。結んじゃダメって言ったでしょ。

抜け毛も増えて髪少なくなっちゃうよ。結べない長さに切っちゃうよ」

と言ってカットしちゃった。

 

でも、又2週間もすると「ひよこの尻尾」ぐらいに伸びた髪の毛を

無理矢理結んでいるばばだ。 

 

 

仕事も辞め、少しぐらい身ぎれいにパーマでもと思うが、なかなか・・・・・・

やはり、後でひっつめてしまう。

 

ばばの母は、生涯「ひっつめ髪」だった。

最後、病院に入院した時、病院の方で、

ばばたちに断りなくベリーショートにされていた母の姿に涙が出た。

ばばが小学生の頃、母はすでに50才に近かった。

当時から母は髪はひっつめ髪だった。

パーマをかけることもなく、生涯おしゃれもしなかった母。

 

一方、父は生涯丸刈りだった。

父大好きっ子だったばばは、良く父に頼まれて

まず父がバリカンで自分の散髪をする。

その後ばばが後など父が自分でよく見えない部分や刈り残した毛を

バリカンで刈ってあげ散髪の仕上げをした。

 

両親の髪型を思い出しながら、ばばは、さてこれからどんな髪型をしていこうか

ちょっと思案中。

 

 


24時間保育所

2008年11月04日 15時49分46秒 | 家族のこと

11月4日(火)時々

2週間ほど前、テレビで「24時間保育所」が取り上げられていた。

最近は、仕事をするシングルマザーが増えて「24時間保育所」の果たす役割は大きいと。

朝10時頃から夜中の1時頃まで小さい子を預けて仕事をしている若いお母さんや、

片道2時間かけて、この保育所に子どもを預け仕事をしているキャリアウーマンもいた。

24時間、我が子を預かってくれる場所があるとお母さんも安心して仕事が出来る。

でも、預けられた子がずっと泣いて、食事の時もぐずり、寝る時も泣きながら寝て

涙を流した寝顔を見た時は、子育てしながら働くお母さんの辛さを思った。

子どものことは愛してるし、ずっと一緒にいたい。

でも、子どもを預けなければ仕事できない。

ばばも、3人の子をじじ両親に預けてずっと仕事を続けたので

預ける方、預かる方の気持ちも分かるつもりだ。

 

食事をしながら、じじが「加計呂麻から帰って、娘たちと対面した時、

長女にそっぽを向かれた時はつらかったよなあ」とぽつんと言った。

3ヶ月から両親不在(じじとばばは加計呂麻で仕事をしていた)で

長女にとってはじじ両親が「本当の親」という生活を2年7ヶ月もしてきたんだもの、

加計呂麻から帰って来た「ちょっと若い男の人と女の人」を「自分の親」として認識するには

離れて暮らした時間と同じくらい、いや、それ以上の時間が必要だったんだよね。

じじとばばが徳之島に転勤になるまでの半年間じじ両親に預けられ、

じじ両親、1才上の姉(長女)と暮らした次女は

1歳半まではじじとばばが育てたので、

やはりじじとばばのことを覚えていてすぐに飛びついてきた。

 

テレビに出ていた母子は1日のうちどの時間かは母親に抱っこされる時間がある。

うちの長女は2年7ヶ月、次女は半年の間、じじとばばの夏・冬休みを除けば、

月に数時間しか親と会えなかった。

今でも、あの当時のことを考えると胸が痛くなる。

 

テレビに出ていた24時間保育所のひと月の保育料は16万円だと言っていた。

預ける時間によって保育料は違うと思うけれど、

保育料の他に家賃・生活費と考えると

女が一人で子どもを抱えて生きていくことの大変さを思った。

 

ばばは勤め始めた頃は結婚と同時に仕事を辞めると決めていたが、

じじ父の「これからの社会は女の人も仕事をする時代だと思う。

私たちも出来るだけ協力するからばばちゃんが辞めたいと思う時までは

仕事を続けてみたら?」という一言でばばは40年近く仕事を続けることが出来た。

今は女性もどんどん社会進出して結婚しても仕事を続ける人は多いが

ばばが勤め始めた頃はそうでもなかった。

ばばの場合、じじ両親や、じじ叔母、ばば姉の全面的な協力で心おきなく仕事が出来た。

でも、今は核家族化が進み、ばばの時代とは世の中も大きく様変わりしつつある。

 

働く女性をサポートする強力なシステムがあれば安心して仕事できるのになあ。

 

都会では我が子の保育料16万円払って、生活も出来る仕事もあるかも知れないが、

島ではとてもそういう仕事はないと思う。

公務員でも、16万円保育料を払える人はいないかも・・・・・

 

昨日、スーパーで顔見知りの店員さんと少し話した。

東京の家賃の話になり、二部屋あるアパートを借りると

15,6万もするという話から、

「え~~っ、3人共同で借りても家賃払ったら食べるのがやっとですよぉ~~」

と店員さんは言い、

「もし二人でそんな家借りたら、家賃で給料の半分以上飛んでしまう。

生活できないよねぇ。」と続けた。

そして、「東京の家賃って高いよね。もう少し安くしなければ

ちょっとやそっとでは東京では暮らしていけないよねぇ・・・

そんなに給料を多くもらえる人って少ないだろうに」とも言った。

ばばは「Mさん、あなたが総理大臣になって、もう少し家賃や土地代など

安くするようにしてちょうだい」と言うとMさんは笑った。

 

ばば達は、今、島に住んで持ち家もあるから

物価が高いと嘆きながらも暮らせるが

都会で家を借りたり家を建てたりする人たちは大変だろうなと思う。

 

様々なライフスタイルを持つ人たちがいる。

聞くだけでも胸が痛むような暮らしをしている人たちがいる。

みんなが安心して暮らせる世の中なんて

現代では「砂上の楼閣」なのだろうか?


ドーナツはいかが?

2008年11月03日 16時41分40秒 | 日常生活

11月3日(月)時々

ばばは、掃除・洗濯・炊事、まあ、一応は好き。

掃除は、きれいになったら気持ちが良いし、

洗濯も洗い上がった洗濯物をお日様の光に当てて干すのはとても気持ちいい。

炊事もレシピ本など片手に作るわけではないが

ちょっとダシを工夫したり、調味料を工夫したり、

食材を工夫して新しいメニューが出来た日などはとても嬉しい。

去年、公民館講座の島料理教室で学び始めてから

お菓子系?を作るのが好きになった。

講座で学んだレシピを、ほとんど家でも復習を兼ねて作ってみる。

カハ餅・ふくれ菓子(ソ-ダ餅)・かるかん・ドーナツ・ピーナツ豆腐・

タンカンゼリー・はったい粉餅・白玉ぜんざい・芋餅などなど。

台所を片づけながら「あっ、小麦粉が少し残っている、卵がたくさんある」と思えば

ホットケーキミックスを加えてドーナツを作ってみる。

スーパーで山芋を見つけたら「アッ、かるかん作ってみようと・・・・」となる。

味見役のじじは大変だけど・・・・・

 

今日は先日習ったかるかんを作ってみようと思い立った。

かるかんは鹿児島のお土産としても有名だが

自分で作ったことはなかったが先日講座で簡単な作り方を教えてもらった。

うるち米粉と山芋・砂糖・卵白を混ぜてミキサーでガァ~~~ッと回した生地を

型に半分ほど入れ、あんこを入れ、その上に又生地を入れて20分ほど蒸せば完成!

講座ではシンプルなのを作ったが、ばばは紫芋と抹茶入りを作ってみようと思い立った。

生地の半分には紫芋を入れ、後の半分には抹茶を入れた。

芋の生地には粒あんを、抹茶生地の方にはアンの代わりに5色煮豆を入れた。

ちょうど20分で良い具合に完成。

熱々をじじに味見してもらった。

「おいしいっ」とじじ。やった~~~。

しかし・・・・・・・・・・・・・・・・

かるかん用の型がなかったのでシリコンの型にアルミ容器を入れて

生地を入れて蒸したのがいけなかった。

アルミの型にかるかんが引っ付いて剥がすのが一苦労。

せっかく味はとても美味しくできたのに。。。。

でも、慌てることはないさ。だって、じじと二人のお茶請け用だもん。

そうそう、じじ母と、ばば姉にもお裾分けしなくちゃ。

味はお店で売っている物に負けないくらい美味しくできたのに、

食感があまりにモチモチしすぎる。

それに、見た目がねぇ。。。。。

公民館講座では型がなかったので湯飲みに生地を入れて蒸し、

蒸し上がったところで湯飲みの周りにぐるっとスプーンの柄を入れるときれいに抜けて

裏返すときれいだった。

表面よりも底面の方がきれいだった。

ばばも型を工夫したらもっと見栄えがしてきれいに出来たかも知れない。

次の課題にしよう。

 

かるかんでは卵白しか使わないので卵黄が2個分残ってしまった。

卵焼きにするのは簡単だが。。。。。。

食品庫から使いかけの小麦粉が出てきた。

約300グラムくらいありそうだ。

ばばの頭の中ではまたぞろおやつ作りのイメージが。。。。。。

「そうだ、ドーナツを作ろう!」。

小麦粉に、ホットケーキミックスを足して、卵と砂糖と

マーガリンと酢を加えて混ぜた生地を約2時間寝かす。

その間に夕食の買い物を済ませ、簡単なおかずを作り、じじと語り笑いながら夕食。

早めに夕食が終わったばばは、ドーナツ作りを始める。

焦がさないように・・・・・気をつけながら・・・・

そして約30分後、画像のように山盛りのドーナツが完成。

まず、じじに味見してもらう。

「美味しっ!じじこれ好きなんだ!」と孫の口調を真似て言うじじ。

ばばも味見をする。

おいしい!大成功!

でも・・・・・こんなに作ってどうする?

常連さんにお裾分け。

明日は出かける予定があるので、そちらへもお裾分けしようかな?

娘や孫達が近くなら熱々を食べさせてあげたいな。

おやつでも、お総菜でも、美味しく出来た時はいつでも思う。

お~~~い、ドーナツいりませんかぁ~~~~~。


お受験結果

2008年11月02日 22時47分34秒 | 家族のこと

11月2日(日)後小雨

昨日はは夕方から

ばば「今日、どうだったかなあ・・」

じじ「電話してごらんよ」

ばば「やっぱり明日、向こうからの連絡待った方が良いよ」

じじ・ばば「そうしよう。それが良いよね・・」

しかし内心はそわそわドキ、ドキ。

 

実は昨日は娘の次男の「入園試験?」。

孫はまだ2才7ヶ月。

来年4月から幼稚園へはいるために試験があるという。

どんな試験なんだろう?

子どもの行動を見たり、両親の面接で教育に対する考えなどを聞くのだろうか?

娘夫婦は、3年前の長男に続いて2回目我が子の「受験?」

じじ&ばばも、何だか落ち着かない。

ましてや、当事者の娘夫婦は数ヶ月前から大変だっただろうね。

 

長男の試験の時は、面接では「お名前は?」「○○君、何歳?」とか聞かれたらしい。

そこで、娘は長男の時のことを思い出しつつ、次男にも簡単な受け答えの練習等をさせたそうだ。

初めは「お名前は?」と娘が聞くと孫も「お名前は?」と返し

「何才ですか?」と聞くと「何才ですか?」とオウム返しをしていたそうだ。

 

しかし、練習を重ねると受け答えもだんだん上手になって来たと娘は喜んでいたらしいが

練習とは言え、あまりに毎日同じようなことを聞かれ答えているうちに

孫は「反乱?」を起こした。

娘が先日電話で話すには「お名前は?」って聞くと、両ほっぺを両手で引っ張って

「アッカンベ~~」とするようになり

時にはわざと、お兄ちゃんの名前を言ったりするようになったって。

さすが、娘は心配になったらしいが、そこは2才7ヶ月の次男坊、何とかなるでしょう。

 

娘からの電話から約2週間、昨日は、いよいよ緊張の受験本番の日だったのだ。

じじ&ばばもヤキモキ1日を過ごした。

 

そして、今日が合否発表の日。

ばばは朝から出かける用事があり、じじも別の用事で

ばばとほぼ同時刻に家を出たので、

留守にしている間に連絡があるのでは?と落ち着かない。

 

ばばが家に帰ったのは12時前。じじは既に帰っていた。

玄関を入るや、ばばはじじに

「電話なかった?」「留守電入ってない?」って聞いたけど、

「いや、何にも・・・」とじじの返事。

 

連絡あるにしても、夜になってからかな・・・・

と思い、昼ご飯の準備をしようと台所で料理を始めた途端、

「リリ~~ン・リリ~ン」電話のベルの音。

「娘からだ」と直感して電話の前に。

予想通りだったので「おめでとう」とばばが言うのと

「お母さん、○○合格したよ」って娘が言うのがほぼ一緒だった。

ばばって、心配しながら心の中ではきっと孫は合格するって思っていたんだよ。

 

電話で娘が話すことには孫は園長先生との面接で

「お名前は」と聞かれても「お兄ちゃんは?」と聞かれても

子どもに大人気のアニメの主人公の名前を言ったり

独り言を言ってはニコニコ笑っていたそうだ。

園長先生が「そう、○○君のお兄ちゃんは今日はお留守番なの」と誘導されたと。

 

昨日、受験に向かうため家を出る時は

娘の胸にコアラのように抱きついて離れなかったらしいが、

幼稚園ではニコニコして機嫌も良く楽しそうだったと娘は喜んでいた。

 

来年4月、孫は満3才の誕生日から約一月で幼稚園に入園する。

母親ベッタリの生活から、たくさんのお友達との生活が始まる。

たくさん、たくさん色々な体験をして優しくたくましく成長して欲しい・・・・

というのがじじとばばの願い。。。。。


振り向きもしない

2008年11月01日 14時52分28秒 | 日常生活

11月1日(土)

夕方の散歩。

よっぽどのことがない限り、農道・山道?をじじ&ばば、ばば姉の3人で歩く。

最近は日暮れが早いので、4時になるとそろそろ出発だ。

昨日は、一昨日雨だったので、いつも通る道は2カ所冠水して歩けなだろうと思った。

でも、じじが「その道を行く!」というので従った。

家を出た時はまだ暑かったが、ばばは帽子も被ってない。

「じじ~、もしかしてその帽子・・・・」と言いながらじじの帽子をサッと奪って被ろうとしたが

なんで?じじよりばばが頭が大きい?

じじの帽子はばばの頭に入らない。残念!

ばばって、よっぽど頭が大きいんだ。いやだなあ・・・。

途中、姉と合流。

じじは二人を置いてどんどん先に行く。

そう言えば、姉と合流する前「ばば達姉妹ときたら、ガサガサうるさいんだから

鳥たちが寄りつかないよ」ってじじに言われた。

いつもアカヒゲの写真写すポイントは雑草生い茂る生姜畑の隅っこ。

雑草が伸びすぎて地面に降りたアカヒゲも雑草の陰に隠れて見つけにくくなった。

余所様の畑に入り込めないので、下り坂の途中から伸び放題の茅や

アメリカセンダングサ越しにじじは写真を撮る。

姉はとても気が利くので、自分の前はもちろんじじの前の茅なども束ねて結んだりして

少しでも写真が撮りやすいようにと気を配るのだ。

しかし、じじからすると、ガサガサ音がすると鳥が近寄らないと気を揉むらしい。

でも、面と向かって言っても悪いと思ってるらしい。

だから、ばばと姉を置いてどんどン先に進んでいく。

道路が冠水しているだろうという場所に来た。

あ~~~あ、やっぱり!。道路は冠水しているよ。

仕方なくガードレールに掴まって道路の端っこを歩くが

ズボンの下は泥だらけ&アメリカセンダングサの種がぎっしり。

もう少し先の道路がもっとひどいことは分かっているが

じじは引き返す気はないらしく前進あるのみ。

仕方がないので後に続く。

じじは、どんどん平気で進む。腰よりも高く生えている茅を押しのけて。

ばば達も「じじに続け!」と茅を握って進む。

すると・・・・新発見。

なんと茅の中にナンバンギセルがあっちにもこっちにも咲いている。

この地点を中心に前後50メートルぐらいがナンバンギセルの群生地らしい。

じじはばば達よりもふた足も三足も速く水たまりを渡りきって遙か遠くを歩いているが

ばば達を振り返ろうとさえしない。

キィ~~~ばば達より鳥が可愛いのかい!

と、ばばは悪態つきながらやっとの事で泥水地獄脱出。

もう、じじの後ろ姿は見えなかったが「アカヒゲ他小鳥の楽園」で止まっていることは確か。

だから、ばばはゆっくりと「センニンソウ」の花や

ぎっしり付いた「イヌビワ」の実を楽しみながら先へ進む。

急な坂道を下りると案の定じじは、もう「小鳥たちの楽園」にカメラを向けてスタンバイしている。

ばば&ばば姉もじっと目を凝らすが小鳥たちは現れない。

20分くらい待ったが今日は小鳥たちは来ないらしい。

じじが「ばば&ばば姉が、ガサガサしたら小鳥たちは警戒して近寄らないよ」と言っていたし、

ばば達は遠回りコースをゆっくり歩き続けることにした。

「バイバイ」と出発の合図をして、じじ一人残して、歩き出した。

(小鳥たち来るかな?良い写真取れるかな?)と気にはなったが

じじの方を振り向きもせずにね・・・・・・・・・・。

 

この文は1週間ほど前に書いて未投稿になっていたものです。