学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

野村進『千年、働いてきました』を読む

2020-04-20 20:22:55 | 読書感想
ずいぶん前、博物館の学芸員数名と話をしたときのこと。彼らが盛んに物語性(ストーリー性)の大切さを説いていたことが印象に残っています。来館者に歴史資料をよく理解してもらうにはそれが欠かせないと言うのです。確かにあるモノを単体で紹介するよりも、大きな歴史、地域の歴史のなかで、それがどういう役割を果たしたものなのかを紹介したほうが面白い。ただ、日ごろから勘の働かない私は、そのときあまりピンせず、ただ頭の片隅にだけは残ったのでした。そういえば、近年、文化庁も「日本遺産」を立ち上げ、それは地域のストーリーを再発掘し、それを活用することで地域活性化につなげようとする動きをしています。

こうした物語性は、企業、いわゆる老舗にも当てはまるものでしょう。野村進『千年、働いてきました』(角川書店、2006年)は、そうした日本の老舗の会社がどういう歴史をたどり、現在までどのように経営されてきたのかを取材したものです。2006年の執筆当時、創業100年を超える企業は15,000社以上(2019年の帝国データバンクにおいて同じ条件で調べると、何と33,000社以上に増えている!)あり、それぞれが壁に当たりながらも、今日に至るまで活動していることは驚くべきことです。本書を読むと、老舗と呼ばれる会社に共通することは、新しい事業に取り組みににしても、以前から積み重ねてきた事業のノウハウを活かしているということ。元は銅山を経営していたものが、不純物を取り除くというノウハウを活かしてエコ・ビジネスに転身したDOWA、酒造りのノウハウを活かしてバイオ製品を開発した勇心酒造など、それぞれに歴史と物語性があって、企業というものの見方が変わるような一冊です。

美術において、あまり物語性というものを必要以上に強調することはないようですが、私はなるべく展覧会において意識するようにしています。作品を単体で紹介するよりも、その作品の周りにある見えない物語を調べて、それを解説パネルで紹介する。結果はそれなりに出ていて、アンケート調査で、お客様から解説に対するお褒めの言葉が書いてあると、もううれしい限り。学芸員冥利に尽きるというもので、これからも大事にしたい要素です。

自分が好きなものは何?

2020-04-19 18:47:58 | その他
休日、家に居る時間が長い分、私は自分と向き合い続けるようにしています。そして、今まで自分が見逃したり、落としてきたものを取り戻すための行動をしようと決めました。

私は学生時代を振り返ると、とにかく勉強というものが大嫌いでした。特に中学校時代はそれが顕著で、周りのみんなが毎日予習や復習、テストだの言う姿を冷めた目で見ていたのです。その理由は2つあって、それは小学校時代まで一緒に遊びまくっていた友人たちが何かにとりつかれたように勉強している姿が異様に感じたこと。もうひとつは勉強の必要性がまったくわからず、先生に聞いても納得のいく答えが得られなかったことです。こうして、勉強をする意味を考えるほうに時間を費やし、学びの場を自ら放棄したのでした。(さすがに高校時代になってからは不満ながらも勉強しましたが…)私は偏った知識で今まで生きてきましたが、仕事で様々な人に出会ったり、書店や図書館で様々な本を手に取ると、世の中はなんて面白いことに満ちているのだろうと思うのです。自分で自分の道を狭くしてきた、ということを今頃になって気づきました。

そこで、これを機にもう一度過去に戻って、ただし教科書ではない、自分なりの学びの時間を取り戻そうと思ったのです。これは馬鹿らしい考えなのかもしれません。私もいい大人ですから。でも、何だか私のなかで中学校時代のつまづきは今に響いているような気がしてならないです。過去に自分が見逃したもの、落としてきたもの、少しずつ自分と向き合い、拾っていきたいと考えています。

とうとう休館になる

2020-04-18 20:37:25 | 仕事
新型肺炎拡大の影響で、とうとう私が勤務する美術館も臨時休館となりました。休館となると、なかなか仕事のモチベーションを保つのが難しい。美術館の大きな柱である展覧会が開催できず、お客様に作品をご覧いただくこともできないことは、学芸員として何よりつらいことです。

休館中、何の仕事をするか。他館の動きを聞き取ると、次回の展覧会の準備を粛々と進めていたり、これを機に作品や資料の整理に取り掛かる美術館が多いようです。私の勤務する美術館でも、それと同じような動きになるよう。それと、個人的にはこれまでほとんど勉強する時間が取れなかったので、インプットの時間を多めにとりたいとも考えています。自分の力を着実に伸ばす機会なのかもしれません。

どうしても悲観的なニュースが多いこの頃ですが、前向きにとらえ、1日1日、しっかり生きていきたいと思います。

会田雄次『アーロン収容所』を読む

2020-04-14 17:44:18 | 読書感想
私の妻の実家は、以前泥棒の被害に遭いました。賊は窓から入り、室内のタンスや戸棚、本棚などをなりふり構わずひっくりかえし、金目のものを残らず盗んでいったのだそう。その反省から、妻の実家は泥棒対策として番犬を飼ったものの、飼い主に懐きすぎて留守番ができず、本来の役割を果たせなくなったというオチがあります。

『アーロン収容所』(会田雄次著、中公文庫、1973年)は、著者が太平洋戦争後にビルマで経験した約2年間の捕虜生活を書いた本です。戦勝国イギリスの元での強制労働は、暴力こそなかったものの、「異常」で屈辱的なもの。ろくな食事を与えられない著者たちは「飯の恨みは強い」と、彼らの物資を失敬してささやかな対抗を試みます。それは「泥棒なしに捕虜生活は語れない」ほどで、手と汗にぎる身体検査の攻防は大きな見どころです。しかし、泥棒は彼らだけではない。彼らのそばにいたビルマ人もそうだし、実はイギリス兵のなかにも泥棒はいたのです。捕虜の収容所という極めて深刻な題材を扱いながら、そこにユーモアを交えて描写する著者の文章力と構成力には敬服します。

私は「泥棒」という視点を切り取りましたが、この本はイギリスと日本の社会の違いを示すものでもあるし、太平洋戦争後のひとりの捕虜の生活を著したものでもあるし、様々な切り取り方のできる読み物です。ところで、皆さま、くれぐれも泥棒には気を付けてお過ごしください。

梯久美子『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」を読む

2020-04-13 18:30:00 | 読書感想
優れたリーダーとはどんな人のことなのでしょう。みんなを自分の理想へ引っ張っていくのがいいのか、あるいは、みんなの意見を集約してより良い方向へ導くのがいいのか。私は学生の時分、部活動で主将を任されたことを機に、リーダーとしてあるべき姿を常に考えるようになりました。それは年齢を重ね、社会人になった今でも変わっていません。

『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(梯久美子著、新潮社、2005年)は、太平洋戦争末期に大本営から硫黄島の死守を任された陸軍中将栗林忠道の評伝です。栗林たちの守る硫黄島が占領されると、日本本土は連日のように爆弾の雨にさらされてしまう。総勢2万人(そのほとんどが一般からの応召兵)のリーダーとなった栗林は、硫黄島の地下20メートルにアリの巣のような通路を張り巡らせ、いわば島全体を要塞化して決戦に臨みます。決戦前、栗林は硫黄島を隅々まで見て周り、地形を掌握するとともに、戦の準備をする部下たちの姿を見れば、積極的に声をかけて士気を落とさぬよう努めました。また、作戦内容や心構えを全員にメモさせて共通認識を持たせ、特に無謀な突撃、すなわち「バンザイ突撃」を禁止します。そして、いざ戦闘が始まると、彼の部下たちは大いに奮闘し、栗林は頻繁に感状を出して、本人やその家族に報いています。

栗林の姿勢として一貫しているのは、作戦の遂行のために部下たちの心に寄り添うということです。彼が寄り添っていたのは、部下だけではありません。決戦前に、自分の家族にもたびたび手紙を送って、妻や子供たちの心にも寄り添いました。優れたリーダーとは、自分の理想へ引っ張ったり、みんなの意見を集約したりする以前に、こうした心を持つことが大切なのだということを学びました。また、島の地下要塞化や突撃禁止など、栗林が極めて合理的な思考の持ち主であったことがわかります。今の私は美術館において中間管理職のような立場であり、リーダーとして求められることはそれほど多くはありませんが、今後のあるべき姿として、栗林忠道のことは忘れずに居たいものです。

やっぱり絵を見たい

2020-04-11 19:28:00 | その他
晴れのちくもり。芝ざくら咲けり。

美術館で絵を楽しむ。こんな日常のことが、いかに幸せなことだったのか、を感じる今日この頃。新型肺炎の広がりは未だ止む気配なし。一刻も早い収束を心から願います。

このところ、休日は自宅で軽く体を動かしつつ、読書をする生活が続いています。幸い、家の床には多くの本が積んであるので、この機会に読み進めている次第です。最近読んでいるのは、会田雄次さんの『アーロン収容所』(中公文庫)、梯久美子さんの『散るぞ悲しき硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社)、石牟礼道子さんの『苦海浄土 全三部』(藤原書店)など。どれも面白すぎて止まらず、午後11時以降の読書は禁止することにしています。美術書も読みたいのですが、図版を見ると美術館に行きたい欲求が高まりすぎるのでちょっと敬遠ぎみ。やっぱり本物の絵を見たい。

本物、といえば、間近にあるのは、自分が勤める美術館の収蔵品です。いつも観ているから、なんてどうしても思いがちですが、美術館の事業自体が中止になっていくなかで、収蔵庫で絵をじっくり見る時間が取れるようになりました。絵の表面をながめて、細かいところを見てゆく。これまで気が付かなかった色と色との重なりや、絵の具の盛り上がり、微妙な筆のあと…知っているようで知らない。灯台下暗し。学芸員冥利に尽きます。新型肺炎の広がりが落ち着くまで、いろいろな勉強をして、その後の仕事に反映できるだけの力を付けておきたい、と思うのでした。

仏像彫刻の査読から

2020-04-08 19:08:49 | その他
快晴。躑躅は花をつけたり。

ここ数日、ある会報誌に掲載するための論文の査読をしています。論文のテーマは仏像です。仏像彫刻について、実のところ私は全くの門外漢。しかし、この会のなかで美術部門は私だけで、美術の担当なら何でも大丈夫だろう、と依頼をされた次第です。これは査読とはいえない気が…する。私は仕事を終えてから、いつも自宅で査読をしています。そしてすぐに眠くなる(笑)仕事疲れのせいもあるのでしょうが、仏像彫刻の用語は魔法のように私の眠気を誘うのです。誤字脱字は最低限の確認として、専門用語は事典を片手に読み進めていきます。毎日数ページしかできませんが、これも自分の勉強だと思い、内容を確認している次第です。

私は学問に対しては浮気っぽい性分で、しょっちゅう自分の専門からは抜け駆けして、いろいろな分野を学びたくて自由に行き来します。ですから、仏像の勉強も、そのひとつとして捉えています。仏像といえば、最近参拝した仏像のなかでは栃木県日光市の中禅寺の立木観音は見事でした。5メートル近い大きな観音様で、その素朴な彫りが何とも愛らしかったのを覚えています。また旅行に行く機会があれば参拝したいものです。今日もこれから査読です。どうか眠くなりませんように(笑)

石牟礼道子『西南役伝説』を読む

2020-04-07 21:33:02 | 読書感想
大学生のころ、民俗学の先生に「宮本常一の『忘れられた日本人』は絶対に読んだほうがいい」と言われ、民俗学の右も左もわからない私は、さっそく校内の書店へ行って、その本を購いました。帰途の電車のなかで本を開くと、もう面白くて止まらず、夢中になって読んだ覚えがあります。私たちは政治をつかさどる人物たちの歴史はたくさん学びますが、同じ時代にいたはずの多くの民の歴史はほとんど語られません。そういう部分に光を当てた『忘れられた日本人』は、私の中では忘れられない1冊です。

聞き取り、という共通点を頼りに、石牟礼道子さんの『西南役伝説』を読みました。「西南役」とは、明治10年に九州を舞台に西郷隆盛と新政府軍が激突した、いわゆる「西南戦争」のこと。昭和30年代、石牟礼さんは水俣や天草周辺で、まだ存命していた江戸時代生まれの人々へ聞き取りをし、それを本にまとめたのです。彼、彼女らはほとんどが農家や漁師の方々で、直接この戦いに加わったわけではありません。実際に戦った士族や官軍たちとはまた違う西南役を体験してきたのです。戦を遠目から観察したり、徴兵させられそうになったり、士族や官軍の世話をしたり…。西郷軍が大勢死んだところには幽霊が頻繁に出てこまったなど。さらに「西南役」後の話は広がりを見せます。江戸時代には士族に虐げられ、明治時代になっては役人に虐げられる、境遇はまったく変わらないという話。また、キリスト教を信仰していることが幕府に知れて惨殺された人々の話。貧しい時代を生きた有郷きく女の話は、今の社会に生きる私たちの心を大きく突き刺さすようなメッセージ性を持っています。明治、大正、昭和と3つの時代を生きてきた人々の言葉の重み。

彼、彼女らの言葉は、そのまま九州の方言で活字化されています。私は九州地方に全く縁がないため、なかなか読み進めづらいところがありました。しかし、それに慣れてくると、私は150年前の水俣や天草にタイムトリップしているかのような錯覚に陥ります。私もあの時代に生きていたような。『忘れられた日本人』とは違うのかもしれませんが、似たような感覚を覚える。そんな不思議な本でした。

石牟礼道子『西南役伝説』朝日新聞社、1988年

休日を過ごす

2020-04-05 19:24:53 | その他
曇りのち晴れ。まばゆい夕日。

私は家でじっとしていることのできない性質で、休日になるとつい外へ出かけたくなります。ましてや桜が満開の時分、花見でもして心を遊ばせたい思いは大いにあれど、新型肺炎のおかげでそれはかなわず。庭先を掃き、衣を洗い、掃除機をかけても、まだ午前10時。コーヒーを沸かし、本を読んでみようとしても、活字が頭に入らず。というのは、昨夜は午前2時まで本を読んでいて、頭が活字を受け付けなくなっている(笑)ああ、美術館に行って絵を見たいし、旅行にも行きたい!

夜、私がもやもやしているのをよそに、妻はLINEのスカイプみたいな機能を使って、自宅に居ながら数人の友達と会話を楽しみ始めた。これなら実際に会わなくてもいいわけだし、こういう楽しみ方ができるとは、現代の科学はさすがにすごい(笑)ふだん、谷文晁がどうだの、伊藤若冲がどうだの、小出楢重がどうだの言っている私には及びもつかないことである(笑)

新型肺炎と人類とは長期戦の様相を呈してきました。家のなかでの楽しい過ごし方、ここらで考えてみましょうか!

学びたいものがたくさん

2020-04-02 21:30:47 | その他
ひさしぶりの晴天で、朝から心持もよし。お昼休みにはうららかな陽気に誘われて、ゆっくりと近くの桜を眺めてきました。

さて、私には学びたいものがたくさんあります。仕事上、日本美術や西洋美術の知識はもちろんのこと、国内外の歴史を学びたいし、国内外の小説も読みたいし、数か国語の語学も勉強したいし、毎日の新聞も読みたい。けれど、1日の時間は決まっていて、特に仕事を終えてから、では体力がほとんど残っておらず、これらのすべて学ぶことはとてもできません。それでも私は学びたい。この学びたい意欲がどうして学生時代に出なかったのか、自分でも疑問でなりません。学びを強制されるかされないかがポイントなのかもしない(笑)

この学びの意欲を大切にし、私は各科目ごとに15分間だけ勉強する時間割を作り、それを実践しています。例えば、日本美術の本を15分読んだら、英語の勉強を15分やり、次に『断腸亭日乗』を15分間読むというように、その短い時間だけ集中するのです。途中で体力が尽きて、寝てしまってもよし。ルールはゆるく、がポイントです。このやり方では、どの分野も中途半端な知識しかつかないのかもしれません。でも、私は何も後世に名を遺すつもりなど毛頭ありません。人生を大いに楽しめればよいのです。世の中は知らないことで満ちている。知らないことを知ることはなによりの私の楽しみです。それらの学びで得たことを、このブログでも少しずつご報告できればと考えています。今日も就寝時間まであと少し。残り時間をまた学びの時間に充てたいと思います。