大学生のころ、民俗学の先生に「宮本常一の『忘れられた日本人』は絶対に読んだほうがいい」と言われ、民俗学の右も左もわからない私は、さっそく校内の書店へ行って、その本を購いました。帰途の電車のなかで本を開くと、もう面白くて止まらず、夢中になって読んだ覚えがあります。私たちは政治をつかさどる人物たちの歴史はたくさん学びますが、同じ時代にいたはずの多くの民の歴史はほとんど語られません。そういう部分に光を当てた『忘れられた日本人』は、私の中では忘れられない1冊です。
聞き取り、という共通点を頼りに、石牟礼道子さんの『西南役伝説』を読みました。「西南役」とは、明治10年に九州を舞台に西郷隆盛と新政府軍が激突した、いわゆる「西南戦争」のこと。昭和30年代、石牟礼さんは水俣や天草周辺で、まだ存命していた江戸時代生まれの人々へ聞き取りをし、それを本にまとめたのです。彼、彼女らはほとんどが農家や漁師の方々で、直接この戦いに加わったわけではありません。実際に戦った士族や官軍たちとはまた違う西南役を体験してきたのです。戦を遠目から観察したり、徴兵させられそうになったり、士族や官軍の世話をしたり…。西郷軍が大勢死んだところには幽霊が頻繁に出てこまったなど。さらに「西南役」後の話は広がりを見せます。江戸時代には士族に虐げられ、明治時代になっては役人に虐げられる、境遇はまったく変わらないという話。また、キリスト教を信仰していることが幕府に知れて惨殺された人々の話。貧しい時代を生きた有郷きく女の話は、今の社会に生きる私たちの心を大きく突き刺さすようなメッセージ性を持っています。明治、大正、昭和と3つの時代を生きてきた人々の言葉の重み。
彼、彼女らの言葉は、そのまま九州の方言で活字化されています。私は九州地方に全く縁がないため、なかなか読み進めづらいところがありました。しかし、それに慣れてくると、私は150年前の水俣や天草にタイムトリップしているかのような錯覚に陥ります。私もあの時代に生きていたような。『忘れられた日本人』とは違うのかもしれませんが、似たような感覚を覚える。そんな不思議な本でした。
石牟礼道子『西南役伝説』朝日新聞社、1988年
聞き取り、という共通点を頼りに、石牟礼道子さんの『西南役伝説』を読みました。「西南役」とは、明治10年に九州を舞台に西郷隆盛と新政府軍が激突した、いわゆる「西南戦争」のこと。昭和30年代、石牟礼さんは水俣や天草周辺で、まだ存命していた江戸時代生まれの人々へ聞き取りをし、それを本にまとめたのです。彼、彼女らはほとんどが農家や漁師の方々で、直接この戦いに加わったわけではありません。実際に戦った士族や官軍たちとはまた違う西南役を体験してきたのです。戦を遠目から観察したり、徴兵させられそうになったり、士族や官軍の世話をしたり…。西郷軍が大勢死んだところには幽霊が頻繁に出てこまったなど。さらに「西南役」後の話は広がりを見せます。江戸時代には士族に虐げられ、明治時代になっては役人に虐げられる、境遇はまったく変わらないという話。また、キリスト教を信仰していることが幕府に知れて惨殺された人々の話。貧しい時代を生きた有郷きく女の話は、今の社会に生きる私たちの心を大きく突き刺さすようなメッセージ性を持っています。明治、大正、昭和と3つの時代を生きてきた人々の言葉の重み。
彼、彼女らの言葉は、そのまま九州の方言で活字化されています。私は九州地方に全く縁がないため、なかなか読み進めづらいところがありました。しかし、それに慣れてくると、私は150年前の水俣や天草にタイムトリップしているかのような錯覚に陥ります。私もあの時代に生きていたような。『忘れられた日本人』とは違うのかもしれませんが、似たような感覚を覚える。そんな不思議な本でした。
石牟礼道子『西南役伝説』朝日新聞社、1988年
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