気軽に茶道をしてます。

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お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

赤膚山元窯で

2016-04-29 17:07:55 | 散策
         赤膚山元窯、古瀬堯三窯と背後の五条山
衣だに 二つありせば あかばだの
     山にひとつは かさましものを

             伊勢物語121段
昨日の昼過ぎ、雨が降り始めた中、
赤膚山元窯、古瀬堯三(ふるせぎょうぞう)窯に、
一回限りの講座「赤膚焼を作ろう)で、お邪魔しました。
 
ご自宅でしょうか?
 

第八代古瀬堯三さん自ら、話を始められました。
「奈良絵で有名な赤膚焼そのものには、
何ら制約はなく、自由なんです」と。
そして天正年間大和郡山城主、豊臣秀長公により
尾張常滑の陶工 与九郎を招いて開窯させたのが始まりで、
一時衰退した後、天明年間に柳澤保光(堯山)公が
当窯の祖である治兵衛を京都から呼び寄せ
再興させたというお話に続きます。
堯三の名は、柳澤堯山の一字「堯」の字を頂だかれており、
現在は八代めになります。
父(八代、治兵衛)は7年前に亡くなり
私が将来八代目を継ぐべく修業中と・・・
実はこの方、おじさんではなく、女性で気さくな話しぶり、
親近感が持てますね。
良い目をされておりました。

窯は大(江戸後期)中(昭和初期)小(昭和後期)と
三つの登り窯をもたれており、すべて使用可能なため、
登録有形文化財(大、中)なんです。
中で奥に小
小は顔に見えませんか?

特に一番大きな窯は、現在発掘調査中で、
前方は、耐火煉瓦を新しくされておりました。
 
後方の古い部分(調査中)
  

赤膚焼の名前の由来は、先の柳澤公なのは知っていましたが、
五条山近辺の赤い陶土(鉄分だそうです)を使って焼くため、
釉薬のかかっていない素肌の部分、茶碗だったら高台の辺りに、
温かみのある仄かな赤みを指すところからだそうです。
HPより
五条山へ登る途中(高低差で15m程度)

10年分の土だそうで、こうして放置しておくと
アクが抜け、熟成?、使える土になるのだそうです
一部は近所の宅地開発(近くまで住宅が迫っています)で、
使える部分をもらってきたそうです。
くぼんだ所
五条山頂上近くから、若草山も。

藤の花がきれいです。
  

雨が激しくなる中、作陶を!
手回しロクロははじめて、
紐が上手く同じ太さになりません
でも撒いてゆくしかなく、高低差が
30秒程度の修正で、見違えるようになります。
さすが
二時間があっという間

出来上がりは3か月後になります。
何を作ったかは秘密。

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