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気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

八窓庵(はっそうあん)の八窓とは

2015-12-17 21:30:55 | お茶会・お茶事
雲の隙間から時々陽がさしますが、
昨日までの温かさが嘘のように、
寒さが身体に堪える冬の天気になり、
例年”『春日若宮おん祭り』は寒くなる”
と言われている通りになってしまいました。

必需品の貼る懐炉を張って、予備の懐炉も手に取り、
車で奈良国立博物館内にある『八窓庵』へ向かいます。
準備万端と思いきや、二日連続携帯を忘れており、
仕方がありません。
でもお茶事に撮影はNGですので。
(なお写真は、パンフレットより)

今年は“お濃茶席を御願いします”と言われ、
ほとんど茶室内だったので、
昨年ほどの寒さを感じませんでしたが、
粗相のないよう、気持ちが張っていたのか
帰りつくと、どっと疲れが・・・
それでも、いいお道具を使わせていただき
八窓庵でお点前をさせていただき
幸せな時間を持つ事ができ感謝です。

八窓庵(はっそうあん)を紹介いたします。
心字池を挟んで、東側に控室と、腰掛待合があり、
石橋を渡り、西側にある茶室『八窓庵』に向かいます。
江戸中期の作で、古田織部曰く
数寄屋ハカヤブキニツキ定也
という如く、茅葺き屋根の草庵風の外観です。

内部は四畳台目で、
躙り口を入ると左に床、正面に点前座になり、
床の間前の一畳を、貴人座としております。
平面図
床の間は一畳よりも狭い台目床で、
天井は、床前から点前座にかけて蒲の平天井で、
残りは掛込天井で化粧屋根裏になっています。
参考)1816年の稲垣休叟の著『茶道筌蹄』には
「小座敷は網代、、長片、此三通也、
  板天井は小坐しきに用ひず」と。


点前座から観ると、本勝手になり、
中柱は赤松のしゃれ木と二段の雲雀棚が設けられた。


この『八窓庵』も名の通り、窓が八つあり、
それの喩として、造営されてとされます。
①心の窓と人の体の窓七つ(眼二、耳二、鼻孔二、口一)
②六識(見、聞、嗅、味、触、知)と二識(末耶、阿羅耶)
両方とも、合わせて八つになりますね。

茶室の窓も変遷の歴史があり、『茶道筌蹄』では、
「紹鴎このみの四畳半の張壁を塗壁にて
ぬり残しのまどを明る事、居士より始るなり」と
待庵や妙喜庵が良い例になります。
そして利休居士以後の茶人、
織田有楽、古田織部、小堀遠州らは、
座敷の景」として、窓を重用し、
多く開けております。

奥が深く、なかなか理解できませんが、
精進あるのみですね。

「珠光茶会」とは

2015-12-14 19:38:15 | お茶会・お茶事
第三回奈良大茶会『珠光茶会』が来年二月、
今年も開催されます。
もうすでに、お茶券等の発売も始まっております。
日程表(クリックで拡大)
パンフレットに、趣旨が次のように書かれております。
”茶道の源流ともいえる奈良の地で「わび茶」を創始した
 奈良出身の室町時代の茶人・珠光にちなみ、
 源とした冬の古都の風情を味わいながら、
 お茶文化に親しんでいただくため、開催いたします。”と
奈良においでの際、ご検討の一つにして下さい。

珠光の作り出した茶室は縮小された4畳半で、
茶席のわびの思想として次の言葉、
月も雲間のなきはいやにて候
また古市澄胤へあてた「心の文」が遺されております。
粗末な道具でも、用いて良しとされる茶の湯、
つまり「わび茶」を創始されております。

もう少しお付き合いください。
お茶の歴史に奈良が一番とは言いませんが、
深く関わっていることに気がつきました。
お茶の始まりは、遣唐使として最澄、空海などの留学僧が、
唐よりお茶の種子を持ち帰ったからとされており、
宇治茶の始まりには、栄西禅師が宋からお茶を持ち帰り、
明恵上人の駒蹄影園碑に記しましたが、
ここ奈良では、以下のように伝えられております。
お茶の種を持ち帰られた空海さんが、
女人高野の室生寺付近に、種を蒔き、製法を伝えられたそうで、
宇陀市榛原の佛隆寺には空海が持ち帰ったという茶臼とともに、
「大和茶発祥伝承地」と書かれた大きな石碑があります。
その後、奈良西大寺の叡尊さんが、一説には、1286年に
宇治川の漁師に茶の栽培を教えたことが宇治茶の発展に繋がり、
遺徳を偲んで、大茶盛式が、

しかし西大寺伝では、叡尊が1239年に八幡神社に献茶した余服を
民衆に振る舞い、そのことに因んでおり、今も続けられております。
そして、「珠光茶会」の名の基になられた
村田珠光さんが、奈良市の称名寺で「わび茶」の創始し、
「茶禮祖 珠光舊跡」と書かれた石碑があります。
さらに洗練し、精神性をも高められた
吉野郡生まれの武野紹鷗(じょうおう)さん、
紹鷗からのわび茶の精神を受け継ぎ、完成させた千利休居士へと
繋がっていくのです。
この頃の茶人、今井宗久さんも、
「朝が来た」のロケ地、奈良橿原市今井町出身でしたね。

歴史を知れば、ますます引かれ、精進あるのみです。

口切の軸『一口残』のいわれ(本家菊屋)

2015-11-21 18:10:00 | お茶会・お茶事
口切に掛けられていたお軸です。
一口残』  
ーお菓子が美味しかったから、
後でまた食べる為に一口分だけ残しておこうー
大名茶人の柳澤堯山公の書だそうで、
江戸時代中期の大和郡山藩第3代藩主で、
郡山藩御用窯として、赤膚焼を保護奨励されており、
なかなかしゃれたお方なのでしょうね。
お菓子を納めた時に、お願いして書いて頂いたそうで、
茶を通しての親密な間柄も想像できますね。

今は軸装されておりますが、
昔は額に入り、仏間に飾られていたため
色がやけてしまったのだそうです。残念!
 
子供の時、
「美味しいから、後で頂こうと」いって
残しておいたら、食べられてしまい
けんかになった経験はありませんでしょうか。

 江戸時代末期の建物 
本家菊屋」は1585年(天正13年)に豊臣秀長公に
大和の国に連れてこられた和菓子屋さんです。
大和郡山で430年、現在26代ということは、
かの創業地からでは600年以上かもしれません。

秀長公といえば、豊臣秀吉公の弟で、
秀吉さんをもてなすお茶会を開かれております
その時に献上されたのが、『城之口餅』

粒餡を餅で包み、きな粉がまぶされた一口サイズのお餅で
秀吉さんから『鶯餅』と御銘されたそうで、
鶯餅の原型とも言われております。
時代が経て、城門を出ると町人街の一軒目に店があり
城の入口で売っている餅⇒『城之口餅』に。
このお餅と一緒に、店頭で召し上がるときに湯を沸かした
茶釜が、本店(江戸時代末期の建物)玄関に飾られており、
16枚の菊花の紋があり、献上品かもしれません。
 

寄り付き待合いに掛けられていたお軸で、
蓬莱山』に雲龍が描かれ、当家には
古くから伝わっているそうで、残念なことに作者は不明です。
  
寄り付きの前のしつらえです。
 

大和郡山は、金魚でも有名な街で、金魚池も点在し、
茶室の入り口の睡蓮鉢にも一匹の金魚が、
寂しい限りです。


なかなか経験できない口切茶事にお招きいただき、
ご亭主の心遣いもすばらしく、ありがとうございました。

口切茶事に

2015-11-20 16:39:26 | お茶会・お茶事
客として招いていただきありがとうございました。
思い返しながらですが、進行過程を書かせていただきます。

身支度を整え、寄り付きにて

白湯をいただきました。
汲出し茶碗は古いもので、赤膚焼で何代か前の〝楽斎″です。
(後の写真
雨の中、露地下駄、露地笠で
露地に入り、
 
腰掛待合いへ進みます。


亭主が身を清め、迎え付けのご挨拶です。
 
蹲踞にむかいますが、雨で初めて使う露地笠に戸惑いながら。 

躙り口からの席入りになり、床・点前座の拝見を
 
ご挨拶があり、
 
茶壺の拝見を所望します。
壺を床から運ばれ、炉の下座に座り、縁外に置いておられ
網を脱がせ、口緒もほどき、勝手口に置かれます。
 
御茶入日記を出され、拝見いたします。
(ピントが
葉茶じょうごが壺の下座にし、
口覆が取られ、壺の右側におかれます。
葉茶じょうごから挽家を二つ同時に縁内に出されており
美濃紙を挽家も手前に置かれます。
挽家のふたを左右同時に空けられてから、
茶壺の口が切られます。
  
所望の濃茶を尋ねられました。
 
詰茶を少し葉茶じょうごにあけられてから
濃茶を取り出し、右側の挽家に入れられてから、蓋がされ、

じょうごの上の詰茶をもう一方の挽家に入れ蓋がされました。
残った詰茶を茶壺に戻されておりました。

茶壺の蓋がされ、糊がつけられます。
茶壺の向こう側から手前に、封が貼られ、
そして印が押されました。

葉茶じょうごを元のように片付けられ
茶壺に、口覆がかぶされ、茶壺の拝見になります。
(御茶入日記は末客があずかっています)クリックにて拡大↓

葉茶じょうご、御茶入日記を水屋へ戻され
亭主が茶道口に控えられると、茶壺・口覆の拝見になり、
茶壺を取りに戻られてから、炉の下座に座られます。
挨拶の後、改めて印の確認がなされ、茶壺も水屋へ戻されます。

初炭手前になります。
初炭の間キリキリキリと心地よい引き茶の音が
かすかに茶のかおりも
これぞ御馳走
 
香合の拝見の後、

亭主の思い入れで椅子での懐石になり広間へ。
 
献立もおめでたく鯛の昆布締め、菊寿庵にちなみお汁は白玉団子とからしで光琳菊
煮物椀は、菊花蕪に松茸
八寸は、秋刀魚に金団
菓子椀の中は、ユリ根金団(初霜)、栗納豆、柿と三種
後座の迎え付けは鳴り物での挨拶の後
中立ち
銅鑼が鳴り響き
席入りいたしました。
濃茶点前
やはり挽き立ての香りと黒楽の中の緑に感激
大変美味しくいただきました。

寄り付き待合い御園棚にて薄茶を。
 
御園棚
  

感謝の気持ちを伝え、ご挨拶ののち、失礼いたしました。

雨の郡山城を眺めながらの帰宅ですが、
自然とうれしさで、微笑みが・・・。

大和郡山「菊寿菴」の紹介(口切茶事)

2015-11-19 19:47:15 | お茶会・お茶事
「口切や 南天の実の 赤き頃」 漱石
口切茶事は、最も格式の高い茶事と言われており、
初夏に摘んだ新茶を詰めた茶壺の口封を切り、
葉茶を取り出して直ぐ、茶臼で碾いてお茶を点てます。
なかなか経験できない茶事に、
お招きいただき嬉しい限りで、
 
   
雨の中、大和郡山の和菓子屋「本家菊屋」さんにある
茶室「菊寿菴」にお邪魔いたしました。
 
コンクリート打ちっぱなしのビルの一階に
玄関先のオブジェ

寄付き
 
階段付の吹き抜けになっており、
ビルの中で四季折々を感じる事が出来ます。
露地と腰掛待合
  
  
茶室「菊寿菴」で、

躙り口から入る小間で、口切をされます。
 
広間で、食事を
 
現代的なビルの中に造られた
風情ある素晴らしいお茶室ですね。
口切茶事が楽しみです。

京都 桐蔭席(とういんせき)へ

2015-11-05 07:02:28 | お茶会・お茶事
桐蔭会、桐蔭席にお伺いいたしました。
二日は、裏千家お家元がお見えで、
雨の中でしたが、大変な数のお客様で
外でお待ちの方もいらっしゃったようです。

私達は、三日に行かさせていただきました。
当日はさわやかに晴れ
七条よりタクシーで行列の京都国立博物館、
京都女子大の正門付近は文化祭で、
大変な喧騒でしたが、
タクシーを降りた奥に、時間が止まったように
“桐蔭席”がひっそりと佇んでおりました。

写真が撮れたのは、入り口だけ
表札には、今日庵 千宗室と書かれており、
西川宗青先生が、懸釜をされました。
初めて伺う“桐蔭席”。
門をくぐり、

きれいに手入れされた前庭、玄関に入り、
寄付きで荷物をまとめ受付をさせていただきました。
待合には数人の方が、いらっしゃるだけで
私達六人と合わせて十人での席入りでした。
待合床は淡々斎の瓢絵に円能斎の賛が・・・
このお席が桐蔭席の開炉になるのでしょうか。

四畳半の本席は、行燈の明かりと、やわらかな外の光で、
お茶室の中は十分な明るさでした。

坐忘斎お家元の勢いのある「独座大雄峯」のお軸、
竹の置筒に浜朴の輝葉と白椿、
侘びた葛屋香合が置かれた床。
お釜は大丸で与次郎、炉縁は法隆寺古材、
三代宗哲寒雲棗、伊部の水指
うっとりするお席です。

主茶碗は、不見斎手造の小振りな黒で
釉薬がたっぷりかかり、しっくりと手になじむものでした。
又、伊羅保も御本もよかったですが、
倭館窯の「弥平太」に巡り会え至福のひと時を・・・
茶杓は道安作、すっきりした形で艶やかな褐色。

お菓子は、末富さんの大和路が奥田潁川の赤絵に。
お干菓子も・・・・

美味しいお薄をいただいて、点心席に移りました。

待合に戻ると沢山の人で・・・・

席主の思いが伝わるお道具組で
遥か昔の人の温もりを感じながら
桐蔭席を後にしました。

神無月茶事の献立

2015-10-25 17:48:43 | お茶会・お茶事
秋天の一日、神無月の茶事が終わり、ほっとしております。
献立を紹介いたします。
その前に、料理方は打ち合わせの日から
前日の下ごしらえ
当日二日間も早朝より、ダシを取り、
準備を始めてくださいました。
感謝してます。


向付 
  いさきの昆布締め(二日目は鯛)
  水前寺海苔、菊
  柚子スコ、醤油
煮物 すまし汁仕立
  鱧くずたたき 松茸
  三つ葉、柚子、柿の蔕麩


八寸 
  烏賊の一夜干し
  柿すが


茶事の進行に従い、皆さんで盛り付けに

出来上がりは、いかがですか。
半月弁当
  お寿司   秋刀魚寿司 柿の葉寿司 笹寿司
  焼き物   鴨ロース 砂肝 だし巻き卵
  付け合わせ ベビー水菜
  焚き合わせ 海老芋 人参 丸蒟蒻
        黒胡麻生麩 紅葉生麩 菊菜 
  香物    白菜 大根 新生姜


ほうじ茶

お料理方の頑張りで、皆様喜んで下さいました。
お茶事は一人ではできません。
皆さんのご協力で
心配するより産むがやすしで
終える事ができました。
二日間も、本当にご苦労様でした。

神無月の茶事の一日目

2015-10-24 21:20:02 | お茶会・お茶事
皐月の茶事(正午の茶事)のあと、
皆様方はそれぞれ稽古を積み重ねておられ、
茶事もお稽古の一環として、さらなる楽しさを
味わっていただきたく、神無月の茶事(飯後の茶事)を
計画し、なんとか一日目が終わりました。
やはり、疲れますね。

待合いに、『無心』前大徳寺 西垣大道
「瓢箪鯰」がモチーフで、一番有名なのは
妙心寺塔頭・退蔵院にある『瓢鮎図』(ひょうねんず)です。
先日閲覧した大和文華館同様に、漢画の名作で
 「ただでさえ捕まえにくいなまずを、
 こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」
この矛盾をどう解決するか・・・という禅問答を表す。

この茶事では『瓢箪』を六つ揃えており、「六瓢箪」に
変じて、無病(六瓢)息災のお守りになるとされ、
捜していだだく趣向にいたしております。


飯後の茶事に従い、 
お客様3名、お水谷3名で神無月の茶事を行いましたが、
席入り後、向付、吸い物、八寸で千鳥の盃をしました。
薄茶まで終わった後、点心は半月弁当で楽しくおしゃべりを・・・
残念なことが一つありました。
私の確認ミスなのですが・・・、
 
初炭をしていただいた後、お炭に十分火が行き渡っておらず、
御濃茶がやや温くなったことです。
初座の後の席改めの時、必ず釜を上げて炭を見なくっては
反省です。
それでも、お客様には喜んでいただくことができました。

菊水鉾のお茶券にて

2015-07-14 00:05:30 | お茶会・お茶事

鉾建てが終わったばかりの菊水鉾のお茶席に伺いました。
 
菊水鉾の水指がすばらしいですね。 
 
町内にあった名水「菊水の井」を利休居士の師である
武野紹鴎がこよなく愛し、菊水鉾と茶の湯は
中世より切っても切れない縁があるそうです。

したたり(亀末廣):『菊の葉からしたたる露』に因み命名。
 


お運びご苦労様 


 
若干15歳?初披露だそうです。
見守ってる半東(はんとう)さんも
緊張感が伝わってきます。
終わった後の笑顔が・・・・
お道具を紹介します。

むくげ、秋かいどう、水引草、とらのを、すすき、藪みょうが。手付かご。

茶杓:祭ばやし、棗:菊慈童蒔絵大棗 
 
皆具:南燎

皐月の茶事の献立です。

2015-05-26 08:55:24 | お茶会・お茶事

献立です。
お客様八人分は、大変ですね。
 
食器のセット中  (忙しいですね)
   
皐月の茶事の開始です。

汲み出し:青梅湯(梅シロップ、青梅砂糖漬け)    
  
汁  :えんどう豆のすり流し(えんどう豆、じゅんさい,葛)
      *はじめはきれいな豆色が濁ってしまい、残念。
飯  :貝柱の飯蒸し(もち米、貝柱、椎茸、人参、薄焼き卵、三つ葉、水菜)
向 付:甘海老の昆布締め、サーモンオニオン、蛇の目きゅうり
一 献:越の寒中梅、大吟醸(新潟銘醸)


煮物椀:白茸と枝豆真薯(白茸、枝豆、真真薯、板蕨、さやいんげん)


強 肴:わかめ、鱧皮、冥加

八 寸:空豆 稚鮎

香の物:赤カブ、大根、芽きゅうり

ほうじ茶

本当においしくいただきました。
料理方ご苦労様でした。