大会録

ホノマラの人々の大会の感想など

UTMB2019 完走記 後編(しの)

2019-09-05 20:49:26 | UTMB
UTMB2019大会録の後編です。前編はこちら

後編はUTMBを完走してから書いています。

〈結果〉
33:27:44
224位/2543人中 (日本人10位)

完走率 62%


後編では現地入りしてからの過ごし方やレースの模様について記録しておきます。




〈レース前日まで〉
8/28出国。成田からアブダビ経由でジュネーブまでエティハド航空で向かった。大会会場のシャモニーに最も近い空港はスイスのジュネーブ。そこから乗り合いバスに一時間ほど乗ってシャモニーに到着した。
到着したのは8/29朝。レースが30日なので前日に現地入りしたことになる。かなりタイトなスケジューリングではあった。
去年も観戦でシャモニーに来ているため、ある程度要領よく動けたから問題なかったけど、早めに現地入りして身体慣らしたりするのが理想だとは思う、そんなに時差ボケは感じなかったけど。

シャモニーの街は既にUTMB一色で町中がお祭りムードになっている。到着した日はグループレースのOCC(50km)が行われており、ゴールするランナーと応援する人たちで盛り上がっていた。

到着してまずは受付へ。受付会場はゴールゲートから少し離れたところにあるスポーツ施設のようなところ。シャモニーは第1回の冬季五輪の開催地でもありウインタースポーツの聖地なのでスポーツ施設が充実している気がする。
会場に入ると、ツアーの日本人が沢山受付に来ていた。UTMBに今年もたくさんの日本人が来ているみたいだけど、ツアーで来る人のが多いのかな。

パスポートを提示してゼッケンナンバーを告げると必携品のチェックリストを渡される。20弱ある必携品の項目のうち、リストにランダムで記載されている7つのチェックを受ける。
自分の場合、ザック、携帯電話、ライト2つと予備電池、レインジャケット(おそらくここまでは全員共通)、水分1L、帽子、ホイッスルをチェックされた。そんなにチェックは厳しくなかった。
チェックが終わると手首にリボンをつけられ、ザックにも変更できないようにタグが付けられる。
その後ゼッケンと参加賞のTシャツを受け取って受付完了。
混むときは一時間ほどかかるみたいだけど、スムーズにいき15分程で受付できた。

昼食は米が食べたかったので街中にある日本食レストランさつきへ。予約してる日本人がたくさんいた。

宿のチェックインまで時間があるので午後はOCCのゴールを見たりしながら過ごした。

夕飯をさきほどのさつきでテイクアウトしてから宿へ。

レースの装備を準備したりして早めに就寝した。


〈レース当日〉
朝は早めに起きてCCCのスタートに向かう相方を見送る。CCCはUTMBのグループレースの1つで距離は100km。クールマイヨール、シャンペ、シャモニーとそれぞれレースで通過する地名の頭文字をとってCCC。朝9時スタートだが、スタート地点はイタリア側のクールマイヨールなので送迎バスで移動する必要がある。
相方を見送り、バス停付近のパン屋で朝食を済ませる。

UTMBのスタートは18時なのでまだまだ時間があるが、体力を無駄に使いたくもないので宿で全力でだらだらした。昼食は持ってきていたアルファ米やインスタントの味噌汁をとった。

15:30戦闘準備。着替えて装備を整えてスタート地点へ。スタートは混雑するし山に入ってから狭い道を抜かしていくのは大変なのでなるべく前の方の位置に陣取るべく、16時過ぎにはスタートゲートに並ぶようにした。既に100~200人くらいは並んでいたと思う。
周りにも早くきた日本人が結構いたが、特に話すわけでもなくスタートまでぼーっとしていた。

〈レース〉

《スタート》
スタートゲートはシャモニー中心部の教会前広場にある。小さい広場におよそ2500人のランナーが集まる。2時間前に整列したのでスタートまで座って待っていた。


スタート前

スタート1時間前にはアナウンスが始まり、沿道には徐々に観客も集まりはじめる。
エリートランナーは並ばずに最前列からスタートができる。エリートランナーが現れるたびにアナウンスで紹介され盛り上がっていた。
スタート5分前にもなると会場の盛り上がりは最高潮になっていた。いよいよ始まる。興奮して叫んでいる人もいた。
2分前。UTMBのメインテーマであるconquest of paradiseが流れ始めた。レースのことを考えながら何度も聴いた曲だ。
感動して早くも泣きそうになった。涙はまだ出なかったが震えた。
周りのランナーも叫んだり、仲間と抱き合ったり、動画や写真を撮っていたりと各々高まっているようだった。スタート地点に立てる喜びを噛み締めているのはたぶんどのランナーも同じだ。
ここまで本当に長かった。
あとはこのレースを存分に楽しむだけだ。モンブランを1周してまたシャモニーに帰ってくる。きっとあっという間に終わってしまうんだろうな。
色々な感情がわき上がってくる。
気持ちを落ち着ける間もなくスタートの時間が迫ってきた。
conquest of paradiseが流れている中、Go!!!の合図と共にスタート。かなり前に並べたので、列が動き始めてすぐに走り始めることができた。沿道にはまさに十重二十重といった人がランナーを鼓舞している。店先やホテルの2階3階からも人が覗いていてAllez! Allez! と叫んでいた。こんなに応援の密度が濃いレースは初めてだ。スタートしてから数kmは人が途切れなかった。


《~St-Gervais サンジェルベ 21.5km 957m+》


最初の8kmレ・ズッシュの街までは高低図を見てもコース中唯一平坦に見える区間。細かいアップダウンはたまにあったが、概ね走りやすい林道を走る。とばしすぎないように意識的に抑えていたがそれでもキロ5ほどのスピードで走っていたようだ。
40分程でレ・ズッシュに到着。小さな街だったがたくさんの人がエイドで応援していた。序盤なので多くのランナーが素通りしていたが、水とコーラを一杯ずつもらってエイドを後にした。
レ・ズッシュを出ると最初の山。後半の山に比べたらそこまで大したことのない山だが、それでも1800mほどある。800m程登る。序盤なので周りのペースも早い気がしたが、抜かしたり抜かされたりするのに避けるのが面倒なので同じペースで登った。
下りが始まると次のエイド、サンジェルベまでは下りっぱなし。淡々と前のランナーに続いて下っていった。
多くのランナーが受付でゼッケンとは別にもらえる自分の国旗が書いてある札をザックにつけている。これをつけていると後ろから抜かすときにどこの国のランナーなのか分かるようになっている。周りには日本のランナーもちらほらいたがヨーロッパのランナーが圧倒的に多かった。みんなまだ元気なのか、話しかけてきてくれる外人のランナーが多かった。日本の話題だとみんな北海道でスキーしたことあるよみたいなのが多かった。トレランやってる人はスキーもやってる人多いなあと改めて思った。
サンジェルベの街はシャモニー並みに盛り上がっていた。スタートして20kmもたっているのに応援がすごい。エイドに入る前にエイドから出てきた鏑木さんとすれ違ったので、もしかして結構いいペースかな?と思った。
エイドではオレンジなどを少し食べた。気がする。

《~Chapieux シャピュー 50.6km 2900m+》


次のエイド、コンタミンまでは登り基調だが、所々走れる感じだった気がする。があまり覚えていない。。
コンタミンはサポート可能な最初のエイドで、たくさんのサポーターがランナーの到着を待っていた。エイドに着くと中に六花さんを発見したのでご挨拶。「しのらー来てたのか!めっちゃいいペースじゃん!」と励まされた?
他にも知ってる日本人の方を見かけたりして少しテンションあがりながらエイドを後にした。
そろそろ相方がCCC後半の山場であるシャンペ湖にたどりついた頃かなと思ってLINEを開くとやっぱりそうで、弱音を吐いていたので強気に行くように激励しておいた。確かこの時に初めて自分の順位を確認した。300位以内にいるのでまずまず予定通り。上位10%を目安目標にしていた(だいたい250位以内)のでこのままペースをキープしていけば目標圏内だと思っていた。
バルムを経てボンノム峠へ向かう。夜なのであまり印象にないが、山の上の方までヘッドライトの列が続いている様子が綺麗だった。日本のトレランにはあまりないこの長い登りで多くの日本人ランナーが苦戦するらしいが、事前に作っておいたタイムテーブルを見ながら登りがあと何分続くのかの目安を持って走っていたのであまり辛くなかった気がする。とはいってもこのセクションで結構抜かれたのでヨーロッパのランナー登り強いなぁと感じた。
淡々と下ってシャピューのエイドへ。シャピューでは装備品チェックがあった。サバイバルブランケットと携帯電話、レインジャケットをチェックされた。
前半のエイドでは必要な補給だけ済ませて滞在時間も最小限にした。エイドには水、コーラ、果物の他にチーズやサラミ、パウンドケーキやクッキーといったヨーロッパならではのものも多かった。日本のエイドには、あまりないので口に合わない人はジェル等の補給だけで済ますみたいだが、自分は携帯するジェルの量を最小限にしてエイドのものも色々摂取するようにしている。

《~Courmayeur クールマイヨール 81.3km 4728m+》


3つ目の大きな山であるセイニョー峠はフランスとイタリアの国境になっている。Col Seigne. Colは峠という意味。日本でも分水嶺が都道府県境になっているように、海外でも尾根が国境となっている。登り終えると舞台はイタリア。
この辺りで寒く感じたのでミッドレイヤーを上から羽織った。今年のUTMBはずっと天気に恵まれ、気温も暖かかったので、多くのランナーは終始半袖だったが、寒さに敏感な自分は少しでも涼しく感じたら上を着るようにしている。このあとさらに寒く感じたのでレインも羽織った。寒がりすぎる。。今年は寒い年ではなくて助かった。
少し下って登り返すとコース最高地点を通過する。そこから下ってコンバル湿原のエイドへ。


エイド(Lac-Combal)

明るいとアルプスが湖面に反射して絶景らしいのだが、夜なので何も見えない。その代わりこの湿原から見上げた星空はすごく綺麗だった。立ち止まって、ヘッドライトの明かりを消して、しばらく見上げていた。
ここから一山越えるとドロップバックを預けているクールマイヨールのエイド。
クールマイヨールの街に降りてくると、石畳の細い路地の如何にもヨーロッパといった道を走ってエイドへ。
クールマイヨールに着く頃には日がのぼり明るくなった。
大きな体育館のようなところがエイドになっていて、ドロップバックは入り口の手前にかけられていたので自分で取ってから中に入る。エイドでは靴下とシャツを着替えてジェルを入れ換えておにぎりとオレンジジュースを摂取した。預けておいたレッドブルをザックに入れて出発。レッドブルは後半のつらい時間に摂取する予定で日本から持ってきた(ふつうにこっちのスーパーにも売ってた)。事前にやることは決めていたので、エイドでだらだらすることなくスムーズに行動できたと思う。(記録を見たらしっかり30分も滞在してた。)


《~Arnouvaz アルヌーバ 98.6km 5956m+》


クールマイヨールのエイドを出てしばらくロードを登るとトレイルに入る。このあたりは前後に日本人がいてたまに話しながら登っていた。登り切るとベルトーネ小屋のエイド。エイドまで登ると目の前に突如としてアルプスの峰々が現れる。絶景だった。


ベルトーネ小屋まで登るとボナッティ小屋を経てアルヌーバまでは走れるトレイルが続く。そして左手にずっとモンブランをはじめとする山々を望みながら走れる絶景トレイル。適当に写真をとりながら走った。


《~Champex-lac シャンペ湖126.6km 7310m+》


アルヌーバを出ると、フェレ峠まで登り。フェレ峠に向かう途中でコース100km地点を通過した。100km6000m+を17時間台で走れていてまだまだ余裕もある。行ける。レース前はもしかしたらフェレ峠の登りから苦戦するかもしれないと想定していたこともあって、思いの外余裕なので、意気揚々と登った。
フェレ峠はイタリアとスイスの国境になっており、フェレ峠からシャンペの手前までは約20kmのダウンヒル。この下りを終えれば一気に距離も進みゴールが近づくと思っていたが、ここまでの下りで腹筋を酷使していたせいか、腹筋に力が入らず思うようにスピードを出せない。脇腹に差し込みが来た時の感覚に近いが、痛いのはその外側?もっと筋トレやっとくべきだったなあと少し後悔した。
シャンペ湖で126km地点。自己最長距離を越えた。因みに今までの最長距離は阿蘇ラウンドトレイルの121km。
ここから先は距離的にも未知の世界。コース的にもここからの3つの大きな山を越えなければならず、時間的にも日が沈み2晩目に突入するので眠くなったりと、とにかく勝負所と位置付けていた地点。勝負所といってもペースあげたりするわけではないけど、いかに我慢できるか。
なのでシャンペに到着する前にTwitterで日本から応援してくれてる方々から力をもらおうとツイートしました。多くの人がふぁぼってくれて有り難かったけど、リプで励まして欲しかった笑 リプくれた方は本当に力になりました、ありがとうございます。という感じでつらい時間帯はちょくちょくスマホで自分の順位を確認したりSNS見て紛らわす様にしてました。
シャンペのエイドをでて順位を確認すると250位以内に入っていた。そんなに抜かしてきた感覚はないけど、エイドを他の人より手早く済ませたり、途中リタイア者が順位のカウントから外れたりでじわじわと順位は上がっていた。このままいけば200位以内も可能ではと思い始めるが、裏腹に集中力が切れ始め、所々歩きの時間も増えてきた。



《~Vallorcine ヴァロシン 153.6km 9083m+》


シャンペから次のエイドのトリエントまで距離は約17km。エイド間の予想時間が1番長くなると想定していたセクション。このセクションから登りでも順位をあげられるようになった。一方下りは腹筋が痛くなってまともにスピードを出せなくなっていた。
シャンペから気合いを入れ直したのと、Twitter効果もあってか1番つらくなると予想していたセクションをなんとか乗り切ることができた。トリエント着が20時。ここからレースは2晩目に突入。持っていたWi-Fiの電池がここで切れてしまい相方に状況を報告出来なくなってしまった。連絡手段が途絶えたけど、おそらく察してくれて速報見てゴールで待ってくれているだろうとは思ってはいたが、なんとなく心細くなって精神的に一気につらくなった。もちろんTwitter効果ももう使えない。本当の勝負所はトリエントからだった。トリエントのエイドで思い出したように持ってきたレッドブルを注入した。
あと2山越えたらゴールだけど、2山なのに30kmも残ってるのかよというのが正直な感想だった。

次の山を越えるとスイスからフランスになる。登りはまだ元気が残っていて順位をあげることができるが、下りは腹筋痛くて歩きに近いペースしか出せなくなっていてその分順位を落とした。この山の下りくらいから、誰もいないのに後ろに気配を感じたり、一瞬木が人に見えたり、少し感覚がおかしくなってきた自覚があった。早くゴールしたくてしょうがなくなった。ヴァロシンのエイドではとにかくカフェインとって目を覚まさなきゃということしか考えてなかったが、今思えばガス欠に近い症状だった気がする。食事をしっかりとるべきだった。



《~Chamonix シャモニー 171.6km 10061m+》


ヴァロシンまでくると、大きな山は残すところあと1つ。La Tete Aux Vents.この山はひたすらつづら折りのごつごつした岩山で、ラスボスに相応しい。
似せピークがいくつもあって山頂かと思ったらまだ着かない。
永遠に終わらないんじゃないかと思うほど長かった。。
やっとのおもいで山頂に着くとLa Tete Aux Ventsの表示。これであとはゴールまで11km下るだけだ!
やっと登りが終わってもエイドまで3km下りが残っていてこの下りがまた長かった。早く終わって楽になりたい、そんな思いが頭を支配していた。
なんとか最終エイドのフレジェールに到着。エイドからシャモニーの街の明かりが見えていて綺麗だった気がする。あまり覚えてないけどコーラをがぶ飲みしてさっさと出たと思う。ここから先はシャモニーまで8km下りっぱなし。ポールをしまって予備のヘッドライトを手に持ち、スピードをあげる準備をした。もう腹筋も脚も残っていないけど、早く楽になりたい思いが勝ってスピードは上がった。
全身痛くてしょうがなかった。いいいいいいいって言いながら下った。
ラストは1km弱。トレイルが終わって街に出たところで相方が待ってくれていた。ほっとした。やっとゴールできる安堵。UTMBが終わってしまう実感がわいてきた。
ラストはゴールゲートのある教会前広場を目指して街中を走る。
街は昼間ほどの賑わいはないが、午前3時だというのにランナーを出迎えてくれるひとたちが結構いた。きっと自分の前後のランナーの帰りを待っている人たちなのだろう。みんな拍手や掛け声で讃えてくれていた。

ゴール目前にして、ほんとにここまでよくやったな、という思いが込み上げてきた。
4年間目標にしてきた夢の舞台。
走る前、この100マイルで起こったことを全て心に留めておきたい、記憶しておきたい、そう思っていた。
実際に走ってみると、興奮と感動と疲労の中をふわふわと漂うような気分というか、しっかり地に足ついていない感覚というか、そんな感覚の中を進んできたような気もする。
確かに言えることは、僕の初めての100マイルの旅は最高に過酷で楽しかったということだ。

Next Finisher is Naoya Shinohara!!! From Japan!!!

フランス語だったかもしれないが、そうアナウンスしていた気がする。
涙は出なかった。

ゴール!

33時間と27分44秒かけてモンブランの周りを一周してシャモニーに戻ってきた。
ゴール後は写真を撮ってもらった。
もう少し余韻に浸っていたかったが、早く休みたかった。

フィニッシャーベストを受け取って、ゴール会場の食事スペース(エイドのようなところ)でビールを受け取った。
その場で乾杯した。夜中の3時に、100マイル走ったあとに、久しぶりに飲むビールは神の味がした。(書きたいだけ笑)

汗も冷えて寒くなってきたところで重い足を引きずりながら宿に向かった。


〈レース翌日〉
仮眠をとって目覚めた翌日というか当日。まだ午前中だったので街に出て食事をすることに。
ゴール手前、コースのそばのレストランに入って応援しながら食事。ピザとハンバーガーを食べた。あとビールも。ここにきて初めてフランスっぽい食事をした。街にはまた賑わいが出てきて、ランナーが帰ってくるたびに街中の人々が歓声で出迎える。
今日はジュネーブの空港の近くまで戻って宿泊するので、荷物を取りに帰り、もう一度街中へ。

このお祭りも今日で終わりだ。UTMBの制限時間は46時間30分。午後4時30分に全日程が終了する。UTMBは最終ランナーまで大歓声で迎えられ惜しみない拍手が送られる。
午後4時頃、会場に向かうと、大会のクロージングセレモニーとUTMBの表彰式が行われていた。男子8位に入賞した小原さんが表彰台で笑顔だったのを見届けてシャモニーを後にした。

〈その翌日〉
行きと同じくジュネーブからアブダビ経由で成田へ。
UTMBを走った日本人や中国人がたくさん乗っていた。
機内でこの文章を書いています。
疲れているし駄文かもしれません、すみません。。



〈後語り〉

初100マイルはUTMBがいいと決めてから100マイラーになるのに4年かかってしまいました。国内の100マイルに出ていればもっと早くなれたと思います。けど僕は100マイラーになりたかったのではなく、UTMBのフィニッシャーになりたかった。それだけUTMBは大きい存在であり、憧れでした。
運営、大会の規模、応援、どれもが想像以上でした。世界最大のトレイルランの祭典。その花形であるメインレースのUTMBは誰もが主役になれる舞台だと思います。簡単にお勧めできるものではありませんが、トレイルランナーなら誰もが憧れるにふさわしいレースだと思います。


今年は天気に恵まれ、比較的暖かい気候の中での開催でした。例年の完走率が50〜60%とも言われていますが、今年は62%ありました。昼間は暑く熱中症でのリタイアが多く出たと聞いていますが、寒い方が苦手な自分にとっては追い風だったと言えます。


あとがきで書くのもアレですが、今回の目標設定としては、
A目標:作成したタイムチャート通りの完走=32時間以内の完走
B目標:出走者中上位10%以内でのゴール≒34時間前後での完走
C目標:35時間以内での完走
最低目標:制限時間内での完走=46時間30分以内での完走
という設定でした。結果的にB目標達成ということになりましたが、3ヶ月の突貫工事の結果としては満足していてうまく走れたと思っています。
初めての100マイルで再現性の高い走りができたのは、自分の力を適切に把握して段階目標を設定できたこと、タイムチャートと照らし合わせてレース中の自分の調子を客観的に(統計的に)把握できたことにあると思っています。

走る前はしばらくランはひと段落することになるかなと考えていたのですが、走り終わってみると、もっとうまく走れたなとか、今度はUTMBを30時間以内で走ってみたいとか色々と考えが巡るようになりました。
次の目標は、フルマラソンでもう一回記録出したいとか、トルデジアンかTJARかなとか色々考えていますが、またいつかシャモニーに戻ってきてこのレースを走りたい。
今回のUTMBの旅はゴールではなく、スタートになりそうです。



UTMB2019 完走記 前編(しの)

2019-08-26 16:19:05 | UTMB
ホノマラ7年の篠原です。

4年間目標にしてきたUTMBという大会に出場してきたので大会録に残そうと思います。
大会録を書くのは初フル以来ですね。当時の記録はこちら
基本的にフルマラソンを走ったりしている方向けに(ウルトラ)トレイルとはどんなものか覗くことができるように書いていますが、将来的に100マイルレースに挑戦する人が現れるかもしれないので、所々詳しく書いたりしています。その辺はサラッと読んでいただければと思います。


0. UTMBとは

UTMBはウルトラトレイルの大会です。ウルトラトレイルとはトレイルランニングのウルトラマラソンということです。トレイルランニングとは普通のマラソンと違って山道などの非舗装路を走ること。ウルトラマラソンというのは基本的にフルマラソンより長い距離を走るレースのことを指します。ロードのウルトラマラソンの多くは100kmが主流かなと思います。トレイル(特に海外)ではウルトラというと100マイル(約170km)が主流かなと思います。つまりウルトラトレイルは山ん中をアホみたいに長いこと走っている競技なんだなと思ってもらえると大体正しいです。


UTMB(Ultra Trail du Mont Blanc)はヨーロッパアルプスの最高峰「モンブラン」の周りの山塊を一周する、世界中に数あるウルトラトレイルのレースの中でも最高峰のレースです。フランス、イタリア、スイスと三ヶ国の国境を跨いでトレイルを駆け巡ります。距離は100マイル、制限時間は46時間30分。三日間続く長い旅。世界中の国々からおよそ10000人ものランナーが集います(グループレース含む)。


そんなの想像もつかんという方はYouTubeに大会の様子をまとめたもの(こちら)があるのでこれを見ると少しはどんな大会かイメージできると思います。


ホノマラーがよく出る大会とUTMBの高低差比較

これを見るとなんかヤバそうなレースであることは分かると思います。笑




1. UTMBを目指したきっかけ


今になって振り返ると、なぜこんなにも取り憑かれたようにこのレースを目標にしてきたのか、当時のことは正直あまり覚えていません。時系列的には、大学に入学し1年目で初フルサブ3を達成し、3年の時には初100kmサブ9を達成し、次なる目標としてUTMB完走があったのは事実です。しかし、100kmを経験した段階で、次のレベルのチャレンジを探す自分がいる一方で、自分の中にある種の「諦觀」のようなものが芽生えた気もします。


村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」の中にこんな一節があります。


100kmレースを完走することによって、大げさに言えば僕は「ちょっと違う場所」に足を踏み入れてしまったようだ。(中略)そのせいで僕は、走るという行為に対して、以前のような「何が何でも」という、単純に前向きな気持ちを持てなくなってしまったのかもしれない。(中略)大事なのは時間と競争することではない。どのくらいの充足感を持って走り終えられるか、どのくらい自分自身を楽しむことができるか、おそらくこれが、これから先より大きな意味を持ってくるだろう。


この一節に出会ったとき、自分の感覚と近いものを感じて嬉しくなった覚えがあります。タイムや勝ち負けよりもレース中の体験や自分自身の変化に対する満足を求めるようになったということなのかもしれません。UTMBという壮大なレースに出ればきっと何か大きなことが経験できる、自分がどう変化するのか楽しみだ、といった期待が当時の私にはあったと思います。



2. エントリーまでの道のり


UTMBには参加資格があり、誰もが簡単にエントリーできるわけではありません。この大会を目指すランナーの増加に伴って参加資格も年々厳しいラインに設定されるように変化しているのでここではその詳細については触れないでおこうと思います。ざっくりいうと2年間で100kmクラスのレースを3本完走しているという経験値が要求されています。
その参加資格を満たした人の中からさらに抽選で当選した人だけが出場することができます。倍率は3〜4倍とも言われていますが、その抽選システムは独特で、1年目に外れると2年目は抽選券が2倍になり、2年目も外れると3年目は必ず当選するといった仕組みになっています。



ここから私が今までUTMBのエントリー資格を得るために走ってきた100kmレースについて一つずつ簡単にまとめていきます。


⑴ Dalian 100 Ultra Endurance Race 2016/4/23

当時、トレイルランの経験がほとんどなかった私は、まず100kmクラスのレースの完走経験を積むことが目標になります。しかし、100kmのレースにもそれなりのレース経験が求められているので、経験値ほぼ0の私にエントリーできる100kmレースは国内にはほぼありませんでした。なので経験値の要らない中国の大会にいきなりエントリーを試みました。笑 この大会含め多くの中国の大会は中国内に銀行口座を持っていないとエントリーできないのですが、現地在住の日本の方とSNSで連絡を取って強引にエントリーしていただきました。その方とはその後の中国の大会でもお世話になったり、日本でもたまにあったりしています。
といった経緯で初のウルトラトレイルが中国の大連でした。そもそも海外レースはホノルルしか走ったことがなかったので、何もかもが不安でしたが、日本からの出場者も自分以外に何人かいたり、現地在住の日本人の方に優しくしていただいたので無事完走することができました。この大会のコースは、大連の都市部と隣接するタウントレイルとを巡り、大連の街もレース中に観光できてしまうようなコースレイアウトになっていて楽しいコースでした。海外のトレラン初挑戦にはいい大会だと思います。


⑵ FunTrails 2016/11/19

2本目のレースは埼玉県の秩父から飯能にかけての山域を走るレース。11月の秩父は本当に寒くて低体温症になったりと苦しみながらなんとか完走しました。本番のUTMBは8月なのに雪が降る年もあるみたいなので、寒さへの対策や経験を積むという意味でこの大会は貴重かなと思っています。


⑶ ONTAKE100 2017/7/16

3本目は長野県王滝村でのレース。この大会はコースもそんなにきつくないなので比較的余裕を持って走れました。
このレースまでの3レースでエントリーに必要な経験値をためたつもりでしたが、このレースが経験値として不十分(キツくないから)だということがわかり年内にもう1本レースを走る必要が出てきたのでした。


⑷ UTSZ Trail Race 2017/12/23

というわけでエントリーが間に合ったのはまた中国のレースでした。今度は深圳。深圳の人は日本人にとにかく優しかったです。エイドに入ってきたランナーが日本人だと分かると何も言ってないにご飯やスープを持ってきてくれたり何か欲しいものあるかと尋ねてくれたり、コーラが欲しいというと買ってきてくれたり笑 結果はスウェーデン人に負けて準優勝でした。中国まできてスウェーデン人と争うとは思ってなかったです。笑

この大会に完走し、無事UTMBのエントリー資格が得られ、年末のエントリーに間に合わせることができました。
しかし抽選では落選。2年目の抽選のためにUTMBは1年持ち越しです。


⑸ 信越五岳トレイルランニングレース 2018/9/16

2年目の抽選に進むためにも参加資格を継続して獲得しなければならないので2018年は2レース走る必要がありました。一つ目が長野の信越五岳。110kmのレースです。この大会は人気の大会でエントリーは数分で締め切られるほど。過去2年はエントリーに失敗していて3年目にしてやっとエントリーすることができました。大会運営が洗練されていてホスピタリティーが高く、コースも走れるトレイルで楽しいコースでした。国内でリピーターが多いのも納得。


⑹ FunTrails 2018/11/17

2回目のファントレイル。1回目よりはうまく走れたけど、結局寒さには弱いことが分かりました。
この大会を完走したことで、UTMBへのエントリー権を獲得。年末にエントリーして年始に結果が出ます。結果は見事当選!晴れて2019年のUTMBに出場することができます。

UTMBに出たいと思ってから実際に出るまでに4年、その間に国内外の100km級のウルトラトレイルを6本走りました。一つ一つのレースに出るにもエントリー費が2万前後、遠征費なども考えると1レースあたり5万といったところでしょか。UTMBに出るためには時間もお金も労力も半端なくかかりました。


これまでのレースとUTMBの高低差比較

UTMBのラスボス感やばい。。。



3. 準備


《目標設定》
もちろん、大目標はUTMB完走ですが出るからにはなるべく良いパフォーマンスで楽しく走りたい。
ただ、初めて走るトレイルのコースをどれくらいの時間で走ることを目標にして良いのか、フルマラソンよりは試算しにくいです。
そこで参考にしたのがITRA(International Trail running Association)のperformance indexです。
簡単に説明すると、世界中のトレランの大会はITRAによって統一された基準によってそのコース難易度が評価され、レースの結果(タイムや順位)からそのひとのパフォーマンス値が算出されます。



これは私のレース結果の一部ですが、一番右のScoreという値がパフォーマンス値です。
良い時でだいたい590程度のパフォーマンス値であることがわかります。
これはロードのレースの実力からするとだいぶ低い値かなと思います。
参考までにロードのベストは以下の通り。

フル:2:41:18 (2015別大)
ハーフ:1:15:41 (2014上尾)
100km:8:52:18 (2015サロマ)
10km:34:29 (2013京都丹波)

これは冒頭にも書きましたが、ロードの記録を狙って頑張っていた時期ほど練習を真面目にやってないからだと思います。笑

次にパフォーマンス値が590前後のランナーがUTMBをどのくらいのタイムで走っているのか、調べてみます。
だいたい33時間〜36時間くらいに多くのランナーが確認できました。
よって私の今の力でうまく走ると33時間くらいだろうと予測できます。本番まで今まで以上に練習を積むことを考慮して目標タイムはこれより1時間早い32時間に設定しました。


《トレーニング》
100マイルをはじめとするウルトラトレイルに向けたトレーニングの方法論やマニュアルについて詳しい書籍や情報は探したけどあまりない印象です。(ウルトラトレイル界の著名なランナーが書いた本は自叙伝やレース中の気持ちの変化などを振り返っているものが多くそれはそれで面白いのですが)ロードのウルトラマラソンやフルマラソン用のトレーニング本やトレランの入門書的な本はたくさん出ているので、それらに書かれていることを組みあわせて参考にするのが良いと思います。

UTMBに出ることが決まる前から本番に向けたトレーニング計画を立てて遊んでいたのですが、実際に練習したり大会に向けて準備したりする気になってきたのは6月に入ってからでした。笑
本来はUTMBに向けて半年以上前から練習を積んで、5月6月7月とそれぞれマイルストーン的にレースに出て実戦経験を積みながら練習の効果を確認する予定でした。が、それほど練習を積めていない状態で走ったのでレースがいい練習になるといういつもの展開に。走ったレースはそれぞれ阿蘇ラウンドトレイル(5月、120km)、飛騨高山ウルトラ(6月、100km)、北丹トレイル(7月、40km)。6月の飛騨高山は気持ちが続かなくて60kmでリタイアしました。このあたりから少しずつ本番完走できるのか不安になってちゃんと練習するようになりました。
全体的な練習計画としては、7月の中旬までは鍛練期で長時間・長距離を走るようにすること、8月中旬までは山に行く頻度を増やしより実戦的な環境で走ることを意識しました。量と質については、レース6週間前では増加傾向でそこからレースまでは強度を維持しながら頻度と時間を減らしていくテーパリングを心がけました。詳しくは僕のジョグノートを見ていただけたらと思います。



ポイント練は大きく分類するとスピード練と距離練の二つ。
スピード練は水曜日の通常練でのペース走やレペ、インターバル。と峠走(ヤビツ峠)。
ウルトラにスピード練は必要ないという話も聞きますが、完走するのに十分なスピードで走れる走力を備えた人が完走目標で走るなら要らないというだけでウルトラでも記録を意識するなら必要だと個人的には思います。レースペースで余裕を持って走るためにLT値を引き上げたり、速いペースで効率よく走るためのランニングフォームを獲得したりするためには閾値走やレペが効果的だと巷の本には書かれています。
距離練は秩父練(71km)と夏合宿(45km)。

山練は文字通り山に行ってトレランする練習です。
練習フィールドは主に都内で高尾山域、ハセツネコース、奥多摩などが多かったです。他には富士山に二回、秩父の武甲山に一回行きました。本当は北アルプスとかに行って練習したかったのですが時間とお金がないので近場しか行きませんでした。
山練のメリットとしては、上り下りでの普段ロードでは使わない筋力の強化や、足さばき、コース取り、身のこなしと行った部分で慣れておくこと(本番で余計に集中力を浪費しないために)の他に、長時間山に入ることで身体的精神的疲労の溜まり方や消化器系の反応等を見ることができ、戦略や補給計画を立てるのに役立ちます。あと山の方が平地より涼しい環境で練習できます。笑

UTMBの特徴としては
・170km +10,000m
・制限時間46時間30分(優勝タイム20時間台)
・標高は1,000m~2,500m
・山のひとつひとつが大きく、急登
・登り始めたら登りっぱなし、下り始めたら下りっぱなし
・一部を除き、よく踏まれた路面は固め
・ポールの使用OK
といった感じで、日本のトレランとは少し違った対策が必要になってきます。
UTMBのための練習をしようとすると、同じ日に「登りと下り」を両方やる必要があります。
・UTMBは平均標高が2,000m級なので、なるべく高い標高のエリア
・ほぼ「登りっぱなし」「下りっぱなし」で標高差がとれるところ
・斜度は20%前後のところ
・「下りやすい、ある程度走れる」ところ
…と色々な条件を考えることになります。
これらの条件を満たしており、都内から行きやすかったのが富士山であり、武甲山でした(富士山もうち一回は夏合宿のついで、武甲山は秩父練のついででしたが)。

直前期のレースは
6/9 飛騨高山ウルトラ(60kmでリタイア)
7/7 北丹沢12時間耐久レース(悪天候で40→30kmに短縮)
7/14 The4100Dマウンテントレイルin野沢温泉(23km)
飛騨高山は長時間・長距離動く練習として、北丹と野沢温泉は急登・登りに強くなることを目的に出場しました。




《タイムチャート》



本番に向けて、各チェックポイント、エイドの通過想定時刻と区間タイムの目安を把握するため、タイムチャートを作成しました。
ターゲットタイムは32時間に設定したので、タイムチャートは去年のリザルトのうち、31:30~32:30でゴールした39才以下の選手の各チェックポイント通過時刻の平均をとることで算出。
青がフランス、緑がイタリア、赤がスイスのチェックポイントで黒は国境。
自分で作ると少しイメージが膨らみました。
エイド間隔の開きが1番大きいのが、後半のシャンペからトリエンまでの区間で3時間半ほど要する計算になります。やばすぎる。。。



《装備とギア選び》

トレランではレースによって食料やレインウェア、救急セットなどが必携になっていることが多いです。ロードのマラソンよりエイドの設置箇所も限られてくるので、水分も携帯する必要があります。基本的にはこれらを詰め込めるザックを背負ってはしることになります。
ここでは実際に走った時の装備と、ザック・トレランシューズについてUTMB向けに選んだものとその他に候補になったものを紹介しておきます。


【装備】


緑の丸は必携装備

① ザック
SALOMON/ADV SKIN 12 SET
② ウォーターリザーバー 
水を最低1リットル
③ 150cc以上の携帯コップ
④ ライトと電池を2組
Black Diamond SPOT325 / GENTOS
⑤ エマージェンシー・ブランケット / ホイッスル / 伸縮性テーピング
⑥ ゴアテックス相当のレインウェア
mont-bell ストームクルーザー
⑦ 完全に足を覆える装備 (長ズボン、レギンス、ハーフタイツ+ロングソックス)
⑧ 追加のミッドレイヤー
patagonia キャプリーン・ミッドウェイト・ジップネック
⑨ 帽子・バンダナ・バフ
⑩ 保温用の帽子
⑪ 保温用の手袋
⑫ 防水オーバーパンツ
THE NORTH FACE ストライクトレイルパンツ
⑬ 携帯食料
アスリチューンを中心にマグオンやミネラルタブレットを携帯。
補給計画については後述するかも。
⑭ ポール
Black Diamond

画像にはないですが、この他に携帯電話とパスポートが必携となっています。


【ザック】
SALOMON/ADV SKIN 12 SET
トレイルランニング界にベスト型バックパックを浸透させたSALOMONの代表モデル「ADV SKIN」シリーズ。
数あるトレランザックの中でも軽さとフィット感が1番良かったのでこちらにしました。容量は10L(Sサイズ)。100マイルで使うなら10L前後の容量のものを選ぶといいと思います。色は黒が良かったけど、在庫がなかったので赤にしました。

これと同じくベスト型のバックパックで人気なのが、THE NORTH FACE/TR10だと思います。容量は8L(Sサイズ)。
こちらは背負ったときに身体が包み込まれるような感覚で、安定感や安心感があります。



【シューズ】
シューズを選ぶ際に重視したポイントは、長時間走行していてもストレスが少ないこと、です。特にアッパー部分のフィット感と硬い岩場などの路面を走るときの突き上げをある程度緩和するソールの安定感。また、長距離のレースでは後半脚が浮腫んでおおきくなるので、前足部にある程度のゆとりがあるもの。
トレランシューズはその性能によって登山靴寄りの比較的頑丈なものとランシュー寄りのフィット感やクッショニングを重視したものとがありますが、ランナー上がりの自分は後者に近いものを選びました。それが
SALOMON S/LAB ULTRA
です。
サロモンのS/LABシリーズはアスリートのレーシングシューズに特化したシリーズで、特にこのモデルは100マイル用に作られています。
UTMBを2度優勝したフランソワ・デンヌと共同開発したモデルで、快適性、安定性、路面適応性と抜群だと思います。ネックなのは価格と耐久性。新しいモデルだと一足22000円(+税)。流石に購入を躊躇するレベルで高い。。人生に何度も走れるレースじゃないんだからこれくらいのシューズもありですよってオススメされ、何度もサロモンの直営店に足を運んで迷っていたところ、運良く旧型のモデルが入荷したとのことで30%offで売ってくれました。サロモンのお兄さんありがとう。

これと迷っていたシューズが
inov8/Trailtalon 290
です。
ランシューに近いフィット感とクッショニング、イノヴェイトのウルトラ用モデルで、前足部は比較的ゆったり目につくられています。



《その他》
服用していた抗うつ剤の薬の数を減らしました。副作用に発汗量の増加と血圧の増加があり、長い距離走る上では身体に余計に負荷がかかると判断したからです。この判断が正しいかは病院の先生も分からないそうです。笑まあ状況が特殊過ぎるので仕方ないですが。。詳しい方居たら教えてください。

直前1ヶ月はアルコールも控えめ(0とは言ってない)にし、カフェインもほとんど摂らないようにしました。本番で眠気に襲われた時にカフェインの利きをよくするためです。
食事もできるだけ高タンパクなものにするようにしました。直前3ヶ月はトレーニング量も一気に増やしたので、少しでも疲労回復を図るためです。





いつになったらUTMB始まるんだ!と思ってる人も多いかもしれませんが、ここまでの記事は出発前に書いたものです。レースの様子や感想については編を改めてまた書かせていただきます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!
それでは行ってきます!



乗鞍天空マラソン2019(みうみう)

2019-06-28 01:04:03 | 乗鞍天空マラソン
第14回 乗鞍天空マラソン(2019/6/23)

こんにちは。ホノマラ4年の三浦匠です。フルでサブスリーした時も、ウルトラ完走した時も大会録を書かなかったので実は初めて書いています。それだけ強烈な大会だったので記録を残しておこうと思います。

<出場の経緯>
フルでサブスリーという大きな目標を達成して以来、フルマラソンを走っても絶望的な苦しみを乗り越えるといったことは無かった(まだ記録を狙うことを諦めている訳ではないが)。
坂のある大会に出る取り組みを始めようと思い、その第1弾としての位置づけ。以前高尾練に参加した時にトレイルは無理だと悟ったので、ロードで坂のある大会を探した。ランネットの坂がきつい大会まとめ、みたいなのから見つけた気がする。記念すべき15本目のフルということで参加決定。トレイルランナー五百蔵と謎にノリノリだった彩乃ちゃんを核にメンバーを集めた。


<大会の特徴>
長野県の乗鞍を舞台とする、日本一高いところを走るフルマラソン。はじめ5kmの平坦の後、1100mひたすら登ってひたすら降りて来る大会(1500m→2600m)。上の方は雪の壁が残っていて絶景。キャッチフレーズは「さあ、今年も苦しさを楽しもう」。


<練習>
特にこの大会に向けた練習はなし。登り坂を意識的に走るということもなし。
今までは記録狙いで平坦な大会にも多くでてきたが、強いていえば
おきなわ×2
浦佐ハーフ×2
はが路
青梅30km
富士五湖100km
はアップダウンがあると言えなくもない。


<遠征>
前日新宿でレンタカーを借りて出発。松本ICから結構遠くてちんたら観光している暇はなかった。引き換えの紙に誓約書としてハンコまで押さなければならなかったのは、救急搬送するにも1時間くらいかかるから自己責任で、ってことなのかもしれない(笑)。
走らないけど無理やり連れてきたすっさんが彩乃ちゃんの分を引き換える時に「頑張ってください!」と言われていたり、ガンバフンバくんというイノシシのゆるキャラがトーク力溢れていたりといろいろツッコミどころの多い引き換えだった。周りのランナーはやはりトレイルやみかた残酷マラソンなどアップダウンが売りの大会を走ってきたランナーが多かった。浦佐Tシャツで走ろうと思ったのに、研究室に置いてきたのが悔やまれる…
彩乃ちゃんを迎えに松本駅まで戻ったが、戻らないと夕ご飯を食べるところがなかった。新島々の赤松ドライブインは蕎麦が売り切れそうだった。新島々駅は昔赤松駅という名前だったらしいが、(名前が良くないから?笑)改名されて今の駅名になったらしい。
宿は野麦峠スキー場近くの山荘わたりを抑えていたが、思ったより快適で素泊まりでは勿体なかった。今度ゆっくり3泊ぐらいしたい感じ。飲酒と残業も程々に就寝し、朝5:10に宿発。6時前に会場に着いたが、駐車場が近くて後から続々と車が来ていたのでちょうど良かったかもしれない。
今回はウォッチを充電し忘れていて、スタート前から全く点きもしなかったのでタイム一切取れず。GPSまではなくとも、ラップくらい残しておきたかった…

<スタート~5km>
地元出身のシンガーソングライターの歌の後、7:15を明らかに過ぎた時間にヌルッとスタート。まっつんさんが飛び出して行くのが見えた。ガンバフンバくんも爆走していた。高低差のグラフでは始めの5kmは平坦になっていたが、そんなことは無く細かいアップダウンで息が上がる。スタートから爆走していたガンバフンバくんもガードレールに両手をついて死んでいた。
2.5kmの折り返しを目指して走る。まっつんさんとすれ違ったあと、折り返してみんなとすれ違う。なんか既に歩いている人がいて大丈夫か、と思ったが自分もフルのくせに息が上がっていて割と不安だった。

<5km~23.6km、上り>
5kmでスタート地点に戻って来て給水。結構暑くて付けていたアームカバーを外した。直ぐに登り坂が始まって山の中に入っていく。汗が吹き出してきて息が上がる。坂の勾配はバカきつい訳では無いが、連続してやってくるのがきつい。次のエイドまでは5km以上あってメンタルが持たず、既に7kmの距離表示の所から歩く。息を整え、大会だからって頑張ろうとすると死ぬな、と思いジョグ位の気持ちで再スタート。その後もちょいちょい歩きつつ三本滝のエイドに到着。塩熱サプリが染みる。周りはtheスキー場って感じで、リフトが乱立している。上を見ると走っている人が見えてああ、あそこまで行くんだなあと。
その後も走っては歩いて、の繰り返し。ウルトラで歩きぐせ(休み癖)がついたかなぁ。アクアラインの時みたいに1キロごとに歩く&走るを繰り返す良くない感じ。人の声が聞こえてエイドだと思ったらあと500mあった、なんてことも。ちんたらしてたら後からいおろいに追いつかれて写真撮ってもらった。エイドのリンゴが美味しい。走って抜かした人に、歩いている間に抜かされて離される。
標高が高くなってきて、リフトは無くなり気温が下がってきた。アームカバーを再度付ける。まだ雪の壁は現れない。山を見ても雪積もってるところはあまりないからまだまだ。でも下を見るとどこから登ってきたのか分からないくらい高い。滝の一部が凍っているところが出てきて、高山植物が生えているので森ではなくなってきた。下りの人もチラホラ。まっつんさんとあった時は歩いていた気がする。DNSの水飴みたいな補給を摂りながら登った。
ようやく雪の壁が見えて来たのでせっかくだから触っておいた。さすがに結構融けていて地面は濡れていた。
折り返し地点がようやく見えてきた。斜面には雪が残ってて、そこでスキーやスノボをしている人がいたので驚いた。ランニングとスキーが同時に行われるシチュエーションってどんなだよ。

<23.6km~ゴール、下り>
折り返しには時計があって10時前だったので上りに2:45くらいかかった計算。下りは1:30-1:45位でフルのワースト(4:54)だけは避けよう、というくらいの計算。エイドに先に着いていたいおろいは早々に旅立って行った。味噌汁があって冷えそうな体に温かい。シソの握りもせっかくだから食べて出発。
下りは得意なので気持ちよく飛ばしていると、1kmもせずにつりそうになる。すかさずコムレケアを投入し、何とか耐える。フルの中では1番早いタイミングで使った。あんなに長かったエイド間が短く感じる。エイドでおじさんと「短く感じますね。」なんて話した。すれ違う人達は記録を狙ってもしょうがないのもあってか仮装している人が多めだった。しかしいくら下りだけとはいっても20km近くあって長い。エイドで止まって休んだし、最後は5km以上空いていたので普通に歩いた所もあった。そんなこんなで何とかゴール。42kmの表示からが長すぎて絶対200m以上あったと思う。ゴールタイムの4:07′10″から、下りは18.6kmを1:20くらい。まぁ良しとしよう。4時間半くらいかと思っていたので思ったよりも早かった。ウォッチを付けていればサブ4しようと死ぬ気でもがいていたかもしれない。


<ゴール後>

すっさんが穂高に行ってしまって何も荷物がなかったので座ってみんなを待った。下に降りてくるとやっぱり暑くて、改めて登ってきた山の高さに驚く。道の向かいに温泉があって良い。でもめっちゃ硫黄だったから長く入ってると硫化水素で気分が悪くなりそうだった。青学の小野田くん並に下りを爆走した小野Dはぶっ倒れてたらしい。
帰りの道は全てすっさんに運転してもらって本当に有難かった。松本ICまでのところでプリウスが事故っていたが、乗鞍走り終えた人かなって感じで怖い。
ちなみに筋肉痛は前の太ももが2日間続いた。上りに慣れていないのが露呈している。

<感想>

上りが苦手で下りは得意であることは分かっていたが、上りの連続で早々に歩いたのは反省。根性の無さを痛感した。同じだけアップダウンがあるにしても、こまめに切り替えがあった方が恐らく走りやすい。上りは腿を使って、下りはふくらはぎを使うというのが筋肉の痛みという形で実感された。
一方でこの大会を走りきれたならどんな大会も怖くないというのも言えるとは思う。また気が向いたら強くなって帰って来たい。
最後に、この意味わかんない大会、遠征に付き合って下さったみなさん、ありがとうございましたm(_ _)m

2018つくばマラソン (りくそん)

2018-11-30 01:23:56 | つくばマラソン

 こんにちは、ホノマラ3年のりくそんです。

 先日(2018年11月25日)行われたつくばマラソンで、目標としていたサブスリーを達成できました。僕の体験談が参考になるかどうかはわかりませんが、1つの例として記録しておきたいと思います。



◆結果

net差 1:08

1km (計測失敗)

2km 8:24

3km 4:17

4km 3:55

5km 4:21 (20:58)

6km 4:10

7km 4:05

8km 4:12

9km 4:11

10km 4:10 (20.51 計41.49)

11km 4:08

12km 4:11

13km 4:09

14km 4:03

15km 4:16 (20.50 計1:02:39)

16km 4:07

17km 4:07

18km 4:13

19km 4:05

20km 4:10 (20.45 計1:23:23)

21km 4:08

ハーフ通過 net 1:27:58

22km 4:07

23km 4:10

24km 4:05

25km 4:09 (20:42 計1:44:06)

26km 4:07

27km 4:09

28km 4:11

29km 4:04

30km 4:28 (21:02 計2:05:07)

31km 4:10

32km 4:21

33km 4:04

34km (計測失敗)

35km 8:48 (21:24 計2:26:32)

36km 4:21

37km 4:08

38km 4:31

39km 4:38

40km 4.11 (21:51 計2:48:22)

41km 4:29

42.195km 5.21

gross 2:59:21
net 2:58:13 (ave 4:13/km)



◆前日までの調整・練習

 2018年3月のはなももマラソンで3:14:28を狙ったが、35km以降で潰れて結果は3:19:18であった。自己ベストではあったものの、これまで出場したマラソンと同じように潰れたこと、十分な練習を詰めなかったこと、同期のみうみうが2回目のサブスリーを達成したことなど、悔しさやモチベーションを多く得た。
 さらに悪魔のささやきによってえちご100kmにエントリーしてしまい、練習せざるを得ない状況ができてしまった。

 ということで、えちごに向けて練習量を増やすことを心がけ、それがつくばにも繋がるだろうと考えた。具体的には
①練習日数を増やして月間距離を150km以上で保つ
②月に1回は距離練に参加して、長い距離への耐性をつける
 の2つを目安にした。その詳細は以下のようであった。


○4月 209.2km
 ダイエットしたいという友人の朝ランに付き合って距離を稼いだ。朝ラン中に当たり屋のおばさんに言いがかりをつけられるという事件があり、死ぬほど腹が立った。30km距離練を2回した。山手線企画はずっとチャリで、月間距離に加算できず。

○5月 155.3km
 友人とたびたび連絡がつかなくなった。朝は1人で走ることが多くなり、死ぬほど寂しかった。距離練は実施できなかった。

○6月 78km
 友人が全く朝起きなくなった。自分も試験期間とかぶって全く朝起きなくなった。当たり屋のおばさんも当たる人がいなくなった。めでたしめでたし。試験後は学科同期と頻繁に飲酒した。言わずもがな走行距離が死ぬほど減った。

○7月 135.5km
 朝ランの代わりにと夜ランをメインにしたが、死ぬほど暑くてモチベーションを保てず。50kmの距離練に参加したのは唯一よかった。えちごまであと3ヶ月…。

○8月 162.6km
 死ぬほど夏バテしたが、夏合宿の60km距離練や代々木ぐるぐる25km距離練などを利用して、3ヶ月ぶりに150kmを超えた。えちご完走は大会効果に期待し始めた。

○9月 95.1km
 3月から通い始めた教習所をようやく卒業した。最後まで技能教員が死ぬほどうざかった。初めてEDM系の音楽フェスに行き、音楽には感動したがウェイに囲まれて死ぬかと思った。走った記憶はあまりない。

○10月 301.3km
 えちご100kmが台風で中止になり、死ぬほど萎えた。代わりにと40km距離練をしたが満足できず、むしゃくしゃしたノリで今月は300km走ろうと決めた。計画性の無さから3日間で約75km走ったこともあったりと、かなりめちゃくちゃなことをした。なんやかんや達成。

○11月 69.9km(1週間前まで)
 上尾ハーフに向けてスピード練をしたり、つくばを意識した代々木5分/周の30kmペーランをしたりした。上尾は大会一週間前からの調整に気を使い、自己ベストも出せた。つくばもいけるかもしれないと思った。風邪だけは引かないようにと死ぬほどぬくぬくした格好で毎晩寝た。



◆大会1週間前〜前日

 上尾の筋肉痛がなかなか消えなかった。それにも関わらず通常練で結構なスピードを出してしまい、余計に回復を遅らせてしまった。つくば前日にようやくましになってきたが、左足付け根の筋肉の張りだけは大会当日まで消えなかった。
 カーボローディングに関しては上尾でうまく行った方法と同じで、1週間前から死ぬほど食べまくった。前日の夜はなかなか眠れず、1時くらいにようやく寝られた。



◆当日

 4時50分に起床した。シャワーを浴びてから軽くストレッチ。朝食は米1合を卵かけご飯にして食べ、1日分の野菜をコップ1杯飲んで出かけた。南千住駅のホームでカロリーメイトを2本食べた。つくばエクスプレスは混雑していて座れず、約40分間立ちっぱなしで死ぬほど疲労が溜まってしまった。また、車内ではランナーのおじさんに何回か壁ドンされた。
 研究学園駅に7時頃到着。シャトルバス待ちの行列がすごい。その時は一本前の電車に乗ればよかったと後悔したが、意外と列の進みが早くて会場入りしたのは7時45分くらい。まぁこんなもんかなと。ホノマラーと合流すると自然に笑みが溢れ、死ぬほどリラックスできた。8時20分くらいに荷物を預けてトイレに向かった。かなり混雑していて、Bブロックにたどり着いたのは出走10分前と、死ぬほどではないがかなりハラハラした。スタートまではとぅっしーと談笑していた。



◆レースプラン
30kmまで4:10/kmで行き、残り12.2kmは4:30/kmを超えないように粘ってサブスリー達成。



◆レース

・start〜5km
 寒かった。人が多くて走りにくかった。1万回以上読んだくのさんの大会録の影響を受けてか、自然と横の歩道を走っていた。1kmの表示を見落としたりペースが安定しなかったりと不安要素は多かったが、5kmの通過タイムがプラン通りで、そこでようやく安心できた。

・5〜10km
 両足のふくらはぎの張りが気になってきた。序盤から苦戦するとは思ってもみなかったのでめちゃくちゃ焦った。完走無理、サブスリーはもっと無理、と絶望しかけたが、諦めるのはまだ早いと思って辛抱した。潰れた時のことは潰れた時に考えればいいわけで。足の張りを紛らわすために、人について行っては抜かすのを繰り返した。それが結果的にペースの安定に繋がった。

・10〜15km
 遠いゴール地点を想像すると途方にくれるので、30km地点に到達することだけを考えて、30kmまでの残り20kmをカウントダウンし始めた。両足の張りはまだ続き、いつ走れなくなるかヒヤヒヤしてた。途中で軽快なフォームのRinさんに抜かれた。誰かについて行きたかったので、視界からRinさんが消えないようにと走り続けた。

・15〜20km
 1本目のザバスピットインを投入。Rinさんとの距離は開いていくけど、視界の中にはまだ入っている。サブスリーペースだからか周囲にやたらと人が多かった。日差しが強くなってきたので給水は毎回取るようにしたが、人が多く、かつ給水エリアが短かったので取るのに苦労した。

・20〜25km
 ふくらはぎの張りが消えてランナーズハイ突入。いつしかRinさんが見えなくなっていたが、自分でペースを保てていたので不安は感じなかった。

・25〜30km
 30kmまで残りわずか。折り返しですれ違ったRinさんとの差が思ったより近かった。他のホノマラーにも遭遇して元気が出た。30kmを通過すれば残りは気合いでなんとでもなるだろうと思って、ペースを落とさないように必死で粘った。

・30〜35km
 30km通過後に2本目のピットインを投入。ここからが勝負だと気合いを入れ直した。ペースはあげられそうになかったので、とりあえず4:10/kmでキープ、人を抜かせるなら抜かしていくのを繰り返した。腕の振り方を変えるなどして、35km地点まではそこまでペースが落ちなかった。

・35〜40km
 腕を大きく振っても人を抜かせない、むしろ自分が抜かされる場面が多くなってきた。4:30/kmを越えなければサブスリーを念じていただけに、ラップで4:30を越えた時にかなり焦った。もはや残りの体力を温存する必要もないし、温存しようとしてこれまで何度も失敗してきたので全力を出し切るイメージで走った。結果として気持ちが切れれば止まるというくらい足が限界にきて、40kmの通過タイムを見てもサブスリーの確信は持てなかった。

・40〜42.195km
 止まらなければ大丈夫だと思い込んでひたすら足を動かした。最後の2.195kmに関してはフォームがめちゃくちゃで、どういう風に走っていたか記憶がない。41km通過で残りタイムを見て、ようやくサブスリーを確信。あっくんとみうみうに抜かされたが、2人とも声をかけてくれて元気が出た。ゴールが見えた瞬間は、本当に頑張っていて良かったと思った。フルマラソンで初めて笑顔でゴールできた。



◆まとめ

 サブスリーさえできればなんでもいいと思っていたので、ゴール直後は本当に嬉しかった。今回は歩いたり立ち止まったりしなかったという点では、初めてマラソンを”走り切れた”のかもしれない。
 苦しい場面は何度もあったが、春先から距離練を定期的に経験していたことと直前の10月の追い込みが精神的な支えになった。しっかり練習を積めばサブスリーできるというのは実感できた。
 上尾ハーフについては、疲労的な意味でフル1週間前にやるべきではないと個人的に思った。序盤の足の張りは上尾の影響もあったような気がするし。上尾で好記録を出して自信をつけ、つくばでサブスリー達成という流れが一部であるようなので、験担ぎとしてはいいかもしれない。

 例えば車を買う人にはそれぞれ目的があって、スピードレースをしたいとか、訪れたことのない遠いところまで出かけたいだとか、洗車したてのピカピカの車体を眺めるのがひたすら好きだとか、楽しみ方は無限である。マラソンも同じで、人それぞれの走り方がある。今回のつくばマラソンは記憶に残るレースだった。喜びも苦しみもひっくるめて、自分が未だ未経験のマラソンをこれからも走っていきたいと思った。



長くなりましたが、ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

えちごくびき野100kmマラソン2018(あお)

2018-10-10 22:39:56 | えちご・くびき野100kmマラソン
えちごくびきの100kmマラソン(18/10/7)

DNS(大会中止)

5年の青です。走っていない大会の大会録を書くのは初めてですが、自分の気持ちの整理と今回一緒に遠征した人への宣伝目的で書きたいと思います。
最近はjog noteが流行りですが、大会録は同じような目的をもって走る後世のホノマラーにとっても役立つので、また活性化していけたらいいなと思ってます!

【出場の経緯】
修士1年の今年は前と比べると少し忙しくて、秋田からの連戦は体力的問題以上にスケジュールの問題上憚られたため、出る気は全くなかったが、今年も2年前みたいにたくさんホノマラーが出る様子になってきたので、出ないことは精神的問題から憚られ、強制的に出場が決定。

【練習と目標】
7月 177.5km
8月 165.1km
9月 185.9km

学生最後の遠征、みたいなモチベーションで臨んでいた割には、平日は研究室を言い訳に、せいぜい週1回くらいしか走らず。えちごに向けて開催される距離練を土日に入れまくっていたので、見た目上の練習量はある程度稼いでいたが、それでも100kmの前としては過去最低の練習量。
長めの距離練は彩湖方面の50kmと秩父練71km、夏合宿76km(両脚攣って走れない区間があったので実際は67kmくらい)の3本。
ウルマラーな人たちに初100km組が加わっての距離練は、やはりこの上なく楽しかった!

2週前の秋田は、過去13本の反省を踏まえて前半抑えて走ってみることに。前半を5:10くらいで通過し、辛くなったり復活を繰り返したりしつつ80kmくらいまではラップをさほど落とさず進めたが、練習不足が祟って80km過ぎで急激に辛くなり、10:40でゴール。
潰れはしたものの、今までで一番長くラップを維持できたので、前半抑える走りに手応えは感じていた。

そんなこんなでサブ10は無理そうだったので、50kmから歩きまくって自己ワーストを更新した前回のリベンジということで、完“走”と10時間半を目標にした。リイさんが作ってくれたしおりに、達成できなかった時の罰ゲームを書くことになったので、kwmrさん提案「代々木100周」を表、篠原さん提案の「アカウント名を青/白からピンク/黄に変える」を裏の罰ゲームとして設定した。
秋田同様、前半は皆と走って5時間1桁で入り、後半は粘って5時間半以内で走ることにした。前日飲酒しないことと、後半走れるときに抑えることで秋田から10分削り出す作戦!

【秋田から前日まで】
9/26(水)
風邪を発症。1年半近く風邪をひいていなかったので、前回と同じタイミングでやらかしてしまった。だいたい風邪をひくと1か月は治らないので絶望。えちごには本当に縁がないと思った。

9/27(木)
ラボを30分抜け出して保健センターへ。「いつも風邪ひくと長引いちゃうんですけど、来週末に大事な用事があるので早く治したくて…」と言ってPL錠という風邪薬を処方してもらった。副作用で授業中の倦怠感が半端じゃなかった。

9/29(土)
薬のお陰なのか今回は気合いが違ったのか、風邪が治り始めた\(^o^)/
再発したら嫌だったので走らなかった。

9/30(日)
えちご完走祈願練(14km)
台風24号が来そうだったので少人数でサクッと。
秋田の疲労が抜けきっていなかったのか脚が重く、絶望した。
この辺りから、台風25号が気になり始める。

10/2(火)
台風の5日間予報で、台風が大会当日と被りそうな気配がしてきて焦った。ここから前日まで台風の進路予報を3時間毎に見て、Twitterやjog noteで騒ぎまくった。
多分気になっているのは皆同じだったはずなのに、一人だけうるさくてごめんなさい。

10/3(水)
とりあえず開催を信じて調整するしかない、ということでしおりの印刷に参加してから帰ってjog。秋田の疲労が抜けたことを確信した。
10/5正午に開催か中止か判断されることになった。

10/4(木)
台風の予報が早まり、当日の午前3時に直撃、スタートには通り過ぎていそうな予報になった。とはいえ暴風警報が解除されていないことが予想されて中止、という判断もあり得そうで、依然として油断はできない、むしろ中止と思っておいた方がいいかなという感じだった。せめて当日まで判断を待ってくれたらと思った。
情緒不安定で手が震えて、大事な細胞をサクションで吸いそうになった。

10/5(金)
午前中実験が手につかず、データ整理したりしつつ過ごした。11:50くらいからデスクでえちごのサイト何度も見てたら、途中からサーバーが落ちて20分くらい見れない状態が続いてたら、facebook見てたTかいさんから開催との連絡が来た!
開催だったら19時には帰るつもりだったのに、嬉しすぎて22時過ぎまで実験してしまい、荷造り諸々やってたら寝るのが2:30くらいになってしまい、3時間しか寝られなかった。

【遠征】
10/6(土)
8:00に新宿を出発し、バスとレンタカーで現地へ。春日山城跡に寄って観光した後、受付へ。去年と同じようにトランジットの袋にメッセージを書いきあっていたら、取材っぽい人に話しかけられて、話していたら、突然カメラを回され、取材を受けた。よりによって自分に取材しなくてもいいのにと思ったが、取材を受けて、「完走するぞ、おー!」ってやつを数人でやった。
買い出しを済ませて宿に向かい、翌日の準備をしていると、暴風警報のニュース速報が流れたが、翌朝の開催最終決定の時には解除されているだろうと思って気にしなかった。
夕飯には去年と同じカニが出た。うまく食べられなくて皆で悪戦苦闘していたが、皆が夕飯を食べ終わって部屋に戻っていくと、残ったのは去年と同じ自分とあべみきさんと、往年のライバルじゅんいちろーだけだった。朝寝坊したじゅんいちろーに自分がキレているという設定が昼頃から作られていたのだが、演技が中途半端で気まずい感じになってしまっていたので、ここで仲直りした。ごめんね。

翌日の準備を済ませてまだ8時過ぎだったので、部屋の外で皆と話していると、2階から大声が聞こえる。貸し切りとはいえうるさいなと思っていると、上の階から降りてきた人から中止の決定を聞かされた。何が起こったのか分からず、しばらく呆然としていた。一瞬で全てが終わってしまった。絶望した。しかし、これからどうするのかを早く決めなければならず、幹事のakmtさんたちはもう動いていた。
自分は、明日大会がなくても走る以外に、この気持ちをどうにかする方法はないと思った。
PPPさんはじめ何人かが賛同してくれ、はせくんやAPさんたちが計画に協力してくれた。
忙しく動いているうちに、気持ちは少し落ち着いていた。もうやることは、やけ酒することだけ。いつも以上に飲み、いつも以上に笑った。しかし前日の睡眠不足が祟って体力の限界を迎え、2:30には就寝。

10/7(日)
8:30に宿を出発、宿から海沿いにスタートへ向かい、コース沿いに10km地点まで走った後、ショートカットして69km地点でコースに合流、85km関門がある柿崎まで走る45kmのコース。先発組だけでも17人、一瞬合流した後発組を合わせれば24人も来てくれた。
途中雨にも見舞われたが、並走車の運転でサポートしてくれたSSPさん、休憩場所とか細かいことをずっと気にかけてくれたほーりーさん、色々な人のお陰で楽しい距離練になった。
個人的にも、2年前ほとんど走れなかった区間を気持ちよく走ることができたので満足。
開催されてたらあんまり話せなかったかもしれない人たちとたくさん話せたりしたのでそれはそれで良かったかな。
最後はくのっちと2人でやや速めのペースで4kmだけ追加jogして終了。

走っている途中で、色々な人たちに会った。中止の看板の前で運営の人に写真を撮ってもらったり、85kmエイドに立つはずだった人から一人一つオレンジとバナナをいただいたり…
会う人会う人、大会に参加するはずで自分たちと同じくコースを走っていた地元のランナーの方までもが、「今回は遠くからきていただいたのにすみませんでしたね。2年後また是非来て走ってください」と言ってくれるのを聞いて、前回はひたすら潰れていて分からなかったけど、いい大会なんだなと思った。
そして、自分と同じく、いや多分それ以上に大会を楽しみにしていたと思うのに、文句も言わず前を向いて走っている、すれ違うランナーの方々や、ホノマラーを見て本当にすごいと思ったし、去年の凡走と今年の中止でいい思い出が全くなく、大会中止の判断にと納得できない部分もあったので、もう出ないと思ってしまった時間帯もあったけれど、そういうことを含めても、また再来年出たいと思えた。
次回は社会人1年目。サブ10できるランナーになって戻ってくるので、今度は晴れて迎えて下さい。
それではえちごよ、また再来年!


【感想】
遠征が終わって再び気持ちが落ち込んでいて、まだ立ち直れていません。

就活あり、研究あり、サボれば明日路頭に迷うかもしれないという状態で、バイトでお金を稼ぎながら休日に実験を止めて遠征に行ったり距離練したりする生活をこれ以上続けることに限界を感じていた(というかその状況でマラソンを素直に楽しめなくなっていた。社会人に甘いと言われることは分かっているけれども)ので、学生生活での遠征は、秋田と浦佐を除いて今回が最後と決めていた。
だから今回のレースを全力で走りきることを1つの締めくくりとしてその後は切り替えて現実に立ち向かおうと思っていたけれど叶わなかった。

そしてそれ以上に、今回はもうすぐ引退と決めているウルマラーや、最初で最後のウルトラに挑戦するホノマラーも多くて、そういう人たちと走る最後の100kmだった。長い人生100本は走るであろう100kmのうちの1本に過ぎないと言えど、今回のえちごはもう二度と戻ってこない。

もう15本目の100kmで、大して練習もしてこなかった自分でさえこうなのだから、まして今回のえちごに向けて練習を重ねてきた人たち、初めての100kmに賭けていた人たちの気持ちは自分なんかには最早推し量ることもできないし、そういう人たちにかけられる言葉もない。

だけど一言だけ言わせて下さい。
皆と一緒に走る時間は自分にとって、マラソンを続ける中で一番幸せな時間だし、そういう時間がある限り、どんな人生でも頑張って生きていこうと思える。
練習を積み重ねた先のゴールで皆と喜びを分かちあうことは叶わなかったけれど、秩父で、夏合宿で、ひまわり練で、えちごで皆と走れたことは最高に幸せでした。またこういう時間が訪れることを、そして今度は皆でゴールを迎えられることを信じて、いつまででもウルトラマラソンを続けようと思います。
2年後は無理でも、5年後でも、10年後でも、仕事が落ち着いて土日休めるようになったら、また久しぶりにウルトラ走りたいなと思うようになったらでもいい。また皆と走れる日を、自分はいつでも待っています。

遠征をセッティングしてくれたえちご松さんをはじめ、一緒に走ってくれた人、わざわざ応援にかけつけてくれた人、遠くから応援してくれていた人、色々な人たちにお世話になりました。今回はありがとうございました!

【最後に宣伝】
2年後まで待てないという人へ

このまま終わりたくないけど自分に何ができるかなと思ったときに、次出る大会にホノマラーを集めることかなと思ったのですが、そうするとただの秋田おじさんになってしまうので、曲がりなりにも8大会で14回出走、7大会で12回完走した経験を活かして自分が出たことのある大会を紹介しようと思います。

・アップダウン : 位置を含めて、キツさを感じるかどうか
・気候
・エイドの充実度 : 頻度、置いてあるものなど、不足を感じないかどうか)
・名物エイド : これを楽しみに走る、みたいなエイドがあるかどうか
・景色 : コースが単調でなく変化に富んでいるか
・大会の雰囲気 : 応援とかエイドとか
・大人数向け : 折角大人数で出るならレース中に会えた方が楽しいですよね、ということで、すれ違いでまたは他の距離や応援の人と会えるかどうかとか、抽選かどうかとか
・行きやすさ : 時期、費用、所要時間を考慮して、東京から行きやすいかどうか
・記録狙い向け
・完走の難易度
・おすすめ度

で5段階評価してみました。(数字が大きい方が良い、アップダウンがない、完走しやすい)


1.宮古島ワイドーマラソン
開催時期 1月
制限時間 14時間
100km以外の距離 10/22/50km
アップダウン 4
気候?
エイドの充実度 3
名物エイド 2
景色 4
大会の雰囲気 ?
大人数向け 5
行きやすさ 1
記録狙い向け 4
完走の難易度 ?
おすすめ度 ?

前半で渡る2つの橋はとても綺麗で、橋の折り返しでほぼ全員に2回会えるのはとても良いが、楽しみが前半ですべて終わってしまうのが難点。あととにかくお金がかかる。ただ自分が参加したときは記録的な豪雨で、65kmでリタイアしてしまったので、全体像はよく分からない。


2.伊豆大島ウルトラランニング
開催時期 3月
制限時間 14時間
100km以外の距離 42/58km
アップダウン 2
気候 4
エイドの充実度 3
名物エイド 5
景色 4
大会の雰囲気 5
大人数向け 3
行きやすさ 3
記録狙い向け 2
完走の難易度 4
おすすめ度 1

アップダウンは多いが、制限時間が長いのでうまく切り替えて走れば完走しやすく、離島ならではの雰囲気といい、序盤から終盤まで楽しめる名物エイドといい、とても良い大会だったが、一昨年を最後になくなってしまった。別時期で距離が短くなって復活しているらしいので、興味があれば是非。ただ終盤の60km前後で三原山に登るのでかなりキツそう。


3.野辺山
開催時期 5月
制限時間 14時間
100km以外の距離 42/71km
アップダウン 1
気候 2
エイドの充実度 3
名物エイド 5
景色 5
大会の雰囲気 3
大人数向け 4
行きやすさ 5
記録狙い向け 1
完走の難易度 1
おすすめ度 3

「野辺山を制する者はウルトラを制す」と言われる東日本最高難度のコース。自分を含め数々のウルマラーがリタイアしてきただけに、完走したときの達成感は格別。お汁粉、そば、温泉など名物エイドも多く、コースも変化に富んでいるので飽きることはないと思います。あと土日で行って帰ってこれるのもいいところですね。(去年は走った日に帰ってきてそのままラボ泊しました)


4.えびすだいこく100kmマラソン
開催時期 5月
制限時間 14時間
100km以外の距離 リレー
アップダウン 4
気候 3
エイドの充実度 3
名物エイド 3
景色 3
大会の雰囲気 4
大人数向け 2
行きやすさ 1
記録狙い向け 4
完走の難易度 5
おすすめ度 2

美保神社から出雲大社までのワンウェイという非常に縁起のいい大会。65km以降の宍道湖沿いの平坦が単調で苦しいが、制限時間14時間の大会の中では極端にアップダウンが少なく、柴又とかと違って気候的なキツさもないので、意外と一番完走しやすいかも。エイドの人に「お土産」を届けられる制度があり、届いたエイドの方からは盛大に応援してもらえたりと、独特の雰囲気で面白い。ただし抽選。

5.サロマ湖100kmウルトラマラソン
開催時期 6月
制限時間 13時間
100km以外の距離 50km
アップダウン 5
気候 5
エイドの充実度 3
名物エイド 1
景色 4
大会の雰囲気 2
大人数向け 4
行きやすさ 1
記録狙い向け 5
完走の難易度 3
おすすめ度 4

日本代表選考会にもなっているスピードレース。アップダウンが皆無な上、だいたいの年は涼しくて走りやすい。序盤と終盤にすれ違いがあってほとんどのランナーがそこで会えるようになっていたり、応援バスも充実していたりと、流石ウルトラマラソンの先駆けだけあってよく考えて作られているなと感じさせられる大会。80km以降のワッカ原生自然花園は圧巻(ただ走り出して3kmもすると飽きる)
ただし後泊が容易な日程でもない割に遠すぎるのが難点。1月エントリーで、開始5分で締め切るので出たい場合は要注意。


6.日光ウルトラマラソン
開催時期 7月
制限時間 14時間
100km以外の距離 62.195km
アップダウン 3
気候 1
エイドの充実度 2
名物エイド 2
景色 3
大会の雰囲気 1
大人数向け 4
行きやすさ 5
記録狙い向け 2
完走の難易度 4
おすすめ度 1

日光東照宮やいろは坂を通る前半はとても楽しいが、後半(と62.195kmの全部)のコースやエイドの単調さは酷い。ただしすれ違いで誰かしらに会えることが多いのと、日曜または月曜の始発で帰れば月曜の仕事/授業に間に合うので、大人数で気軽に出るなら楽しいと思う。アップダウンは前半で終わるので、高低差図の見た目ほどは大したことないです。


7.北緯40°秋田内陸リゾートカップ100キロチャレンジマラソン
開催時期 9月
制限時間 13時間
100km以外の距離 50km
アップダウン 4
気候 3
エイドの充実度 5
名物エイド 4
景色 3
大会の雰囲気 5
大人数向け 3
行きやすさ 3
記録狙い向け 4
完走の難易度 2
おすすめ度 5

えちごに出る人が増える前は、ホノマラで初100kmと言えばこの大会だった。
5kmに1回のおにぎり、パン、果物類が必ず置いてあるエイドと、その間に必ずあるエイド間給水(ポリバケツ)は全く不足を感じさせないし、きのこ汁、しそジュース、バター餅など、名物エイドも他の大会に負けてない。
そして何より、どのエイドでも到着する前から拍手で迎えてくれるような温かい大会の雰囲気は数ある100kmの中でも一番だと思うし、100km離れた角館から走ってきて最後の登りを終え、95kmのトンネルを抜けて眼下に鷹巣の市街地が見えたときの感動、ラスト1kmで商店街を駆け抜けるときの喜びは4回走った今でも変わりません。
13時間制限は厳しいけど、その分完走する価値は大きいんじゃないでしょうかということで、強くお勧めしたいです。(自分が出るからってだけです)
ちなみに来年はえちごと同じく3連休と被るっぽいので日程的にも行きやすいと思います。

今後の予定 
2021 kawataさん、まっつんさん10回目の完走
2022 kawataさん、まっつんさんクリスタルランナー表彰式
2024 青10回目の完走
2025 青クリスタルランナー表彰式


8.えちごくびきの100kmマラソン
開催時期 10月
制限時間 13時間半
100km以外の距離 60km
アップダウン 2
気候 4
エイドの充実度 5
名物エイド 5
景色 3
大会の雰囲気 4
大人数向け 2
行きやすさ 3
記録狙い向け 3
完走の難易度 3
おすすめ度 4

今回出たので言うまでもないですね。いい大会だと皆口を揃えて言うけれど、自分には前回大会雨だったのと、激しく失速したのとでトラウマしかないので、次出るときは楽しかったと言えるようなレースにできるといいな。



大したこと書けませんでしたが、何かの参考になれば嬉しいです。
隠岐の島、飛騨高山、伊南川、白川郷、能登すず、四万十など、自分は出たことないけれど素晴らしいと聞く大会はたくさんあるので、興味のある人は経験者に話を聞いてみてはどうでしょうか?