放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

核エネルギーを考えよう(5)

2012年06月28日 12時13分08秒 | 東日本大震災
 なんだか横道にそれてばっかり。
 ちゃんと論点をまとめないと。

 人類は「核物質」というものを作ってしまった。
 自然界ではプルトニウムという物質は存在しないらしい。
 
 いや、ホントは人類が知らないだけで、宇宙のどこかにはあるのかもしれない。
 しかし、こんな簡単に核崩壊するような物質が長く形態を保持できるものかどうか。

 とにかく、人間は、この毒性の強い物質を自身で作り出したことに恐れを感じている。 
 修羅のような宇宙の中ではさして障りのない物質かもしれないが、ことに地球で生まれた生物にとって、この毒性は脅威なのだ。

 さて、この脅威とは、どうやって付き合ったらいいのだろうか。

 ①封じること?
 ②壊すこと?
 ③利用(消費)すること?

 あらゆる選択肢が研究されている。
 そのなかで、一番長続きしない付き合い方は、①ではないだろうか。
 こんなことを言ったら、福島の人は怒るだろうか・・・。

 ①はあくまで一時的な考え方だ。早急に対応する方法としては大いに必要なことではある。現に、被災者は早く生活の基盤を取り戻さなければならない。帰る家、働くところ、健康で安全な食物。当然の権利が、ある日突然に奪われた。放射能を封じなければ復興の手がつけられない。(それさえも、なかなかはかどらない状況ではあるが・・・。)
 では封じたものはどうするのか。コンクリはいずれ酸化して劣化するのである。やはり壊すか、消費することを考えなければならない。

 そう、①には、あわせて善後策が必要なのだ。
 たとえ、原子炉の廃炉を訴えても、再稼動反対の狼煙を上げたとしても、放射能のリスクはちっとも減っていないのである。なぜならば廃炉にしろ休炉にしろプルトニウムを冷却し続けなければならないし、圧力隔壁だっていずれ劣化してゆく。一方でプルトニウムの半減期はほぼ永遠に来ない。永遠に封じる技術もないのに安全性なぞ、どこにあるものか。
 
 ②はなんとか研究が進んでほしいものである。プルトニウムから「永遠」という看板を引き剥がすのだ。
 ③は、あるていどは可能ではないか。もちろん、それは原子力推進派と呼ばれる人々と同じことを言っているのかもしれない。しかし現実的な推進派であれば、まずハザード・スキルにこだわるべきだし、間違っても「原発は安全です」とは叫んではならない。
 原発は危険なのだ。クリーンエネルギーが聞いてあきれる。一旦制御不能に陥れば、今の技術ではどうにもならないのだ。
 原発の経済性に夢を見てはいけない。原発のハイリスクと経済性とを天秤にかけるのは、ラスベガスのチップを切るのと大差ない。明日をも知れぬ行為である。 

 人類は、その種の責任として、これら人口核物質に向き合い、その危険性をしっかり認識し、これを積極的に消滅させることに努めなければならない。利用(消費)も、その一環であるべきだと思う。
 
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