翌日、寒くて目が覚めた。
熟睡できたとは言いがたい。
狭い空間。執拗な余震。おまけに神経も高ぶっている。
だから眠りも断続的だった。
疲労していると同時に緊張している。
やっと眠れたのは明け方近くだったと思う。
「ええ?違うよ。」
なに、なにが違う?
「イビキかいていたよ!」
ありえないって、こっちは神経ビリビリしてんだから!
「いーやイビキかいてた! 正直タフだなって思ったよ。眠れるときに寝ておこう、って根性、スゴイねっ。」
そう言われてもホメられている気がしない・・・。
日が高くなってから、街の様子を見に外出した。
やっぱり信号機は死んだまま。
どこのお店も閉まっている。コンビニもスーパーもみんな全滅。
自販機さえ動かない。
やけに静かな土曜日。
なるほど。
「被災地」になるってこういうことか。
ときおり市民が一列に並んでいるのを見かける。
なんだろう、と思っていたが、やがてそれが公衆電話を使いたい人たちの列であることに気がついた。
ああそうか。
「災害伝言ダイヤル」というやつだ。
家の電話は停電で使用不能。そうでなくてもつながらないらしい。
ケータイも通信制限とやらで完全にマヒ。おまけに昨日は必死に家族と連絡を取り合おうとしてたもんだから、とっくに電池切れだ。
こういう人って結構いるんじゃないだろうか。
結局、モバイルの進化とか言っていても、通信サービスがズタズタになると何の役にもたたないじゃないか。
やっぱりこういうときは単純で古典的(アナログ)な方法が強いのだろうか。
冷たい風の吹く朝、死んだ信号機の下、列を成して並んでいる市民の姿は、この街も一夜にして荒廃してしまったことを物語っている。
歩いてケータイのショップへ行ってみたが
「システムに甚大な支障があり当分の間閉店します」旨の張り紙があった。
シャッターがひしゃげて、中のガラスはガムテープだらけ。
帰る途中で、ふと道を曲がってスーパーに行ってみた。
お、行列がある。
お店は例のごとく閉まっている。中はきっとぐちゃぐちゃなのだろう。
すると店長と思われるひとが、大きなカートにグレープフルーツを山盛りにして出てきた。後には店員たちが豆腐やら牛乳やらカートいっぱいに積んで続いてきた。
「お一人さま10点まで。品物の種類にかかわらず、すべて100円にいたします。」
わあっと行列が崩れた。けれども先を争うという感じでもない。手を伸ばし持てるだけ持ったら次の人にために道を空けている。このおとなしさが東北人ならではなのかもねぇ。
僕もグレープフルーツを買った。乳製品、大豆製品などはもう無かった。
販売はものの30分くらいで終了した。品物がなくなったからだ。
みんなおとなしく並びなおして店員さんの前に商品を見せている。
店員さんは指で数え、千円札をうけとる。レジが壊れているからすべて手作業だ。
不便ではあったが、それでも誰もが納得するかたちで商品を提供してくれたのは有難かった。この有難さが、被災直後にあって僕たちを冷静にさせてくれたかもしれない。
実際には、この後も延々と品不足の状態は続くのだが・・・。
グレープフルーツのほか特に得るものもなく放菴に帰ると、リビングには相変わらずカウンターの下に居住空間があり、椅子のバリケードが取り囲んでいる。
周囲には毛布がまるまっていて、煎餅やらクッキーなどが置き散らかされている。
窓際にはラジオが大威張りでがなりたてている。「ここを逃したらいつ出番がくるものか!」、という勢い。
(Video killed the Radio star・・・)
「そうだ、カセットコンロなかったっけ。」
震災の翌日になって、ようやく本気で暖かいものを摂ることを考え始めた僕らは、相当にのんびり屋さんかもしれない。
ほとんど10年以上使ってこなかったカセットコンロ。ボンベも3本ある。
おそるおそる点火してみると、ボッと青い炎が燃えた。
「おおっ、点いた。」
おもわず拍手。
今のところ調理器具といえばこれしかない。心細いったらありゃしない。
ライフラインの損壊は、おどろくほど直接的に僕らの生命線をおびやかす。
まずガスの停止。さきほど書いたように調理に大きな支障をきたしている。
つぎに断水。トイレの水も流せない。備蓄していた飲用水も12リットルしかない。トイレに使用していたらたちまち無くなってしまう。汚い話だが、こちらはお風呂の汲み置き水(捨ててなくてよかったー)を使うことにして、しかも大便のときしか使わないことにした。
さらに停電。これは文字通り生活に大きな影となる。
照明が使えないのはもちろん、暖房、冷蔵庫、風呂を沸かすことも出来ない。
灯油もガソリンも無い。車も、このままでは動かなくなる。
こう「無い無い尽くし」だと、もう寝ているより他は無くなる。
いっそ家を出て、みんなで避難所へ行ったほうが安全なのではないか、一瞬そんな考えもよぎった。
でも、居所がある人は、避難所へ押しかけるべきではないのではないかと考え、放菴一家は放菴に留まることにした。
この日も、暗くなる前にそこそこの整理をして、みんなカウンターの下に頭を突っ込んで寝てしまった。
この日も余震は多かった。
疲労はすこしづつ身体にたまってゆく。澱のよう。
熟睡できたとは言いがたい。
狭い空間。執拗な余震。おまけに神経も高ぶっている。
だから眠りも断続的だった。
疲労していると同時に緊張している。
やっと眠れたのは明け方近くだったと思う。
「ええ?違うよ。」
なに、なにが違う?
「イビキかいていたよ!」
ありえないって、こっちは神経ビリビリしてんだから!
「いーやイビキかいてた! 正直タフだなって思ったよ。眠れるときに寝ておこう、って根性、スゴイねっ。」
そう言われてもホメられている気がしない・・・。
日が高くなってから、街の様子を見に外出した。
やっぱり信号機は死んだまま。
どこのお店も閉まっている。コンビニもスーパーもみんな全滅。
自販機さえ動かない。
やけに静かな土曜日。
なるほど。
「被災地」になるってこういうことか。
ときおり市民が一列に並んでいるのを見かける。
なんだろう、と思っていたが、やがてそれが公衆電話を使いたい人たちの列であることに気がついた。
ああそうか。
「災害伝言ダイヤル」というやつだ。
家の電話は停電で使用不能。そうでなくてもつながらないらしい。
ケータイも通信制限とやらで完全にマヒ。おまけに昨日は必死に家族と連絡を取り合おうとしてたもんだから、とっくに電池切れだ。
こういう人って結構いるんじゃないだろうか。
結局、モバイルの進化とか言っていても、通信サービスがズタズタになると何の役にもたたないじゃないか。
やっぱりこういうときは単純で古典的(アナログ)な方法が強いのだろうか。
冷たい風の吹く朝、死んだ信号機の下、列を成して並んでいる市民の姿は、この街も一夜にして荒廃してしまったことを物語っている。
歩いてケータイのショップへ行ってみたが
「システムに甚大な支障があり当分の間閉店します」旨の張り紙があった。
シャッターがひしゃげて、中のガラスはガムテープだらけ。
帰る途中で、ふと道を曲がってスーパーに行ってみた。
お、行列がある。
お店は例のごとく閉まっている。中はきっとぐちゃぐちゃなのだろう。
すると店長と思われるひとが、大きなカートにグレープフルーツを山盛りにして出てきた。後には店員たちが豆腐やら牛乳やらカートいっぱいに積んで続いてきた。
「お一人さま10点まで。品物の種類にかかわらず、すべて100円にいたします。」
わあっと行列が崩れた。けれども先を争うという感じでもない。手を伸ばし持てるだけ持ったら次の人にために道を空けている。このおとなしさが東北人ならではなのかもねぇ。
僕もグレープフルーツを買った。乳製品、大豆製品などはもう無かった。
販売はものの30分くらいで終了した。品物がなくなったからだ。
みんなおとなしく並びなおして店員さんの前に商品を見せている。
店員さんは指で数え、千円札をうけとる。レジが壊れているからすべて手作業だ。
不便ではあったが、それでも誰もが納得するかたちで商品を提供してくれたのは有難かった。この有難さが、被災直後にあって僕たちを冷静にさせてくれたかもしれない。
実際には、この後も延々と品不足の状態は続くのだが・・・。
グレープフルーツのほか特に得るものもなく放菴に帰ると、リビングには相変わらずカウンターの下に居住空間があり、椅子のバリケードが取り囲んでいる。
周囲には毛布がまるまっていて、煎餅やらクッキーなどが置き散らかされている。
窓際にはラジオが大威張りでがなりたてている。「ここを逃したらいつ出番がくるものか!」、という勢い。
(Video killed the Radio star・・・)
「そうだ、カセットコンロなかったっけ。」
震災の翌日になって、ようやく本気で暖かいものを摂ることを考え始めた僕らは、相当にのんびり屋さんかもしれない。
ほとんど10年以上使ってこなかったカセットコンロ。ボンベも3本ある。
おそるおそる点火してみると、ボッと青い炎が燃えた。
「おおっ、点いた。」
おもわず拍手。
今のところ調理器具といえばこれしかない。心細いったらありゃしない。
ライフラインの損壊は、おどろくほど直接的に僕らの生命線をおびやかす。
まずガスの停止。さきほど書いたように調理に大きな支障をきたしている。
つぎに断水。トイレの水も流せない。備蓄していた飲用水も12リットルしかない。トイレに使用していたらたちまち無くなってしまう。汚い話だが、こちらはお風呂の汲み置き水(捨ててなくてよかったー)を使うことにして、しかも大便のときしか使わないことにした。
さらに停電。これは文字通り生活に大きな影となる。
照明が使えないのはもちろん、暖房、冷蔵庫、風呂を沸かすことも出来ない。
灯油もガソリンも無い。車も、このままでは動かなくなる。
こう「無い無い尽くし」だと、もう寝ているより他は無くなる。
いっそ家を出て、みんなで避難所へ行ったほうが安全なのではないか、一瞬そんな考えもよぎった。
でも、居所がある人は、避難所へ押しかけるべきではないのではないかと考え、放菴一家は放菴に留まることにした。
この日も、暗くなる前にそこそこの整理をして、みんなカウンターの下に頭を突っ込んで寝てしまった。
この日も余震は多かった。
疲労はすこしづつ身体にたまってゆく。澱のよう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます