放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

映画「ガレキとラジオ」

2012年09月01日 11時26分17秒 | 東日本大震災
 ドキュメント映画「ガレキとラジオ」 
 先月25日に観て来ました。

 これも東日本大震災に関連した映画です。
 震災から2ヶ月、壊滅的な状況に陥った南三陸町に開局されたFMラジオ局「FMみなさん」。そこを立ち上げた人々の奮闘と苦悩を綴った記録。

 そこは南三陸町ベイサイドアリーナという町の中心的な場所。当時は避難者でごったがえしになり、遺体安置所として使われた時もある。
 そこの二階デッキ、トイレのまん前、ここが「FMみなさん」のブースとなる。
 ここ、寒みぃべな、防音もなにもしていないから騒音もそのまま入るし。
 活動目的は被災地情報、災害関連情報、そして、「和み」をお届けすること。

 機材はそれなりにそろっているんだけれど、どこかヘン。
 あ、スマホにマイク貼り付けてゲスト対話しているし。
 すごい状態。シロートから見ても、いかにもここは「仮設局」だなという感じがする。  
 でもみんな一生懸命。
 みんなみんな職場と住居や家族を失い、それでも誰かと誰かがつながってゆくようなコミュニティを目指している。

 実は、このFM局は期間限定でした。
 放送期間は平成24年3月31日まで。立ち上げからたったの8ヶ月。

 理由は南三陸町の財源不足。
 そりゃそうですよね。これから膨大な復興費用がかかるわけで。
 行方不明者もいるし、見つかった遺体の身元でさえほとんどわからない、避難所は食料、衣料、衛生用品、そして医療品が足りないし、なによりも流された町の職員がいっぱいいたわけで。そのなかでコミュニティラジオの立ち上げをしたというのは、むしろ奇特というか、殊勝というか、あの気が狂いそうな状況でよく思いついたな、という感想を持っています。

 こうしてFM局のスタッフさんたちは、被災後の生活苦に耐えながら、さいごまで突っ走ってゆくのでした。

 うん、人って、頑張っている瞬間はとりあえず美しい。
 誰かのために、って奔走している姿は、やがて被災地で還らない子を待ち続けるおばあちゃんの心に小さな希望を灯して終わります。
 その潔さ、明るさ、みんなみんな立派だと思いました。
 どんなエラソーなこと考えるオトナよりも、ずっとずっと尊くて、そして何だかちょっぴり切なかったです。

 「FMみなさん」を卒業したスタッフさんみんなに幸せが届きますように。

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