札幌の北海道大学植物園では、いくつか中に入れる建物があって、そこには確かに開拓時代・札幌農学校の面影が大切に残されている。ここで新渡戸稲造の消息に出会えた。新渡戸一族の足蹠は岩手県花巻市でもじっくり見てきた。いつか十和田市の新渡戸一族の功績にも触れてみたい。
北方民俗資料室が休館していたのが残念。ぜひ見てみたかった。
そのまま植物園を出て、大学の構内には行かないことにした。時間が足りないのがその理由。ゆっくりし過ぎた。でもゆっくりできて本当に良かった。
札幌大通公園に向かう。この時期は「さっぽろ大通ビアガーデン」開催中で、ケータリングやテントがにぎやか。いい匂いもしている。まあ、大手ビールメーカーがありますからね。僕も大好きなビールの銘柄。★マークがかっこいいよね!
ここではビールは飲まず(ガマン、ガマン)、旅行客らしく「さっぽろテレビ塔」を上り、次の札幌時計台へと向かう。
十年以上も前だが、札幌時計台はタクシーからちらりと見えただけ。その時は夕暮れということもあって、ビルに囲まれた一角にひっそりと(まるでビルの付属物のように)見えた。だから正直なところ印象はかなり薄い。
少し雨が降ってきた。そういえば今日の札幌、微妙な天気予報だったっけ。
庇を伝うように移動して時計台に到着。
「演武場」と書かれている。時計台とは現在の俗称であり、札幌農学校演武場が正しい。国指定の重要文化財。
以前来たときに「ひっそり」していたのは改修期間だったからのようだ。
この建物も外壁は下見板張。いいね。明治期の洋館らしい。
中に入るのは初めて。つうか入れるのを知らなかった。改修中だったし。
入館料を払って中へ。石の階段も古びた扉もいい感じ。全室には世界各地の時の鐘が聞けるボックスがあったり、北海道の歴史建造物を紹介するコーナーがあり、結構な情報量。その奥には展示が続き、これまた想定外にゆっくりしてしまう。演武場が札幌大火の危機に遭っていたことや、当時の敷地から移築されていたことなど初めて知った。
特筆すべきは二階。すごく広い。こじんまりしているように見えた建物の中にこんな広い空間があったとは思いもしなかった。そこに長椅子が列をなしてずらりと並び、その正面には大きな壇が設えてある。ステージみたい。
ここが広く見える秘密は、支柱にある。建物の規模が大きくなれば空間を支える支柱が一定数必要になる。でも支柱は視界を遮ってしまう。ではどうすれば支柱を減らすことができるのか。答えは「がっちり造る」。柱で支えるのではなくて面で支える。板を桁状に並べて面(パネル)を構成する。なるべく長い板。1階から2階まで貫くような板。これで面を構成すればそれは柱であり壁になる。これで四方を囲み屋根を乗せる。屋根も桁上の板で面にする。床は貫を入れてその上に床材を張る。こうすれば支柱を入れなくても広い空間が作れる。バルーンフレーム工法というらしい。って2階のキャプションに書いてあった。2✕4(ツーバイフォー)工法の祖型だそうな。
驚くのは、これを作ったのが在来工法の大工さんたちだったこと。基本構想(間取りなど)は札幌農学校の2代目教頭・ホイーラー氏だけど、設計・監督は安達喜幸氏。つまり日本人が造った洋風建築だった。時計台は後に設置されたものだけど(こちらは柱を使った在来工法)、未だに歪み少なく、時計も健在。明治時代の日本人の学習力・技術力の高さを証明している。
北方民俗資料室が休館していたのが残念。ぜひ見てみたかった。
そのまま植物園を出て、大学の構内には行かないことにした。時間が足りないのがその理由。ゆっくりし過ぎた。でもゆっくりできて本当に良かった。
札幌大通公園に向かう。この時期は「さっぽろ大通ビアガーデン」開催中で、ケータリングやテントがにぎやか。いい匂いもしている。まあ、大手ビールメーカーがありますからね。僕も大好きなビールの銘柄。★マークがかっこいいよね!
ここではビールは飲まず(ガマン、ガマン)、旅行客らしく「さっぽろテレビ塔」を上り、次の札幌時計台へと向かう。
十年以上も前だが、札幌時計台はタクシーからちらりと見えただけ。その時は夕暮れということもあって、ビルに囲まれた一角にひっそりと(まるでビルの付属物のように)見えた。だから正直なところ印象はかなり薄い。
少し雨が降ってきた。そういえば今日の札幌、微妙な天気予報だったっけ。
庇を伝うように移動して時計台に到着。
「演武場」と書かれている。時計台とは現在の俗称であり、札幌農学校演武場が正しい。国指定の重要文化財。
以前来たときに「ひっそり」していたのは改修期間だったからのようだ。
この建物も外壁は下見板張。いいね。明治期の洋館らしい。
中に入るのは初めて。つうか入れるのを知らなかった。改修中だったし。
入館料を払って中へ。石の階段も古びた扉もいい感じ。全室には世界各地の時の鐘が聞けるボックスがあったり、北海道の歴史建造物を紹介するコーナーがあり、結構な情報量。その奥には展示が続き、これまた想定外にゆっくりしてしまう。演武場が札幌大火の危機に遭っていたことや、当時の敷地から移築されていたことなど初めて知った。
特筆すべきは二階。すごく広い。こじんまりしているように見えた建物の中にこんな広い空間があったとは思いもしなかった。そこに長椅子が列をなしてずらりと並び、その正面には大きな壇が設えてある。ステージみたい。
ここが広く見える秘密は、支柱にある。建物の規模が大きくなれば空間を支える支柱が一定数必要になる。でも支柱は視界を遮ってしまう。ではどうすれば支柱を減らすことができるのか。答えは「がっちり造る」。柱で支えるのではなくて面で支える。板を桁状に並べて面(パネル)を構成する。なるべく長い板。1階から2階まで貫くような板。これで面を構成すればそれは柱であり壁になる。これで四方を囲み屋根を乗せる。屋根も桁上の板で面にする。床は貫を入れてその上に床材を張る。こうすれば支柱を入れなくても広い空間が作れる。バルーンフレーム工法というらしい。って2階のキャプションに書いてあった。2✕4(ツーバイフォー)工法の祖型だそうな。
驚くのは、これを作ったのが在来工法の大工さんたちだったこと。基本構想(間取りなど)は札幌農学校の2代目教頭・ホイーラー氏だけど、設計・監督は安達喜幸氏。つまり日本人が造った洋風建築だった。時計台は後に設置されたものだけど(こちらは柱を使った在来工法)、未だに歪み少なく、時計も健在。明治時代の日本人の学習力・技術力の高さを証明している。
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