震災から十日が経つというころ、突然ケータイメールが届いた。
「○○くんが閖上(ゆりあげ)で被災しました。小学校○年生が着れそうな服を提供してください。下着もあればお願いします。」
一瞬、デマメールでも来たかと思った。でもよく見るとウチの子が通う塾の先生の名前だから尚ビックリ。
BELAちゃんが電話で問い合わせると、先生は
「今いろいろ手配してまして、服がある程度そろったら避難所まで届けに行こうかと思っています」とのこと。
○○くんはウチの次男坊と同い年。そっかぁ閖上(ゆりあげ)でしたか。
広大な仙台平野を流れる大河・名取川はその河口付近に良港を持つ。
閖上(ゆりあげ)港という。
自治体は名取市だが、仙台市民にとってはなじみの深いところ。
夏の花火大会、トライアスロンの会場。
笹かまぼこの工場もあり、また休日の「ゆりあげ朝市」は仙台からも多くのお客さんが集まる。
「美味しんぼ」では赤貝の特産地として紹介された。
そこが津波でやられた。
それこそ広大な仙台平野を、あのおぞましい泥水が恐ろしいスピードで覆いつくしていった。
ガレキがガレキを為すが如く、血泥が血泥をこねあげるが如く、田も家も道路も川も・・・。
○○くんも、さぞ恐ろしいものをみたことだろう。
これは急を要する話だ。
さっそくウチにあるものをいろいろ引っ張り出してみる。
ランドセルも、長男のお友達に声をかけてみたら、快く提供してくれた。
さらにBELAちゃんの友人にも声かけてちょっともってきてもらった。
先生は、明日頂いたものを持って閖上(ゆりあげ)に行ってくると言う。
すげぇ。「英雄」はここにも居ました。
そんなある日、「ゆりあげ朝市」が復活するという知らせを新聞でみつけた。
「おおっ、いってみっぺ!」
場所はいつもの海辺ではなく、名取市にあるショッピングモール・「エアリ」の西側駐車場だという。
震災からまだ二週間という日曜日。まだまだ「恐慌」は続いている(エアリ近辺も、用水路にはガレキが流れ込んでいた)。しかもこの「物不足」のなか、よくぞ開催してくれた。
「エアリ」でもエントランスからずらりと行列が連なっている。こちらは一般の買い物客。で、「ゆりあげ朝市」は駐車場の向こう。
駐車場の奥へと進むと、そこには仮設トイレがずらりと並んでいた。
そっかぁ、まだ水が出ていないんだ。
この日の「朝市」は、再会の場でもあった。津波の被害を受けてあちこちの避難所へ分かれていた人々が集い、お互いを励ましあっている。漁協関係者が呼びかけた、閖上復興の誓いの場でもあったのだ。こちらでも「英雄」が、がんばっています。
こう書くと、明るく聞こえるだろうが、実際には聞こえてきた話は、そんなに明るくはない。。
「おう、ばんつぁん元気か。」
「いや流された。浮かんでこねぇおん。」
「・・・そっかぁ。」
「いったんは逃げたんだ。それなのに津波見サ行ったもんな。・・・そんで流された。」
実際しんどい話だ。
ここから少し東のほうへ移動すると、もう風景は一変する。
いちめんいちめん茶色の風景。
ガレキとヘドロを町中にぬりたくって天日で乾かしたようなものだ。
ほこりっぽく、それが磯臭い。
田んぼは一面水びたし。海水だからこれから長い期間の塩害が心配だ。
海を恨んでもしょうがないんだけど、なにもここまでしなくてもいいじゃないの?とグチりたくなる。
一週間前は、あたりいちめん赤い旗が立っていたという。
赤い旗は、そこに犠牲者が埋まっていることを意味する。
ここが復興のスタートなのだ。みんなみんな胸がきしむような想いをしながら前へ進むのだ。
あの日から、ちぎれた肉片のようなわだかまりを心のなかにしまって、毎日耐えている。
一週間後はすこし楽になっているのだろうか、一ヵ月後はどうだ、一年後は・・・。
忘れたいのではない。ただ、時間の経過とともに、この沁みるような気持ちが少しずつ和らいでくれたらいいのにと願っている。
愚にもつかないとは知りながら、震災のあった日から、少しでも遠ざかろうとしている。震災も、原発も、早く「遠い過去」になればいいのに・・・。
毎日毎日が、重い。
でもいまは、これが「復興」なのだ。
「○○くんが閖上(ゆりあげ)で被災しました。小学校○年生が着れそうな服を提供してください。下着もあればお願いします。」
一瞬、デマメールでも来たかと思った。でもよく見るとウチの子が通う塾の先生の名前だから尚ビックリ。
BELAちゃんが電話で問い合わせると、先生は
「今いろいろ手配してまして、服がある程度そろったら避難所まで届けに行こうかと思っています」とのこと。
○○くんはウチの次男坊と同い年。そっかぁ閖上(ゆりあげ)でしたか。
広大な仙台平野を流れる大河・名取川はその河口付近に良港を持つ。
閖上(ゆりあげ)港という。
自治体は名取市だが、仙台市民にとってはなじみの深いところ。
夏の花火大会、トライアスロンの会場。
笹かまぼこの工場もあり、また休日の「ゆりあげ朝市」は仙台からも多くのお客さんが集まる。
「美味しんぼ」では赤貝の特産地として紹介された。
そこが津波でやられた。
それこそ広大な仙台平野を、あのおぞましい泥水が恐ろしいスピードで覆いつくしていった。
ガレキがガレキを為すが如く、血泥が血泥をこねあげるが如く、田も家も道路も川も・・・。
○○くんも、さぞ恐ろしいものをみたことだろう。
これは急を要する話だ。
さっそくウチにあるものをいろいろ引っ張り出してみる。
ランドセルも、長男のお友達に声をかけてみたら、快く提供してくれた。
さらにBELAちゃんの友人にも声かけてちょっともってきてもらった。
先生は、明日頂いたものを持って閖上(ゆりあげ)に行ってくると言う。
すげぇ。「英雄」はここにも居ました。
そんなある日、「ゆりあげ朝市」が復活するという知らせを新聞でみつけた。
「おおっ、いってみっぺ!」
場所はいつもの海辺ではなく、名取市にあるショッピングモール・「エアリ」の西側駐車場だという。
震災からまだ二週間という日曜日。まだまだ「恐慌」は続いている(エアリ近辺も、用水路にはガレキが流れ込んでいた)。しかもこの「物不足」のなか、よくぞ開催してくれた。
「エアリ」でもエントランスからずらりと行列が連なっている。こちらは一般の買い物客。で、「ゆりあげ朝市」は駐車場の向こう。
駐車場の奥へと進むと、そこには仮設トイレがずらりと並んでいた。
そっかぁ、まだ水が出ていないんだ。
この日の「朝市」は、再会の場でもあった。津波の被害を受けてあちこちの避難所へ分かれていた人々が集い、お互いを励ましあっている。漁協関係者が呼びかけた、閖上復興の誓いの場でもあったのだ。こちらでも「英雄」が、がんばっています。
こう書くと、明るく聞こえるだろうが、実際には聞こえてきた話は、そんなに明るくはない。。
「おう、ばんつぁん元気か。」
「いや流された。浮かんでこねぇおん。」
「・・・そっかぁ。」
「いったんは逃げたんだ。それなのに津波見サ行ったもんな。・・・そんで流された。」
実際しんどい話だ。
ここから少し東のほうへ移動すると、もう風景は一変する。
いちめんいちめん茶色の風景。
ガレキとヘドロを町中にぬりたくって天日で乾かしたようなものだ。
ほこりっぽく、それが磯臭い。
田んぼは一面水びたし。海水だからこれから長い期間の塩害が心配だ。
海を恨んでもしょうがないんだけど、なにもここまでしなくてもいいじゃないの?とグチりたくなる。
一週間前は、あたりいちめん赤い旗が立っていたという。
赤い旗は、そこに犠牲者が埋まっていることを意味する。
ここが復興のスタートなのだ。みんなみんな胸がきしむような想いをしながら前へ進むのだ。
あの日から、ちぎれた肉片のようなわだかまりを心のなかにしまって、毎日耐えている。
一週間後はすこし楽になっているのだろうか、一ヵ月後はどうだ、一年後は・・・。
忘れたいのではない。ただ、時間の経過とともに、この沁みるような気持ちが少しずつ和らいでくれたらいいのにと願っている。
愚にもつかないとは知りながら、震災のあった日から、少しでも遠ざかろうとしている。震災も、原発も、早く「遠い過去」になればいいのに・・・。
毎日毎日が、重い。
でもいまは、これが「復興」なのだ。