被災地の中にあって、この放菴一家は恵まれていた方だと思う。
確かに震災当日は全てのライフラインと通信手段が絶たれた。しかし数日後には水道と電気が復旧。これで電話機が使えるようになり、同時にケータイの充電も出来るようになった。これがどれだけ僕たちをほっとさせたことか。
しかし、僕たちには別の不安が常に付きまとっていた。
この不安を一言で言うならば、「飢餓感」というものか。
震災からの1~2週間という時期は、食料や燃料の補給が全く見通し立たなかった。
なにしろ生産者、パッケージ業界、仲介者、流通のすべてが活動できる状態ではなかったのだ。
まいにち缶詰や貯蔵品の残りを数える日々。カセットコンロのボンベも二日で1本使ってしまった。このペースでは在庫はすぐになくなってしまうだろう。
僕たちは震災の翌日から一日2食で過ごしていた。足りなければポン菓子やせんべいでしのいだ。
これは電気や水道が復旧してからも続いた。
はじめはガマンしてくれていた子供たちが、遠慮がちに「おなかすいた・・・。」とつぶやきだす。
いたたまれない。なんともいえない気持ちになる。
「ごめんな・・・。ポン菓子まだあったろ。」
こどもたちはポン菓子を一斗缶からお皿に移してボリボリと食べていた。
なんてっこった・・・。このありさまはよく時代劇とかで見るような状況じゃないか。
ポン菓子といっても、要は米粒に圧をかけて一瞬で圧を抜く「バクダン」というやつ。ひなあられみたいな、だけど一切味付けされていないもの。パサパサで、お米の味しかしない。それをボリボリ夢中になって食べている。
ヤバイぞこれは。なんとかしなきゃ。
この行き詰まった状態をなんとかするには、やはりアレしかない。
スーパー、売店、コンビニ、GS、とにかく人が並ぶ所に行ってひたすら並ぶ。
並ぶ、並ぶ、並ぶ。
朝早くから並ぶ。
「お一人様2品まで」とか言われても並ぶ。
2時間でも3時間でも並ぶ。
雪でも風が吹きすさぶ日でも並ぶ。
並べばお互い情報交換だって出来る。
それで飢餓感・閉塞感だって幾分か紛れるし、どこのお店では何が手に入るのか判る。
そんなある日、コンビニの外で並んでいたら、友人と電話がつながった。
20年来の友人で、横浜在住。震災後、ずっと連絡を試みていてくれたという。
「おおー。」
「やっと繋がった。無事?」
「どうにか無事。」
「いやぁ、たいへんだったなぁ。」
「まあ、被災者のなかではかなりマシなほうだけど。」
「なんか、足りないものない?」
「あるけど・・・。食料とか、燃料とか、カセットコンロのボンベもないし。」
「なんか送ってやりたいけどな。」
「ムリだよ。道路通ってないもん。」
そう、流通は完全に止まっている。支援物資は避難所にしか行かないし、宅急便は東北配達をしていない。そもそも、東北道は「緊急車両」とか「災害支援」とか表示のない車は通れない。
「そっか・・・、まあ、何か考えるから。もうちょっと待ってて。」
そう友人は電話の向こうで言った。
このあと、彼の行動力に驚かされることになる。
確かに震災当日は全てのライフラインと通信手段が絶たれた。しかし数日後には水道と電気が復旧。これで電話機が使えるようになり、同時にケータイの充電も出来るようになった。これがどれだけ僕たちをほっとさせたことか。
しかし、僕たちには別の不安が常に付きまとっていた。
この不安を一言で言うならば、「飢餓感」というものか。
震災からの1~2週間という時期は、食料や燃料の補給が全く見通し立たなかった。
なにしろ生産者、パッケージ業界、仲介者、流通のすべてが活動できる状態ではなかったのだ。
まいにち缶詰や貯蔵品の残りを数える日々。カセットコンロのボンベも二日で1本使ってしまった。このペースでは在庫はすぐになくなってしまうだろう。
僕たちは震災の翌日から一日2食で過ごしていた。足りなければポン菓子やせんべいでしのいだ。
これは電気や水道が復旧してからも続いた。
はじめはガマンしてくれていた子供たちが、遠慮がちに「おなかすいた・・・。」とつぶやきだす。
いたたまれない。なんともいえない気持ちになる。
「ごめんな・・・。ポン菓子まだあったろ。」
こどもたちはポン菓子を一斗缶からお皿に移してボリボリと食べていた。
なんてっこった・・・。このありさまはよく時代劇とかで見るような状況じゃないか。
ポン菓子といっても、要は米粒に圧をかけて一瞬で圧を抜く「バクダン」というやつ。ひなあられみたいな、だけど一切味付けされていないもの。パサパサで、お米の味しかしない。それをボリボリ夢中になって食べている。
ヤバイぞこれは。なんとかしなきゃ。
この行き詰まった状態をなんとかするには、やはりアレしかない。
スーパー、売店、コンビニ、GS、とにかく人が並ぶ所に行ってひたすら並ぶ。
並ぶ、並ぶ、並ぶ。
朝早くから並ぶ。
「お一人様2品まで」とか言われても並ぶ。
2時間でも3時間でも並ぶ。
雪でも風が吹きすさぶ日でも並ぶ。
並べばお互い情報交換だって出来る。
それで飢餓感・閉塞感だって幾分か紛れるし、どこのお店では何が手に入るのか判る。
そんなある日、コンビニの外で並んでいたら、友人と電話がつながった。
20年来の友人で、横浜在住。震災後、ずっと連絡を試みていてくれたという。
「おおー。」
「やっと繋がった。無事?」
「どうにか無事。」
「いやぁ、たいへんだったなぁ。」
「まあ、被災者のなかではかなりマシなほうだけど。」
「なんか、足りないものない?」
「あるけど・・・。食料とか、燃料とか、カセットコンロのボンベもないし。」
「なんか送ってやりたいけどな。」
「ムリだよ。道路通ってないもん。」
そう、流通は完全に止まっている。支援物資は避難所にしか行かないし、宅急便は東北配達をしていない。そもそも、東北道は「緊急車両」とか「災害支援」とか表示のない車は通れない。
「そっか・・・、まあ、何か考えるから。もうちょっと待ってて。」
そう友人は電話の向こうで言った。
このあと、彼の行動力に驚かされることになる。