goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

室生寺展 いきました

2014年08月26日 01時04分08秒 | 観劇日記
2014年8月24日、仙台市博物館で開催されていました「室生寺展」を観覧しました。

実はこの日が展覧会最終日。

夏の盛りは過ぎたとはいえ、30度超えの真夏日。駐車場もいっぱいで、追廻(おいまわし)住宅の方に臨時駐車場ができていました。
そうなると、正面まわるより巽門(たつみもん)跡から入った方が近かったりします。木陰多いし・・・。

で、館内に入ってびっくり!!!

行列だぁぁ!
それもトエハタエ(一重二重)に。
幸いBELAちゃんパスのおかげで早めに入れましたが。

で、中に入ったら、やけに背の高い黒福の人が数人。
なにこれ、SPじゃん?

なんと、某大臣が観覧していました。
お側にはなんと、室生寺の座主さまとおぼしきお姿。

これは博物館はシッチャカメッチャカだったんじゃぁなかろうか。
ただでさえ今回の展示は露出展示が多い。

圧巻の十二神将(精悍で愛嬌もあって、質感、バランス、発するエネルギー、紛れもない一級品!!!)
ふくよかな頬の十一面観音。しかも光背を取り外しているから、後部のお顔もしっかり拝めます。暴悪大笑面は一生拝めるかどうかもわからない貴重なもの!!!
そして地蔵菩薩に文殊菩薩。(よーするに本尊以外は全部来ているってこと。 しかもコレ全部、露出展示。)

っていう・・・、ただでさえ神経磨り減るような展示なのに、そこへ大臣!座主!SP!トドメに最終日を惜しむ観覧客!!

誰です? こーいうブッキングしちゃったの。

こっちは観覧二回目なのでつぶさに見るようなことはせずに、もういちどじっくり見たい、というものばかりを見てきました。

ちょっと疲れた。
来てくれた室生寺の仏様たちには感謝だけど・・・。
博物館も大変だっただろうな・・・。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「方丈の海」at 10BOX

2013年10月15日 01時47分30秒 | 観劇日記
10/13、TheatreGroup"OCT/PASS"の「方丈の海」を観ました。
場所は「10BOX」。
劇団創始者の石川裕人さんの遺作であり、東日本大震災を見たあらゆる人へのメッセージでもあります。

東北に住んでいて、"OCT/PASS"を知っているなら、この作品はぜひ見ておきたかった。

「震災」(ここで言う「震災」は2011年の東日本大震災に限定させてください)は多くの人にたくさんの傷を刻みました。
歳月はカサブタのように傷を覆いますが、やはり触られると傷が痛むのです。疼くのです。眠れなくなるほど。

「方丈の海」は、観れば痛い思いをするだろうと思っていました。
でも、この痛みはカサブタをはがして消毒するようなものです。膿を洗う痛みです。

ところどころで老婆の口から語られる、泡沫(うたかた)の話は、遠い遠い国の話のようでもあり、またはごく身近な話のようでもあり、
 尊い詩篇のようでもあり、場末のダミ話のようでもあり、
  悲しく尾を引き、怒りで焼かれそうになり、忘れてしまいたいような、忘れてはいけないような、
   さみしさと 失望と だけど連綿と続いている営みの力強さが宿っていました。


はっきり言って、この作品は難解です。わかりやすい大団円というものがありません。
いや、あるけれど本編の解決ではなく、「いろいろ問題は消えないけれど、先へ進もう」というメッセージで終わります。
やっぱりこの「震災」は、この現実の世界で結末を見届けるという形だけしかないのです。だってあまりにも大きなテーマなんですから。そもそもが難解なんですから。

僕は身の丈でしか「震災」を理解できていません。でもそれではダメで、いろいろな人の「震災」に関わって理解してゆくのが東北人(移住者ですが)らしいやり方だと思います。いや、思いました。
「震災」を見てしまったすべての人々に、つながりの輪と、おもいやりが枯渇しませんように。
そして過去のさまざまな災害から学べるものを探し続け、つぎの災害に置き換えようとする勤勉な日本人でありますように。僕も、あなたも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「父と暮らせば」劇団航海記版

2013年02月25日 00時31分02秒 | 観劇日記
2月23日(土)、観てきました。10BOX(仙台市宮城野区卸町)です。

予備知識といっても、井上ひさし脚本ということだけしか知りませんでした。

こういう状態がいいんですよ。
じっくり劇を見たいときに、予備知識ほど邪魔なものはありません。
目の前の劇と予備知識とを比較しながら観てしまうだろうし、その比較を誰かにしゃべりたくなってしまう。

たまたま一人で観劇することになったこともあり、気ままな気分で劇に浸たりたかったのです。
しかも初「10BOX」。道順さえ知りませんでした(なんかもう、この自由感が新鮮)。


目指すはソワレの19:00。どうにか到着したのが18:45分。けっこうドキドキでした。

劇は父娘のテンポの良い掛け合いで進みます。しかも広島弁。
ネイティブでもないのにこの小慣れた感じを出すにはそうとう稽古したはずです。
道具も照明もみいんなこの小慣れた雰囲気を演出するのに大活躍。よくよく丁寧に仕上げたものです。航海記さん! すごい!

幕と幕の間には必ず暗転して、しばらく音楽が流れます。ピアノのゆっくりとしたメロディ。
観客はその間、いまさっきの父娘の激しいやりとりの意味をかみしめるのです。

父はひたすら娘の幸せを願い
娘は(原爆から)生き残ったゆえの苦しみを吐き出す。
それでも父は娘の幸せを願い
娘は生き残ってしまった自分が許せずにいるのです。

なんだか、「震災」とダブって見えてきてしまいました。
あの日、僕らの街で、いっぺんに数千人の人が命を落としました。
その後の混乱と、続々入っている悲惨な報に、凍りつくような辛さをおぼえ、「悼むこと」の本当の意味を知らされました。
寒さに耐えて並ぶその胸の内は、不安と恐怖で溺れそう。そして人のぬくもりには何度も目頭が熱くなりました。

それゆえに劇中には「心に刺さる」ような言葉がいくつもありました。
そうしていつしか、父の願いと観客の願いは重なってゆきます。

「ぐちぐち言わんと早よ好いた人と幸せになりんさい!」
そう父の横で言ってやりたいくらい。でも娘の心はまるで病に罹ったように頑なでした。
「ウチはしあわせになったらいけんのじゃ・・・!」

この頑なな娘の心を動かす父の言葉がいいんです。
それは、生きる、ということが悪いことでもなんでもなく、むしろそれは「繋げてゆく」ことであり、大切な使命なんだよ、という脚本家のメッセージそのものでした。
同時にそれは多くの死者の声でもあったのです。

ラスト、娘が天を見上げて「おとったん、ありがとありました」という言葉には、「喜び」とか「別れ」とかいう簡単な感情ではなく、やっと前を向いて歩いてゆけそうな、少しだけ心が軽くなったような、不思議な開放感と現実感が織り交ざっていました。
とてもいい表情でした。
「いい娘さんでよかったねぇ」と「おとったん」に声をかけたくなるようなさわやかな涙でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人や銀河や修羅や海胆は」~クリスマスに観るKENJI~

2011年12月27日 13時34分03秒 | 観劇日記
 12月24日、仙台一番町MITSUKOSHIビル6階「エルパーク仙台」にて。

 シアターグループ「OCT/PASS」による演劇「人や銀河や修羅や海胆は」を観てきた。

 それはクリスマスプレゼント資金(もちろん孫に何か買ってやれ、という指示つき)として祖母からもらったお金で何かプレゼントを買おうと思い、「何がほしい?」と長男(14歳)に訊いたら、「OCT/PASSの「人や・・・」が観たい」といわれたのがそもそものはじまり。

 結局、入場無料なのでお金はそのまま募金に化けた。
 わが子ながらホトケサマのようなお人ですな。

 夏に秋保での屋外上演の広報をみたときに、僕がKENJIの魔法にかかってしまい、観劇を切望し、家族で見に行った。
 とても劇中に入りやすく、気兼ねなしに楽しめた。
 そして、そのときにタイ舞踊家・土屋悠太郎さんの身体能力に驚愕し、すっかりその踊りに魅せられた。
 いまでは子供たち二人とも土屋先生に弟子入りして、家中でコビタキのようにパンパンと良い音がしている。


 宮沢賢治が好きな人は、たいてい頑固である。
 人柄が頑固なのではなく、賢治に対するイメージが、頑固である。
 自分の中で「幻想」というジャンルを作り、あらゆる「透明」で「無垢」で「知的」なものをわざと「宗教」っぽく「哲学」っぽくしてぎっしり詰め込んでいる。

 これを他者が触ると、怒る。
 他者の「幻想」を認めず、自身の「幻想」が汚れることを嫌う。
 そしてそのような「潔癖さ」を誇りに思っている。
 みんなみんな自分だけの「賢治」を持っていて、大切にしている。

 だから、戯作者が「賢治」をいじるということは大変な作業のはずだ。
 反論をゆるさない深い知識と、観る人の「賢治」を壊さないセンス。
 そもそも賢治さんを具象化することだけで大いなる勇気がいる。

 「潔癖さ」で凝り固まった僕には、「参った」の一言なのだ。


 まあ、それはともかく・・・。
 小難しい理屈はヌキにして、面白かった。
 やっぱり「鹿踊り」は圧巻。
 やっぱりあのメンバーじゃなきゃなー!
 山猫さんもキャラ立ってました。
 最期の決別のシーンも・・・。 

 子供たちは前々から楽しみにしており、そして満足して劇場を後にした。
 次男坊は、やっぱり「スタッドレスタイヤ」がストライクだったみたい・・・。

 僕は・・・。「ゴブ・ガリー」かなぁ。(「アセッカキー」さん、元気かなぁ)

 外に出たら冷たいものが一斉に降りかかってきた。
 わ、ホワイトクリスマスですか?

 そういえば先週、横浜から友人が来た。
 彼にもこの雪とページェントを見せてやりたかったなぁ。

 「節電」のギモンは残っているんだけどね・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほうねん座稽古場公演~日本人の身体の動かし方

2011年11月14日 00時46分03秒 | 観劇日記
 平成23年11月12日(土)、仙台市秋保にて、ほうねん座の稽古場公演がありました。

 震災で被害のあった稽古場ですが、奇跡的に復活。
 座員をはじめ多くの支援者の、ますます想いのこもった場となったようです。

 演目はやっぱりパワフル! そして動きと響きにキレがある!
 大太鼓の響きは、まるで僕らの「上丹田、中丹田、下丹田」をつらぬきゆるがし、悪しき物を悉く粉砕するが如く、でした。

 でも、その所作というか動きは、普段日常生活で僕らが行なっているものとはちょっと違うのです。

 なんというか、その、あえて言えば「よくまとまっている感じ」・・・。
 それは軽やかでいて、けれどもバラけているふうでもない。
 ふわりとした感じとスルリとした感じが一緒になっているようで。けれども下から突き上げるような力強さもあるのです。
 
 ほうねん座さんが取り組んでいるものは純粋な伝承芸能です。
 きっとこれはすべて昔の人があたりまえに出来ていた体の動かし方なのでしょう。

 なぜこれが僕らの体には備わっていないのでしょうか。
 ふと、古武道家の甲野善紀さんの言葉を思い出しました。(NHKの「爆問学問」見ました?)
 「重いものを重いと感じて持ち上げるのではなく、いかに負荷を掛けないようにして持ち上げること」
 これがいにしえの人々にはちゃんと出来ていたというのです。
 
 この言葉は武技だけではなく、人類が本来持っていた身体の動かし方、つまり重いものを持ち上げるとき、道具を扱うときに、あたりまえにこなしていた動作についても言えると思います。
 特に日本人は、その体型ゆえに、手足の長い人種とはちがう、ちょいとした工夫が動作に必要なのではないでしょうか。

 あらためて稽古場公演で目にすることができた、踊りや唄、太鼓を叩く動作には、昔からの働く動作、特に農作業、漁り場作業のときにこなしていた体の使い方がちゃんと伝承として織り込まれているわけで、それゆえの美しさというものも、ちゃんと備わっていたのです。

 これってなんだろう?
 日本人が美しくみえる動作、ってなんだろう?

 大きな共通点は確かにありました。
 それは「半身を同時に使うこと」ではないかと思っています。

 右手が前に出るときには右足も前に出ているのです。左もしかり。
 そのとき、腰も右前、左前と変化するのです。
 この動作がよく見られたのが「立石の百姓踊り」。
 大振りな動作で鍬や天秤棒などを使い、右に左にと身体を展開させながら踊ります。
 最後に米俵が出来上がり荷車に積むというオメデタイ踊りです。

 田んぼを鋤き込む動作では身を低くして鋤をヨコにスイングします。このとき、やはり右手・右足が同時に前に出るのです。
 これが日本人の力の入れ方なのです。

 お相撲さんのつっぱりも右手と右足が同時に出ます。こちらはむしろ、右半身が同時に出て「衝き」が完成するカンジ。

 古武術の「棒術(杖術)」でも、(どの流派でも)たいがい右手・右足は同時に出ます。
 (こちらはむしろ腰がすばやく右に回転し、それに右上体・右下体が乗っかるカンジ)

 右手が前に出ているのに、左足が前に出ると、この場合どうしても動作がバラバラになります。これではホントの力が出せない。

 半身が同時に前に出てくる動作を「ナンバ」というそうです。
 甲野さんのいう「伝承」にはこういう動作もきっとはいっているのでしょう。


 再び甲野さんの言葉
 「人類はいま、数千年続いた伝承を、初めて失った。」
 日本人ならではの「理にかなった動作=伝承」。僕もこの身に継承できたらなぁ、と考えています。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人や銀河や修羅や海胆は」

2011年07月26日 15時16分29秒 | 観劇日記
 「人や銀河や修羅や海胆(うに)は」
 この単語にピピンときてしまった。
 これって宮澤賢治の「春と修羅」の序文じゃないですか。
 あ、でもこれ演劇だ。どこの? TheatreGroup“OCT/PASS”? お、地元の老舗じゃないですか。 
 うわ、ど、どこで上演するの? あ、巡回講演なんだ。

 情報を集めていたら、秋保のほうねん座さんからも案内が届いた。
 OCT/PASSさん、秋保にも来るんだね。・・・よっしゃ。

 秋保ではチャリティパフォーマンスを開催するらしい。ほうねん座さんもステージあり。お、これは楽しみ。
 というわけで、平成23年7月24日(日曜日)、秋保のほうねん座さんのトコロ(正しくは久賀山荘前デッキ)に行ってきました。
 ほうねん座さんには、一度「夏合宿」でお邪魔したことがある。太鼓叩いてなんだかスカッとした気分で帰ってきた記憶がある。
 座長さんをはじめ、みなさんますますお元気で。なんだか震災があったのがウソみたく思えてくるくらい明るい明るい!
  
 こうやってあらためて聴くと、民族芸能ってJAZZに似ているよな・・・。ソウルダンスかつソウルミュージックなんだよね。きっと根っこは同じなんだろうな。もちろん、今日のパフォーマンスには「ことほぐ」という役割があるから、あまり内面的にえぐりこむような空気は出していなかったけど。

 その後、しばらく休演して、いよいよ「人や銀河や修羅や海胆は」開演。
 
 「ハンムンムンムン・ムネネ村」の人々が、こんど赴任してくる中学校の教師・賢治さんの登場を、今か今かと待っているところからお話は始まる。

 意外にも笑いが多かった。キャラも強烈なのばっかり。
 宮澤賢治役の人だけがクールに好青年を演じ続けた。
 
 劇中、「鹿踊り」のくだりがあった。タイ舞踊なども取り入れた鹿の独特の動きに魅了された。セリフ運びも気持ちいい。
 今日に至るまでに相当濃密な稽古があったのだろうと想像した。

 とにかく、子供が多かったせいか、客席からはしきりにゲラゲラ笑うこえが湧いた。
 大丈夫かなぁ、劇というよりコントになりつつあるんだけど?
 
 ところが、ふと、間をおいて、場面は「永訣の刻」へと展開する。
 夜のとばりをごとごと走る軽便鉄道のその車輌に、ひっそりとすわる生き物たちの姿。
 「ひかりの素足」の楢夫、「よだかの星」のよだか、「グスコーブドリの伝記」のブドリ、「なめとこ山の熊」の小十郎と熊。
 やっぱり出たか。

 みんなみんな、賢治の中の何かを伝えるために死んでいった、賢治の古い友人たち。
 「だれも苦しまなくていい世界」
 そのために邁進できた人、したくても出来なかった人、
 でもみんな他者の苦しみが見えていた。そこへ寄り添う方法も知っていた。ただそれは、あまりに遠くにあった。

 ばかで、めちゃくちゃで、てんでなってないドングリでいい。デクノボウと呼ばれてもなんでもかまわない。そこへいって寄り添える人、みんなそうなりたがっていた。それを望んでいた。

 被災した人々がすぐ近くにいるのに、そこへ飛び込んでいけない僕の焦燥に、それはちょっと似ていた。
 
 汽笛が鳴った。賞賛でもねぎらいでもない、ただすきとおるようにまっすぐぴいんと響く汽笛。
 (そのほんとうの汽笛が僕にも聞こえるほど穏やかで涼やかな心持ちになるまでには、いったいどのくらい・・・。)

 いま、永訣の刻が来ていた。そしてそれは、本当の永訣の始まりへとつながる・・・。賢治の目の前には、妹トシが座っていた・・・。


 最後に、「ハンムンムンムンムン・ムムネ」は「ペンネンネンネンネン・ネネム」とも言い、それはいずれも「グスコーブドリ」を自己パロディした作品群です。それもかなりコメディ・タッチでね。


 うん、面白かった。
 キャラ強烈だったけど、それをこなす役者さん、すごいですね。
 あのあと、みんなちゃんと「素」にもどれたかしら?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斬! 鬼神楽っ

2010年08月31日 11時17分22秒 | 観劇日記
 劇団航海記・第4回公演「鬼神楽」を見てきました。

 これねぇ、初めのポスターには日本刀が抜き身でギラリと光っていたので、殺陣アクション好きなCOZYとしては「お?」と気になっていたんですよね。

 映画「ハイランダー」でもやっぱり西洋ダンビラ(大剣)振り回しているよりも、細身の日本刀をヒュンと一振りしてからその切っ先をピタリと相手に向けるのがカッコイイ!と思ってしまうタチでして。

 で、用事をずらしたりなんだりして時間をつくり、長男と二人で見に行ってきました。

 まぁず、うれしかったのが小道具(刀)。
 木剣やハリボテではなく、ちゃんとした模造刀。
 やっぱり質感がちがいます。模造刀とはいえ刀身はもちろん鉄ですから。
 その分重かっただろうな、とも思いますが。とくに女性の役者さん。

 でもみなさん動きが良かったです。刀を細工してなにか軽量化をしているのか(できるの?そんなこと)、それとも稽古の賜モノなのか・・・?
 いずれにしても、役者さんてスゴイな、と思いました。

 刀の持ち方はふつうそんな短期間で覚えられるものではないハズです。竹刀だってまともに振れるようになるまでに少なくとも1年はかかるかも。

 それなのに劇団のみなさん、刀の振りがなめらか&やわらか&華麗。どんな稽古するとこんなことできるの?と驚きでした。

 お話も進行もテンポ良くてアクション向き。キャラクター描写が複雑でなかった(一部は複雑)のが却ってお話をわかりやすくしてましたね。台詞の掛け合いも自然でよかった。

 殺陣アクション好きには大満足な作品でした。
 また見たいな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星めぐり、そしてゴーシュ・・・

2010年05月18日 14時22分42秒 | 観劇日記
 2010年5月16日(日)
 大河原の「えずこホール」で白石高校合唱部の定期発表会を見てきました。
 入場料はタダ。
 タダとはいえ侮る勿れ。
 もともとは旧・白石女子高等学校の合唱部。
 その実力は旧・仙台第三女子高等学校と県内1、2位を争うほどの実力者集団。

 オーバチュアは5拍子の疾走感が心地よい一曲。
 つぎに一転してハンドベルの幻想的な調べとともに歌う「星めぐりの歌」。
 これはすごいよ。
 よくこんな難しい音階をハモれるなぁ、という仕上がり。ため息でちゃう。

 さてさて、
 白石高校は男子校と女子高が統合してきでた新しい学校です。
 益岡城の南西にかなり広大な用地を取得してできたところで、なんと私服OK!
 それでも共通のブレザーがあるようで、校長先生も発表会に自ら着用してご来賓。壇上の挨拶で「メタボにも合うブレザー(笑)」と紹介。

 合唱部はもともと女子しか在籍しておらず(元・女子高だもの)、初めて男子部員が1名入部したとのことで、なんだか盛り上がっていました。ここへ生徒会・応援団などの男子もバックアップに入り、みんなで校歌を斉唱。
 なんと新生・白石高校の校歌は男女四部合唱でできているそうで、(聴いていてもかなり難しそう)ダイナミックなハーモニーが心地よかったです。男子もかなり歌いこんできていましたね。頼もしささえ感じました。

 そして第二部。
 いよいよ「セロ弾きのゴーシュ」がはじまりました。
 これはもともと6人で演じるオペラとして演目があったようで、それをダイナミックに作り直しての上演でした。演技もなかなかの熱演。(歌いながら演じるってのは大変ですよねー)
 
 猫の奔放さ、
  カッコウの几帳面さ
   タヌキのユルいところ(なぜか途中からエイサーに)
    ねずみのおっかさんのハマリっぷり・・・(あ、ゴメン)

 最後の大団円まで一瞬もタルい気分にさせないのはさすが。プロじゃない?

 レベル高いなぁ。
 最後にみんな壇上から降りて「星めぐりの歌」。客席を取り囲むようにして歌うので合唱の波に体中が揺らいでいるようでした。きもちいいー。
ごちそうさまでした!!!

 ちなみに長男は最前列で見ていました。次男は第1幕だけ最前列。あとは引っ込んじゃいました。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

劇団四季「55Steps」

2010年04月06日 00時05分10秒 | 観劇日記
 観ました。
 なんと前から2列目!

 今回はほんと劇団四季ファンのためのステージっていう感じ。

 歌よりはダンスで楽しめました。
 振り付けのしっかりした団体構成のダンスあり、
 個人の肉体表現を極限まで引き出した舞踏あり、
 バレエも、ヒップホップも、タップも、コラボも・・・!

 みんな手足が長くてスタイルいいから、男女ともにセクシーというか、躍動感、エネルギー、とにかく生命力のようなものが直球でこちらへぶつかってくる。
 ホンント、加熱調理を一切していないナマ状態で丸呑みさせられた感じ。
 (もしかしてこーいうのカラダによくない?)
 
 刺激強かったなぁ。迫力あり過ぎ。

 で、なんで歌にあんまり評価が行かないかというと、これは極めて簡単。っつか、これは個人的な好みだからどうしようもない。

 要するに、この演目からのナンバーだったらむしろ他に聴きたい曲がある、という話。

 「ユタと不思議な仲間たち」からの引用だったら「ともだーちはいいもんだ」が聴きたいし、「夢から醒めた夢」なら「すきとおったようなー」が聴きたかった。ただそれだけ。

 「キャッツ」「ジーザス・クライスト・スーパースター」からの選曲はストライク!でした。
 「CATS」ではラム・タム・タガーが登場。
 あちこちちょっかいを出しながら歌っていたが、突然こちらのほうへ向き直り指差し目線!
 ん?
 もしかして、とヨコを向くと、BELAちゃんが舞い上がってしまっている。
 あ、コノヤロー、相変わらずノリ易そうな女性をさがすのが早いこと!

 圧巻は「クレイジー・フォー。ユー」からの「アイ ガット ア リズム」。

 冒頭のタップバトルがすんげーかっこいい!
 中に、バレエのイメージしかなかった男優さんがいて、この人がまたツナギが似合うこと!意外でした・・・。(自分の中ではこの男優さん、人気急上昇です)
 みんなでジュラルミンケースがボコボコになるんじゃないか、ってくらい激しくドカドカ踏み鳴らすもんだからこっちも鼓動がだんだん速くなってきちゃう! なるほどね、あのゴーストタウンで踏み鳴らしていたタップをこんなに高度に焼きなおして見せてくれんなんて、うれしいじゃないですか。加藤さん(構成・振付他)スゴイ!

 おなかいっぱい、のステージでした。(ホントにお腹こわさない?)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「肉ばりいっそ」

2009年11月08日 14時20分49秒 | 観劇日記
 去る10月29日(木)、落語を聞きにいってきました。
 場所は仙台市の東北電力ホール。
 高座に上がるのは、江戸落語界当世第一と呼び声の高い柳家小三治師匠。

 前座の柳家三之助さんがイキのいい語りで「夢浮世」を口演。
 この方も芸がしっかりとしていて心地よく聞けました。

 座があったまった頃にゆるりと登場したのが、お待ちかねの小三治師匠。
 この方はねぇ、なんつったって声がいいんですよ。声がね。
 しゃがれてて、それがえもいわれぬ温かみを帯びている。

 さあ師匠の第一声。

 「えー・・・」
 しばらく間をおいて、
 「特にありません。」

 がく。
 腰がくだけそうになる。なんつー始まり様なんだか。

 落語ってのは、たいていすぐに本題にはいるようなせっかちなマネはしません。
 まるで世間話でもするような軽い話題から入っていきます。
 いわゆる「マクラ(導入部)」ですね。

 師匠の後頭部に出来物ができた話から始まって、皮膚病の「はたけ」の話、
 「DDT」、そして戦時中、当時六歳で岩沼に疎開しなければならなかった当時の話へと、師匠は自身の思い出をたどりつつ、話スジはどんどん深まってゆきました。
 なかば置いていかれるように岩沼の親戚の家へあずけられた少年。東京では空襲をうける危険が迫っていたのでした。
 やがて岩沼にも爆撃機の影が・・・。
 近くに日本軍の飛行場があったせいで、ちょくちょく空から米軍の嫌がらせをうけたそうです。

 そして仙台空襲。
 金蛇さん(金蛇水神社)のお山越しに仙台の空が真っ赤に灼けるのをみんなで見たそうです。

 さて、疎開してすぐに岩沼の言葉に染まっちゃった師匠、いまでもこの地域の言葉ならたいがい分かるそうです。
 だんだん会話に宮城県のお国ことばが混じるようになってきて、ぽん、と出た言葉が「肉ばりいっそ」。

 わかります? この言葉。

 これは、食糧難のころに近くで獲れた鯉をみんなでわいわい集まって身を切り分けていたときの話。
 子供たちにまじってその様子をみていたとき、師匠は近くの女の子が「肉ばりいっそ」とつぶやいたのが忘れられない、と話したのです。

 「肉 ばり(ばかり) いっそ(ぜんぶ)。」です。つまり「身がいっぱいつまっている」という意味をつぶやいたのでしょう。(よっぽど食べ甲斐のある鯉だったんですねぇ)

 ちなみに、「いっそ」の解釈は、経験上、「感嘆の強調」というほうがしっくりきます。英語でいうところの「It's so」です。発音もそっくりだし。
 たとえば、「It's so rainy.」は「いっそ雨ばり。」です。標準語よりも訳しやすいくらいです。

 女の子はそのあと、「ウワァ」といい、つづけて「おどけでねぇ(とんでもない)」といったというのです。

 この「ウワァ」と呻るのがここの場面においては重要なんだと力説する師匠。
 たしかによく感情をこめて「ウワァおどけでねぇ」というのを田舎へいくとよく聞きます。
 こういうニュアンスを理解してくれる師匠に強烈な親近感をおぼえます。

 不思議なひとですねぇ。
 笑いと、疎開の切なさと、地方言語へのシンパシィ。
 こういったものを、すぅっとお客に提示して、とぼけている。これはもう落語じゃないです。

 ・・・・ところでマクラ長くないですか?
 と思っていたら、そのまま前半終了。ええええーっ?

 前半マクラだけ? いっそおどけでねぇごだ。

 休憩ののちに師匠が出てきて、とぼけた一言。
 「いやぁ皆さん、大変なことになっちゃいましたねぇ。」
 大爆笑。

 大変だよホント。でもこの後「青菜」を一席やってくれました。
 いやー、よかった、落語聞けないまま終わるのかと思った。

 師匠も言っていましたけど、独演会ってのはふつう、マクラ+落語で前半、後半にもう一席落語をやるってのが通例だそうで。それがマクラだけで、しかもマクラっていうにはあまりにも深い話だったし。
 なんだか得したような損したような・・・。

 帰るときに、「本日の演目」みたいに張り出されているのを見つけました。
 前半のお話に「肉ばりいっそ」と題が付けられているのを発見。
 だれだこんなばかばかしいお題をつけたの?

 わすれられない独演会でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする