十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切ったものである。 「マタイによる福音書」第十章2-4節 [1]
ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。このピリポがナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。ナタナエルは彼に言った。「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った。「きて見なさい」。イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。ナタナエルは言った。「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた。「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。ナタナエルは答えた。「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。 「ヨハネによる福音書」第一章44-51節 [2]
聖バルトロマイは十二使徒の一人だが、聖書の記述は極端に少ない。マタイ、マルコ、ルカによる共観福音書には十二使徒の一人として名前だけが記述されている。「ヨハネによる福音書」にピリポとともに出てくるナタナエルがバルトロマイと考えられている。
本書で取りあげられているのは、聖書には書かれていない伝承による殉教の話である。イエスの死後、バルトロマイはインドなどで布教したが、アルメニアの地で生皮を剥がされて殉教したという。
絵画や彫刻の像が聖バルトロマイであることは、皮を剥いだナイフや剥がされた皮そのものがアトリビュートとして示されることによって明らかになる。絵画や彫刻には、このような「形象的言語」がある。本書は、「美術における言説と時間」という副題が示すように、絵画芸術における「形象的言語」についての言語学的論考である。
訳者あとがきによれば、「一九二八年、北イタリアのピエモンテ州クーネオ近郊ヴエルッオーロに生まれた〔チェーザレ・〕セグレは、近年の退官まで長年にわたってパヴィーア大学でロマンス語学を講じてきた言語学者」 (p. 189) だそうである(私には初見である)。
美術作品が「形象的言語」を持つのだとすれば、鑑賞にはその読解が必要になる。しかし、私にはそれが問題なのである。西洋絵画には聖書、ギリシャ・ローマ神話、象徴や寓意、歴史や古典文学から主題を得ているものが多く、その意味を理解するのにいつも難渋している。たとえば、国立新美術館で「大エルミタージュ展」を見たとき、一緒に見た娘と《寓意》について悩んだことがあった [3] 。どこかのミュージアムショップで『西洋絵画の主題物語』 [4,5] という本を見つけて読んではみたが、知識は有効に身につかない。美的感覚や倫理観や喜怒哀楽の感覚に裏打ちされていない知識では、絵画鑑賞、美の審級には役に立たないのである。ヨーロッパの人々が生まれおちたその時からの長い日常の時間の中で少しずつ培ってきたような知識と感情を一冊の本で代替できないのは当然である。記紀神話や古代中国説話に題材を取った日本画でも、その主題の背景を理解するのに難儀をしているのだから、西洋絵画ではなおさら如何ともしがたい。
だから、時として「絵画に物語性は必要ない」などと嘯いてみるが、それは私の単なる悔し紛れである。ただ、形象的言語性が高い作品があるというのは確かだが、そのような言語性を持つことそのものが美術作品の本質とは考えられない。したがって、美術作品に「意味内容」と「美的価値」が共存していることを前提に、著者が次のような控えめな期待を論述の出発点とするのは肯ける。
ある絵の「意味内容」(significato)はその絵の「美的価値」(valore)から独立している。とはいえ美的価値は意味内容なしにはありえなかったであろう。そして意味内容のこの少なくとも時間的な先行性こそが、美術的秩序への言語学者の介入を理論的に支えてくれることを期待したい。 (p. 11)
著者はまず、「絵画作品は「作者が作品に表意性(significanza)を注入する体系」だとする言語学者エミール・バンヴェニストの論考から出発する。
絵画的記号の不在をくりかえし主張しつつ、われわれはここで美術家が生みだした体系がもたらす表意作用と向きあうことにしよう。それは体系に内在し続ける表意作用であり、その規則はもっぱら体系それ自体に基づいている。美術や美術的言語は存在しない。それ自体で体系をなし、他のどんな作品とも異なる、個々の作品が存在するだけなのである。 (p. 14)
この美術がもつ体系は記号学体系ではない。美術大系は「解釈される体系(sistema interoretato)」であり、言語体系は「解釈する体系(sistema interoretante)」 (p. 15) なのである。
しかし、著者は、美術作品の記号的性格を否定することは、「いくつかの時代における、非常に明瞭な図像(イコン)性」と矛盾することを指摘する。その「図像(イコン)性」は美術における「解釈学の一潮流である図像解釈学の発端となった」 (p. 18) のである。
言語的叙述から図像(イコン)表現へ、あるいは図像(イコン)表現から言語的叙述へと翻訳作業のような移行が可能である。著者は、この絵画行為をめぐる言語的叙述を二つに区分する。「委嘱主または作者がその作品のもつであろう明示的意味内容(contenuto denotativo)を記述するとき」すなわち「表象(rappresentazione)に先行する」ものを「言語的叙述 I 」、「受容者(同時に委嘱主または作者でもありうる)が画面からそれを導きだす」ものを「言語的叙述 II 」と呼ぶ。言語的叙述 I と言語的叙述 II の「本質的一致は、表象そのものの中に実現された形象的統辞法の手続きによって可能」 (p. 19) なのである。
しかし、ここには作者と受容者との関係という点に関していくぶん問題がある。それは、絵画行為において、作者の意図する絵画の意味内容(言語的叙述 I )が、受容者が絵画から受け取る意味内容と一致していなければならないのか、ということである。そして、それは不可能だと私は考える。ジャック・デリダが言うように、そこにはいつも「ずれ」や「誤配」が生じる。そして、その「ずれ」や「誤配」こそ私たちの文化的行為に必然的なものであり、かつ文化的行為を豊かにするものですらある、と私は考える。もちろん、それは「本質的一致」を願いながらの「ずれ」なのであって、最初から一致を放棄してよいということを意味してはいない。とまれ、ここでは「希望的一致」ないしは「可能的一致」を想定することで、先に進むことにする。
「図像(イコン)性」とともに「遠近法」も形象的言語として重要であることを、エルヴィン・パノフスキーを援用して著者は主張している。「遠近法は所与の世界概念に対応する関係体系」であり、ウスペンスキーは、「遠近法の内部に、幾何学的おとび意味論的な二重の統辞法」 (p. 21) を見極めていたのだ、という。意味論的な重要性に応じた人物や事物の遠近法的処理は、一つの絵画的統辞法なのである。パノフスキーは遠近法を「象徴形式」 (p. 24) と呼ぶ。
……遠近法と図像解釈学は、視覚的統辞法の発見における二つの相補的な瞬間とみなすことができる。遠近法は登場人物(や事物)の問の空間的および意味論的関係を指し示すとともに、観者の表現へのアプローチの種類をも決定づける。図像解釈学は普遍的-特殊的という尺度の上で機能するとともに、人物像に、彼らの相互関係に基づいて、固有名詞と普通名詞の規約と厳密な象徴的価値を与える。起こりうる物語上の展開は、ひとつの「歴史」(storia)を構築することによって、表現の継起(と共存)を結合する。 (p. 22)
図像(イコン)的、図像解釈学(イコノロジー)的、物語表現的側面は、まさしく表象の内容に属している。それらは表象行為の対象を構成する。一見してそれらは、言語にもっとも近い要素である。なぜなら単語や文章に「翻訳可能」だからである。それは言表的言語(linguaggio verbale)と絵画的言語が固有の手段で実現する共通の対象指向性(referenzialita)である……。 (p. 25)
ここで言う対象指向性とは、遠近法と「表現の統一性の中では融合している」 (p.26) もので、単に理論的目的で遠近法と区別しているにすぎない。また、著者は、「表象(rappresentazione)」を「記号内容と視覚的記号表現の総体」を意味するものと定義する。「着想、すなわち画家の心の中にある絵画の心象」としての表象を「表象1」、それの実現(絵画表現)を「表象2」と呼ぶ。表象1を直接言葉のみで表現する場合を「言語化1」と名付け、表象2(絵画)から言語化される場合を「言語化2」と呼ぶ (p. 28) 。表象1→言語化1の過程が先述した「言語的叙述 I 」であり、表象2→言語化2が「言語的叙述 II 」である。
レオナルド・ダ・ヴィンチの書き残した「主題構想」は、言語的叙述 I (表象1→言語化1)の好例である。
私にはレオナルドのいくつかの「主題構想」(invenzioni)を素材に用いるのが有効であると思われた。その理由はまさに、絵画による実現が(ほとんどの場合)なされなかったことが、その機能性とイメージの心象への従属を同時に示しつつ、反論の余地のない表現レヴェルでの明瞭性を言説に与えるからにほかならない。 (p. 27)
例えば、「構想X」は《最後の晩餐》のために書かれている。著者の「構想X」の要約と理解は次のようなものである。
レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》フレスコ、1498年、ミラノ、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂付属修道院食堂 (p. 117) 。
まず驚かされるのは、「一人の男、もう一人の男、別の男」という具合に示される、登場人物たちの無名性である。……われわれはまだ普通名詞の段階におり、固有名詞にはたどりついていない。使徒たち――そのような定義さえまだなされていない――は互いに交換可能である。
関係性の図式が優位を占めている。登場人物は、(使徒三人からなる四つのグルーブが見てとれる絵画とは異なり)二人ずつの対として眺められている。……そして二人ずつ対になったすべての構成員同士の関係、および登場人物たちと「話し手」との関係の中にこそ、時間性の感覚(頭をめぐらした、振り向いた、肩をそびやかし、等々)と、音声への示唆(耳にささやき……それを聞いている男)が生じるのである。グループ分けは場合によっては一連の複雑な動機と動作を、つまり多くの文節を含むひとつの統辞法を示唆する。 (p. 31-2)
……「構想X」が提示するのは、(a) 登場人物同士の、もしくは登場人物と事物さらには身振りという物語の暗示的断片(行為と反応)の間の位置関係、(b)三人の人物の三角法的関係を通して得られる空間公式、(c)音声的暗示、(d)動きの暗示、ということになる。 (p. 32)
その他にも、「構想VII」では動きや音声の暗示に加えて、長期の持続に関わる表現などによって「時間性」を表現しているが、それも長い時間の持続ばかりではなく時間を圧縮した表現も見られる。もちろん、もし「構想」が絵画化されたとすれば、表象1の言語化である「構想」は、「読解の順序や事物のグループ分け」 (p. 37) を与えるであろうし、時間性とともに事物の「因果関係」 (p. 39) も与えることになる。
「構想X」を除けば、「構想」は描かれざる表象1の言語化である。
レオナルドの「構想」は言説(discorsi)であり、われわれの解釈も言説である。絵画が実現した場合にそれを記述しようとする行為も言説であろうし、その意味を把握しようとする行為も言説であろう。私のこの論述を批判しようとする行為も言説であろうし、以下同様に続けていくことができる。……これらの言説は無限へと向かう直線上にではなく、実在するまたは計画中の作品の記合学的核を中心にもつ一連の円周上に位置している。 (p. 48-9)
さて、問題は表象2(絵画表現)そのものおける言評である視覚的言説である。著者は、「表象は言表的言説でも視覚的言説としても実現しうる」 (p. 55) と述べて、その例として「動き」と「時間性」の表象を「心的事象としての動的効果」という章を設け、いくつかの絵を挙げて論じている。
「動き」の例のひとつとして、《花を摘む少女》を挙げて、次のように評している。
図7 《花を摘む少女》フレスコ、ナポリ、考古学博物館 (p. 61)。
まず第一に、暗示的な動きがある。ナポリの美術館にある、スタビア出土の大変美しい《花を摘む少女》(図7)をご覧いただきたい。彼女は右手で花を手折り、左手に同じ種類の花束をもつ。われわれはこの二つのデータを結びつけ、手折る動作から束にまとめる動作への、いっそう長い時間帯を把握することができる。そのうえ、少女は歩いている。われわれは時間帯をさらに拡張して、採集行為をいっそう系統立った行動として推論することができるだろう。 (p. 59)
絵画の時間性を観るうえで最適の例になっているのは、多くの画家によって描かれた「受胎告知」を主題とする絵画群である。有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの《受胎告知》も例示されているが、ここではそれ以外のいくつかを挙げておく。受胎告知の場面の詳細が記述されているのは「ルカによる福音書」(第1章26-38節) [6] だけだが、そのシーンの時間変化は次のような六つの場面として考えられる。少し長い引用になるが、時間性の表現の違いを見ておく。
(1)天使の到着と挨拶。「おめでとう、恵みに満ちた方」(Ave gratia plena)、等々。
(2)マリアの当惑と物思いに沈んだ状態。
(3)まもなく訪れる懐妊のお告げ。「ご覧なさい。あなたはみごもって」(ecce concipies in utero)等々。
(4)マリアの反論。「どうしてそのようなことになりえましょう」(Quomodo fiet istud?) 等々。
(5)天使の説明。「聖霊があなたの上に臨み」(spirltus sanctus superveniet in te)等々。
(6)マリアの献身。「ご覧わたしは主のはしためです」(Ecce ancilla Domini)等々。 (p. 105-6)
左:図22 シモーネ・マルティーニおよびリッポ・メンミ《受胎告知》テンペラ、板、
1333年、フィレンツェ、ウフィツィ美術館 (p. 107) 。
右:図23 アンブロージョ・ロレンツェティ《受胎告知》テンペラ、板、1344年、
シェナ、国立美術館 (p. 108) 。
シモーネ・マルティーニおよびリッポ・メンミの作例では、レオナルドやロットと同様に、マリアの当惑が、つまり(1)および(2)の時点が描かれているが、アンプロージョ・ロレンツェッティの作例ではマリアは恭順の意を示している[(1)および(6)]。マリアの二つの態度[(2)や(6)]は厳密な動作によってコード化されている。
驚きを示すには、開いた掌をやや上にあげ、恭順を示すには、胸の上で両手を交差するのである。シモーネ・マルティーニは、驚きを表現するに当たって、美女らしく片手でマントを閉じ、身を守るようにやや横に体をひねるという、きわめて優雅な身振りを思いえがいている。それに対しロレンツェッティ[(1)と(6)]では、膝の上に開いたまま置かれた書物によって驚きが表わされている。マルティーニとロットにおいては、父なる神と聖霊も出現している[(1)、(2)、(5)]。またときとして天才的なヴァリエーシヨンに出会うこともある。ロレンツォ・ロットの場合がまさにそれである。この画家は、天使が聖母に姿を見られることなく、まるで追跡でもしているように背後から不意打ちをくわせるという表現によって、彼女の当惑、いや驚きを強調しており、その驚きは猫にまで伝わっている。……
とくにお告げの天使に関して、動作の表現は興味深い変化を示す。……到着したてでしばしば跪いた姿勢をとる天使は、ときにはまだ上空を飛行中で、滑走の動作を始めたばかりである(カルロ・ブラッチェスコ[図29])。 (p. 106-114)
左:図25 ロレンツォ・ロット《受胎告知》油彩、カンヴァス、1525-30年頃、
レカナーティ、市立絵画館 (p. 107) 。
右:図26 カルロ・ブラッチェスコ《受胎告知》テンペラ、板、15世紀最終四半世紀、
パリ、ルーブル美術館 (p. 108) 。
聖書や神話上の人物像は、しばしばその人物のエピソードに由来する事物をアトリビュートとすることで特定される。本書のタイトルとなった「聖バルトロマイの皮」も重要なアトリビュートである。
右:図30 ドゥッチョ・ダ・ブオニンセーニャの追随者《聖バルトロマイ》14世紀前半、
シェナ、国立絵画館 (p. 120) 。
左:図31 ジョヴァンニ・デル・ビオンド派《聖バルトロマイ》14世紀前半、
フィレンツェ、アカデミア美術館 (p. 120) 。
造形上の約束事を知ることによって、たとえばアトリビュートが特定されない普通名詞から、アトリビュートが厳密に個人を特定する固有名詞へと移行することが可能になる。われわれの文化の外部にいる者にとって、輪光をともない手に短刀をもつ男性として映る存在は、その文化の内部にいる者にとって、聖人(輪光がそのことを示す)、とりわけ使徒の一人で皮を剥がれて死んだ聖バルトロマイ(短刀は彼の殉教の象徴である)となる。たとえばドゥッチョ•ダ•ブオニンセーニャの追随者による板絵(シェナ、国立絵画館、一三二〇年頃[図30])と、ジョヴァンニ・デル・ビオンドの板絵(フィレンツェ、アカデミア美術館、一三七八年頃[図31])にこの聖人が表わされている。それに対し、ミラノ大聖堂にあるマルコ・ダグラーテの有名な彫像(一五六二年頃[図32])では、聖人は解剖学的構造をむきだしにした自らの身体に、その皮をショールのように巻きつけている。そのショールはきわめて自然に表現されているため、背後から見なければそれが皮であるとははっきりわからないほどである。実際、背後には頭部の皮まで存在している(図33)。つまり、聖人に対する拷問の結果(身体から剥ぎとられた皮)が、拷問の手段(短刀)に置き換わったのである。留意すべきは、この彫刻家が明らかに初期の解剖学的著作を利用したことである。 (p. 119-21)
右:図32 マルコ・ダグラーテ《聖バルトロマイ》(正面観)、
一五六二年、ミラノ大聖堂 (p. 121)。
左:図33 同(背面観) (p. 121)。
著者は、「このような分析上の基準によって造形芸術の歴史をもう一度たどりなおしてみるのは、魅力的な試み」 (p. 123) のもう一つの例として、ティツィアーノの有名な《聖愛と俗愛》を挙げている。
図36A ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《聖愛と俗愛》油彩、カンバス、1514-15年、
ローマ、ボルゲーゼ美術館。 (p. 125)
この絵は、二人の女性によってそれぞれ聖愛と俗愛が象徴的に描かれているのだが、以前ウンベルト・エーコの『美の歴史』にこの絵が載っていたのを見て、この絵の象徴性に関して、私は次のように書いたことがある。
それまで、ヴィーナス像は裸像がほとんどであったので、右の裸のヴィーナスが「天上のヴィーナス=聖愛」、左が「地上のヴィーナス=俗愛」として素直に受けとった。きらびやかで贅沢な衣装を身につけることはじつに俗っぽい。しかし、キリスト教的倫理が支配する中世社会でもそうだったのだろうか。裸の聖母はけっして描かれない。「比較表」によれば、裸の聖母が現れるのは19世紀末のムンクによってである。ヴィーナスと聖母は違うといってしまえばそれまでだが、「双子のヴィーナス」概念が現れたときには、当然ながら俗社会の倫理、美意識も導入されたと見るべきではないか。
いずれにしても、考えはじめたらますます迷うのである。 [6]
つまり、断定的には理解できなかったということである。私ばかりではなく、西欧文化の観者にとっても多少は迷うものらしいことを、著者は述べている。
二人の女性は、われわれがもっている中産階級的精神と(とはいえ中世の精神ともまた)関連づけられるべきものに見える。左の女性は、きわめて慎み深いその衣服ゆえに、聖なる精神と、また右の女性は裸であるがゆえに俗なる精神と。実際はその逆なのだ。そのことは裸の女性のランプが、その炎によって聖なる思索の領域へと導いていることや、彼女がもう一人の女性より高い位置に描かれていることからもすでに察しがつく。ここでは裸体は清らかさを、つまり透明性を意味する(「裸の美徳」[nuda Virtus]、「裸の真理」[nuda Veritas])……のであって、実際「信仰」や「観想的生」の表象でも裸体が用いられている。逆に、左の女性の豪華な衣服は、媚態とまでは言わずとも、世俗性の表われとされる。 (p. 126)
私の直感的な理解が外れていなかったことにほっとするが、図像解釈学による知識がなければ、確定的に理解することはなかなかに難しい。しかも、著者の言説はそれにとどまらず、この絵の「思想上のモデルはプラトンにある」として次のように書き進めている。
彼は『饗宴』(180c-e)においてウラニアの(天上の)ウェヌスとバンデモスの(俗世の)ウェヌスとを対置した。マルシリオ・フイチーノ (『プラトン《饗宴》注解』[VI, 7])はその影響を受けて二人の双子のウェヌスについて語っている。彼女たちの一人は、普遍的かつ永遠の美の原理である「天上の」ウェヌスと呼ばれ、もう一人は地上における美のイメージの源である、「俗世の」ウェヌスと呼ばれる。 (p. 126)
絵画の形象的言説をめぐるセグレの言表的言説(彼はこれを対象の言説を表象するメタ言説と呼ぶ)は、ボッティチェッリの《春》や《ウェヌスの誕生》、さらにはデューラー、クラナハ、ルーベンスへと続く。
著者は、基本的にはジャン・ルイ・シェフェールやルイ・マランなどのフランスの記号論者の形象的言表についての考えに同調しているようである。「絵画の中に特定しうる一連の場面は、絵画をテクストとして構成」しているので、そのテクストを分析することになるのだが、その読解についてこう述べている。
読解は実質上、無数にある。実際、絵画とはシェフェールの言葉を借りるなら、認識論的空間を構成する体系の重複の結果である。その空間内で人は、体系の配列、重複、交差を通して、表意性と戯れることができる。 (p. 17)
そうして、人は様々な美術作品にアプローチでき、豊かに言語化できるのである。じっさい、著者は失われた芸術作品、破片しか残されていない彫刻、廃墟に至るまで形象的言表の読解に歩を進める。
ここでは触れなかったが、形象的言表の読解の理論的ベースとして、対象言表(言説)に対するメタ言語(言説)について、言語学的な考察を加えている。とくに、著者は、言語学的な拘束・制限を嫌って、「メタ言説」を採用するとしている。たぶん、そのことによって豊かな方法で芸術作品の「表意性と戯れることができる」からであろう。
[1] 『聖書』(日本聖書協会、1956年)「新約聖書(1954年改訳版)」p. 14。
[2] 同上、p. 137。
[3] 『大エルミタージュ美術館展』(日本テレビ放送網、2012年)。
[4] 諸川春樹、利倉隆『西洋絵画の主題物語 I 聖書編』(美術出版社、1997年)。
[5] 諸川春樹、利倉隆『西洋絵画の主題物語 II 神話編』(美術出版社、1997年)。
[6] 『聖書』(日本聖書協会、1956年)「新約聖書(1954年改訳版)」p. 83。
[7] ウンベルト・エーコ『美の歴史』 (植松靖夫監訳、川野美也子訳、東洋書林、2005年)。