いきなり引用になってしまうが、ジャン・ボードリヤールが次のように述べている。
ロマン主義以後、芸術の形態についての理論を支配しているのは、結局この同じ形而上学全体性というブルジョワ的形而上学である。それによれば、芸術の特性は「ひとつの全体、あらゆるものを含むより大きな全体(それはわれわれが生きている宇宙以外のものではない)になる能力」を呼びおこすことだ。ウンベルト・エーコはこのコスモロジーをわがものとし、それを言語学の言葉に書き移している。意味のこの全体化は「記号内容の無限の連鎖反応と減速作用」によってなされる(『開かれた作品』)というのだ。 (ジャン・ボードリヤール『象徴交換と死』今村仁司、塚原史訳(筑摩書房、1992年) p. 499)
そのウンベルト・エーコである。宮城県図書館のこの本の前に立ったとき「美のコスモロジーか」と思った、などということは絶対になくて、ただ、「たまにはお勉強も悪くはないか」と気楽に手にとったのである。
「気楽に行動すべきではない」という教訓は「序論」でいきなりやってくる。「本書は美の歴史であり、アート(あるいは文学や音楽)の歴史ではない。したがってわれわれは、アートについて時々表明された観念については、これらの観念がアートと美の結びつきについて扱っている時のみ、言及することにしよう。」 (p. 10) という表明がまずなされる。
そして、美の「比較表」というものが並べられる。たとえば、「裸体のヴィーナス」の項では、「ヴィレンドルフのヴィーナス」(紀元前30万年、ウイーン、美術史美術館)から「モニカ・ベルッチ」の写真(1920年、ピレッリ社カレンダー)まで28葉の図が示される。「裸体のアドニス」の項目では、「クーロス」(紀元前6世紀、アテネ、国立考古学博物館)から「アーノルド・シュワルツネッガー」(1985年、映画「コマンド」より)まで18葉、その調子で、「着衣のヴィーナス」27葉、「着衣のアドニス」29葉、「ヴィーナスの顔と髪型」30葉、「アドニスの顔と髪型」22葉、「聖母マリア像の変遷」27葉、「イエス・キリスト像の変遷」21葉、「君主像の変遷」21葉、「女性君主像の変遷」14葉、「プロポーションの変遷」12葉と続くのである。
つまり、古代から現代にいたるまで、「美」の表象に関するありとあらゆることを視野に入れて読め、と宣告されたようなものだ。
博物学は大切だ。ヨーロッパと比べて、日本の学術においては博物学が尊重されていない、と職業人であった頃は広言していたのだが、じつはそのような分野の本を丁寧に読んだことはない。いや、博物学的な本は1ページ目から順に読みすすめるようなものではない。必要な項目にアプローチできればよいのである。
この本は、「美の博物学」的要素に溢れながら博物学の本ではない。文字通り「美の歴史」本なので、通読しなければ意味がない。正直、「困ったな」と思ったのである。
話は、古代ギリシァから始まる。「デルフォイの神託はこう答えた。「最も美しいものは最も正しいものである。」ギリシァ美術の黄金時代においてさえ、美はつねに、「中庸」、「調和」、「均整」といった他の諸価値と結びついていた。」 (p. 37)
そして、ソクラテスとプラトンによって、「理想美」、「精神美」、「機能美」の概念のもとに精密に思考され、それは何世紀にわたって芸術実践に影響を与え続けることになる。
バロック絵画に代表される中世になると、「醜」、「怪物」が美の補完物として登場する。「これらの怪物たちが全体としての美への単なるコントラストとしても(絵画の中に陰影や明暗があるように)、宇宙の調和の大交響曲にいかに役立っているかを明示するのが、中世の多くの神秘主義者、神学者、哲学者の課題となった。」 (p. 147) のである。
かくして、怪物たちは愛され、恐れられ、警戒され、しかし同時に容認され、その戦慄すべき魅力をまるごともって、文学や絵画にますます入っていった。ダンテの地獄の描写へ、ボスの絵画へと。偽善抜きで戦慄すべきものの魅力や悪魔の美が再認識されるのは数世紀後、ロマン主義とデカダンスの風土になってようやくのことである。 (p. 148)
そのあたりまで読み進めてきて、ある1枚に絵につまずいた。ティツィアーノの「聖愛と俗愛」である。中世のキリスト教的美意識をベースにしながら、「この世では完全な実現は不可能であるがゆえに視覚的に認識不可能な、超自然的完成の一段階を観想する美」 (p. 176) を追求する新プラトン主義のシンボリズムによる双子のヴィーナス像である。
ティツィアーノ・ヴェチェリオ「聖愛と俗愛」(部分)
1514年、ローマ、ボルゲーゼ美術館 (p. 190-191)
それまで、ヴィーナス像は裸像がほとんどであったので、右の裸のヴィーナスが「天上のヴィーナス=聖愛」、左が「地上のヴィーナス=俗愛」として素直に受けとった。きらびやかで贅沢な衣装を身につけることはじつに俗っぽい。しかし、キリスト教的倫理が支配する中世社会でもそうだったのだろうか。裸の聖母はけっして描かれない。「比較表」によれば、裸の聖母が現れるのは19世紀末のムンクによってである。ヴィーナスと聖母は違うといってしまえばそれまでだが、「双子のヴィーナス」概念が現れたときには、当然ながら俗社会の倫理、美意識も導入されたと見るべきではないか。
いずれにしても、考えはじめたらますます迷うのである。
「美は諸部分の比例にあるといういわゆる「大原則」は、ルネサンス期に高度な完成を見た」(p. 214) のだが、「美の新しい表現――仰天させるもの、驚愕させるもの、一見不均衡なもの――の探究」 (p. 228) のバロック芸術へ移行する。
驚愕の彫刻(の写真)がある。「ヴェールをかけられたキリスト」像である。透明なヴェールを不透明な彫刻素材で表現したような不思議な作品で、たぶん、実物を見る以外に感覚の収めようがない。バロックの世紀についてのエーコの記述を合わせて示しておこう。
何度も創造と再創造をくり返す、釣り合いと形体のネットワークが強制的で客観的な自然のモデルに取って代わった。バロックの世紀は、いわば「善悪の彼岸の美」を表現した。これは、醜を通しての美、偽を通しての真、死を通しての生と言えよう。しかし、この死のテーマはバロックの精神に強迫観念的に存在した。それはシェイクスピアのようなバロックではない作家にも見られるし、さらに、後の世紀に、ナポリのサン・セヴェーロ礼拝堂の驚愕すべき死せるキリス ト像にも見られる。 (p. 233)
ジュゼッペ・サンマルティーノ「ヴェールをかけられたキリスト」
1754年、ナポリ、サン・セヴェーロ礼拝堂 (p. 233)
時代は、「バロック末期とロココの過剰の美と新古典主義の世紀」 (p. 237) に移る。そして、次はゴシックである。
18世紀後半から、新古典主義の比例と比べて、不均衡で不規則であるとしか思えないゴシック建築への趣味が台頭した。そして、まさにこの不規則や不定形への趣味が「廃墟」の新しい評価へとつながった。ルネサンスは古代ギリシアの遺跡に熱中した。残骸を通して、もとの完全な形を推測できたからであった。一方、新古典主義はその形を復活させしょうとした(カノーヴァやヴインケルマンが良い例である)。しかし今や、廃墟はまさにその不完全さゆえに、情容赦ない時間がそこに残した痕跡ゆえに、廃墟をおおう荒れた草むらゆえに、そして苔やひび割れゆえに、評価されることになったのである。 (p. 285)
そして、ロマン主義の時代がやってくるが、このあたりから美の表現、主義、流派は多様になってきて、本書は、「機械の美」や「メディアの美」の章まで突き進む。詳細にわたるそれを逐一フォローするのはやめよう。
エーコが「芸術至上主義」の章で引用しているボードレールの言葉を紹介して終わることにする。
「美は常に奇妙(bizarre)である」。私が言おうとしていることは、美が、意志的に、冷静に、奇妙だということではない。何故なら、その場合には、美は、生の軌道から逸脱した怪物になってしまうからだ。私が言いたいのは、美の中には、常に、少量の奇妙さ(中略)がふくまれており、「美」を特に「美」たらしめているものは、まさにこの奇妙さだということである。 (ボードレール「近代的進歩概念の造形美術への応用について」1868年) (p. 331)