かわたれどきの頁繰り

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『ジャン・フォートリエ展』 東京ステーションギャラリー

2014年06月29日 | 展覧会

2014年6月28日

 これを成長というのか、成熟というのか確信はないけれども、画家の想像もできない変容を、その画業を通じて眺めるのは、人間存在の不思議に打たれるような感動がある。
 リジッドな具象からアンフォルメルな抽象へ変容を遂げた画家は、図録 [1] の中で山梨俊夫が引用しているように、「絶対的〈アンフォルメル(不定形)〉の非現実性は何ももたらさない。無償の遊技だ。どんな形の芸術であろうと、現実(レエル)の一部を含んでいなければ感動を与えることはできない」 [2] と語っている。

 ジャン・フォートリエ:1898年、パリ生れ。ロンドンで育ち、絵を学び、第一次世界大戦にフランス兵として従軍。1921年の除隊後、画業に専念。1964年没。

《管理人の肖像》1922年頃、油彩、カンヴァス、81×60cm、
ウジェーヌ・ルロワ美術館、トゥルコワン (図録、p. 29)。

 画家24歳頃の作品、《管理人の肖像》のリアリズムに圧倒される。表層的な美に惑わされることなく、冷徹なリアリズムが見出すのは、人間存在そのもの、〈実存〉の形態と色彩、だと断言しているような作品である。
 とても印象深い絵だが、心が安まるなどという鑑賞からほど遠い。小柄な老婆の体躯には不釣り合いに大きい掌、組まれたその手指に目を奪われて立ちつくしてしまう。そんな作品である。

【左】《左を向いて立つ裸婦》1924年頃、サンギーヌ、紙、102.2×66cm、
個人蔵 (図録、p. 49)。
【右】《後ろ姿の裸婦》1924年頃、サンギーヌ、紙、70×46.5cm、
個人蔵 (図録、p. 50)。

 同じ時期の裸婦像が何枚も展示されていたが、この2枚は飛び抜けて目を惹く。他の裸婦像からうかがうかぎり、画家は、けっして人間の肉体の持つ美しさ、醸し出す人間臭さ、そうしたことを無視しているわけではない。しかし、まずは、肉体が在ること、在るがままのことに専念しているように見える。《管理人の肖像》と同じように、そのような強い意志に貫かれて、この2枚は描かれたようだ。

《森の中の男》1925年頃、油彩、カンヴァス、92×73cm、
パスカル・ランスベルク画廊、パリ (図録、p. 40)。

 そして、《森の中の男》を見て、わたしはやっと安堵する。男の右腕と平行にやや斜めに立ち上がる木の幹、その傾きと対称をなすような背景の木の幹。その安定した絵画的構図は平静な感情を促すし、健康そうな壮年の男の表情は神経を安定に支えてくれる。
 リアリズムは、真実へのガイドではあっても、私たちの感情や精神の味方であるとは限らない。フォートリエの絵はそう教えてくれるようだ。

【左】《美しい娘(灰色の裸婦)》1926-27年、油彩、カンヴァス、92×60cm、
パリ市立近代美術館 (図録、p. 57)。
【右】《青灰色の裸婦》1927年頃、油彩、カンヴァス、116×73cm、
ミヒャエル・ハース画廊、ベルリン (図録、p. 58)。

 フォートリエの画業が「黒の時代」と呼ばれる28~30歳頃の一連の裸婦像では、リアリズムから遠ざかっていく様子がうかがえる。たとえば、《美しい娘(灰色の裸婦)》は、《青灰色の裸婦》などのような一連の裸婦像の中で、なぜ「美しい」と形容されねばならないのか。ここにはすでに、画家の表象過程に潜む美意識の謎が示されている。しかし、謎は謎であって、私にはたぶんずっと謎のままであろう。

《花》1928年頃、油彩、カンヴァス、65×54cm、個人蔵 (図録、p. 70)。

 黒の時代のいくつか静物画の中で、花と葉をほとんど黒一色で描いた(花の下地に赤色が配されているが)《花》が目を惹いた。何よりも器の白さの対照が印象的な絵だ。背景も器も黒で描かれた静物画よりかなり明るく感じるのである。


《醸造用の林檎》1943年頃、油彩、顔料、紙(カンヴァスで裏打ち)、65×92cm、
ガンデュール美術財団、ジュネーブ (図録、p. 91)。

 《醸造用の林檎》には、かなりの比重で具象が残されている。厚い白のマチエールの上に重ねられたワインレッドがとてもいい。林檎ってこんな色だったか、と思ったりもしたが、美しさがそれを一瞬で打ち消す。そんなふうにこの絵を見ていた。

【左】《人質No.3》1943-45年、油彩、顔料、紙(カンヴァスで裏打ち)、35×27cm、
ソー美術館、オー=ド=セーヌ県 (図録、p. 97)。

【右】《人質》1943年頃、油彩、顔料、紙(カンヴァスで裏打ち)、27×22.5cm、
ソー美術館、オー=ド=セーヌ県 (図録、p. 98)。

 第二次世界大戦後、フォートリエは《人質》という連作を発表する。第一次大戦の従軍体験、第二次大戦のゲシュタポによる拘留体験などに裏打ちされた作品群は、すべて人間の頭部だけを描くことによって表現されている。
 エティエンヌ・ダヴィドは、次のように解説している。「40余点の「人質」連作では、片方あるいは両方の目が、鼻が、口の一部が、さらには顔面の半分が欠けた、傷ついた頭部が公然と晒されている。戦争の悲劇的な苦痛の中で、顔によって象徴化された人間は匿名の存在となっている」 [3]

 《人質No.3》は、鼻だけを含む輪郭だけの顔で、目や耳や口は描かれていない。《人質》は顔の半分が毀損されている。

【左】《人質(人質の頭部No.9)》1944年、グワッシュ他、石膏、紙(カンヴァスで裏打ち)、
73×60cm、大原美術館 (図録、p. 100)。

【右】《人質の頭部》1944年、油彩、顔料、紙(カンヴァスで裏打ち)、64×54cm、
国立国際美術館 (図録、p. 103)。

 全連作で確認することはできないが、展示されているかぎりにおいて、「人質」連作は、背景に描かれた顔の輪郭の中に白いマチエールの厚塗りで描かれるという共通点がある。《人質(人質の頭部No.9)》もまたその例に洩れないが、白い絵の具の上に薄く異なった輪郭線が描かれている。地の輪郭線の近くには複数の線で、離れている輪郭ははっきりとした線で描かれている。厚塗り部分の実在の一人の顔は、それに連なる同じ運命を辿って死んだ無数の顔たちを代表しているかのようだ。
 《人質の頭部》の複数性は、《人質(人質の頭部No.9)》のそれとは異なっている。地の輪郭線の中に厚塗りの顔が描かれるが、さらにその内側に二段の厚塗りで異なった顔が描かれるという構造になっていて、最上部の顔の目は失われている。

 フォートリエの頭部だけの「人質」像は、あたかもエマニュエル・レヴィナスの倫理哲学が〈顔〉から出発し、〈顔〉によって語られたことと呼応しているような気がしてならない。
 レヴィナスによれば、他者の「顔」は一挙に全面的に〈私〉に関わってくる。〈私〉を見つめる他者の〈顔〉によって、私は直ちに他者に対して責務を負う立場となり、他者に対して有責となるというのだ。責務を負い、罪あるものとして〈私〉は他者に対して振る舞わなければならない。ジャック・デリダは、「レヴィナスの倫理はすでに宗教なのだ」 [4] と述べたほど、レヴィナスの倫理は徹底している。
 《人質》の〈顔〉と対面して、あるいはその〈顔〉に連なる無数の他者(あるいは死者)に対して、私(たち)は有責である。世界大戦を生き残った私(たち)は有責である。この世界が新しい人質を生み出し続けていることにおいて、私(たち)は有責である。そう語っているのではあるまいか。倫理が試されているかのように……。

《永遠の幸福》1958年、油彩、紙(カンヴァスで裏打ち)、89.4×146cm、
大阪新美術館建設準備室 (図録、p. 135)。


《小さな心臓》1962年、油彩、紙(カンヴァスで裏打ち)、81×116cm、個人蔵 (図録、p. 153)。

 《永遠の幸福》は、「アンフォルメル(不定形)」と称されるフォートリエ絵画のひとつの典型である。薄く塗られた紙(カンヴァス)の中心に厚塗りでマチエールが置かれる。《永遠の幸福》という観念的なタイトルが珍しくてここに挙げたが、普通はごく具体的な主題をアンフォルメルに表現するというスタイルである。
 《小さな心臓》も青い薄地の上に不定形化した心臓(たぶん)が描かれる。ただ、観者としての私には、それが「小さな心臓」や「永遠の幸福」でなくても絵画として十分に楽しめるのである。《無題》と命名された抽象画を楽しめるように楽しめるというのは、フォートリエが語る「現実の一部を含んでいなければ感動を与えることはできない」ということと矛盾するのだろうか。あるいは、抽象というのは人間が生きる現実や人間が想像しうる世界からの抽象化としてあるがゆえに、優れた抽象は現実を内包しているということであろうか。判然とした答えを私はまだ持たないが、答えが出なくても、単なる観者の楽しみは変わらない。けれども、それはそれなりに気になるのだ。


[1]『ジャン・フォートリエ展』(以下、図録)(東京新聞、20144年)。
[2] 山梨俊夫「絵画の現実性(レアリテ)を求めて――フォートリエの軌跡」図録、p. 19。
[3] エティエンヌ・ダヴィド「厚塗りから「人質」へ(1938-1945年)」図録、p. 83。
[4] ジャック・デリダ(広瀬浩司、林好雄訳)『死を与える』(筑摩書房、2004年) p. 173。



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