原発で今現在働いている従業員は、1000名を超します。過酷な環境で、日本のために危険な作業に従事しています。
現在、緊急被ばく医療を中心に仕事をしていますが、原発で働いている方がけがをしたり病気になったときに、通常の病院では被ばくしていることが原因で、診察を拒否されたりしますので、この被ばく傷病者の治療を行うことを行っています。
震災の前には、ただの放射線治療医でしたが、震災の後、突然、緊急被ばく医療担当医としての任務を受けました。何から手をつけたらよいか戸惑っているときに、原爆被爆県である、長崎大学のチームが自分の大学の仕事もなげうって、来福し、システムの立ち上げを進めてくれました。広島大学も、同様に来福されて、緊急被ばく医療のシステム構築に尽力いただきました。
昨日、システム作成に先が見えてきたことと、しばらくレトルトやカップラーメンの生活が続いていたため、市内の飲食店で夕食会を開催することとなりました。
最初は、長崎大学のスタッフと10人程度で予定していましたが、偶然、広島大学のスタッフと会ったため、急遽増員で夕食を食べました。
福島県立医科大学・長崎大学・広島大学・和歌山大学・埼玉医科大学医療センターが集まったのです。
長崎大学と広島大学は、同じ被ばく県であったため、少しライバル意識があり、なかなか一緒に仕事をすることはなかったそうですが、非常によい雰囲気で食事会ができました。
全国の大学の知恵が集まり、やっとシステムの作成が見えてきました。今後は、このシステムに乗っ取り、誰でも参加できるようにオープンな治療班を作成していく予定です。
少し、休めるかもしれませんが、まだまだやることが山積みで、参っています。通常の診療も、始まってきていますので、部下の先生たちに負荷がかかってきています。すべてが、うまくいっているわけではないのですが、最初の段階が終了し、新しい展開になってきます。
現在、緊急被ばく医療を中心に仕事をしていますが、原発で働いている方がけがをしたり病気になったときに、通常の病院では被ばくしていることが原因で、診察を拒否されたりしますので、この被ばく傷病者の治療を行うことを行っています。
震災の前には、ただの放射線治療医でしたが、震災の後、突然、緊急被ばく医療担当医としての任務を受けました。何から手をつけたらよいか戸惑っているときに、原爆被爆県である、長崎大学のチームが自分の大学の仕事もなげうって、来福し、システムの立ち上げを進めてくれました。広島大学も、同様に来福されて、緊急被ばく医療のシステム構築に尽力いただきました。
昨日、システム作成に先が見えてきたことと、しばらくレトルトやカップラーメンの生活が続いていたため、市内の飲食店で夕食会を開催することとなりました。
最初は、長崎大学のスタッフと10人程度で予定していましたが、偶然、広島大学のスタッフと会ったため、急遽増員で夕食を食べました。
福島県立医科大学・長崎大学・広島大学・和歌山大学・埼玉医科大学医療センターが集まったのです。
長崎大学と広島大学は、同じ被ばく県であったため、少しライバル意識があり、なかなか一緒に仕事をすることはなかったそうですが、非常によい雰囲気で食事会ができました。
全国の大学の知恵が集まり、やっとシステムの作成が見えてきました。今後は、このシステムに乗っ取り、誰でも参加できるようにオープンな治療班を作成していく予定です。
少し、休めるかもしれませんが、まだまだやることが山積みで、参っています。通常の診療も、始まってきていますので、部下の先生たちに負荷がかかってきています。すべてが、うまくいっているわけではないのですが、最初の段階が終了し、新しい展開になってきます。
福島は、大変な暑さとなっています。
肝臓にとって暑さは、なかなかの大敵です。
移植前は、夏の暑さがすごく苦痛であったような記憶があります。
移植後は、少し楽になったかもしれません。
今年の夏は、体調管理をしっかりしてがんばりたいと思います。
講演会も、無事終了しましたが、本日は、国のお偉いさんが多数見学にきます。
野党のようですので、情報収集にでもくるのだと思います。
利用されないように適当に対応します。
あまりやせずぎも、体に良くないので、バランスよくゆっくりと減量されてください。
今、岩手の盛岡です。
放射線科医の北日本地方会に参加しています。
明日、お昼の講演をしなければならず、突貫工事で原稿を書き上げています。
しんどいのですが、今回の震災を皆さんにお伝えしなくてはならないので、がんばります。
まゆさんも、がんばってください。
あんまり泣いてばかりいると、枕にキノコが生えてきますよ!
でも、感情を押し込めないで、表に出すのも体にいいようですので、泣きたいときには、悲しいDVDを借りてきて思いっきり泣くのもいいみたいです。
ゆっくりやっていきましょう。
切羽詰まっていますね?
少し余裕もって、いかないといっぱいいっぱいになってしまいます。
8割ぐらいで生活してください。
まゆの落ち込みは そうでした・・・自分のせいで出来なかったらどうしようかと自分を責めていました。 移植に向けて3カ月経って 焦りと不安が限界に来たようでした。 ひさ様の言葉にちょっと安心しました。また頑張れそうです。 きっとうまくいくと信じて食事療法と運動を続けていきます。ひさ様ありがとうございましたm(__)m
うちの兄も、移植前に高コレステロール血症があり、脂肪肝の場合には移植できませんといわれていました。
こんな場合には、ドナーさんが自分を責めてしまって、関係がうまくいかなくなってしまうことがあるそうですので、辛抱の時ですね。
自分のためにもなりますので、今はうまくいくことをイメージして、バランスの良い食事をしていくことだけだと思いますので、辛抱です。
肝臓がんに対する、移植医療の基準はミラノ基準により適応判断がされていましたが、診断方法の進歩などにより10個以上の転移でも移植を行っている施設もあります。
しかし、遠隔転移やリンパ節転移を有している段階で病変は全身化していると判断されます。移植後には免疫抑制剤を長期に内服しなければならないことを考えると、腫瘍が残っていれば手術による侵襲もあわせ、あっという間に病変が広まってしまうようです。
主治医の先生の判断もありますので、主治医との相談が必要です。
私も移植後まもなくに腫瘍マーカーが急増し、再発が疑われました、兄に申し訳なく落ち込んでいましたが、幸い腸管細菌の定着の問題であり再発でなかったということがあります。
家族への思いが強い場合には、治療を受けることが最大の目的となってしまうときがありますので、こんな時ほど冷静な判断が必要かと思います。
ダイエット大変と思いますが、時間があるようなのでじっくりと取り組んでください。
しかし、移植には体力も必要ですので、無理なダイエットだけはしないでくださいね。
肝臓によい食事は何かといわれると・・・・ですが。やはりバランスにつきることと、おいしくいただくことだと思います。
night meal(寝る前の食事)がよいと主治医にいわれたことがありますが、ダイエットとは反対のことになると思いますので、何ともいえません・・。
突然失礼致します。
すがる様な気持ちで質問させて頂きます。
私の父が現在、原発性肝癌を煩っており、数が多いとの事で塞栓療法という
治療を続けております。
1度目の塞栓では経過はまずまずとの事でしたが、先日2度目の塞栓の結果、
数も最初に近い数に戻り、またリンパに転移してしまいました。
病院の方向としては、肝癌に関してはこのまま塞栓を続け、リンパの方の治療に
抗がん剤(飲み薬で皮膚に強い副作用が出るとの事)を処方するとの事です。
私は医学には素人ですが、塞栓を続けると苦しんだ癌細胞が行き場を探し、
今後、肺やその他の臓器に転移をする可能性が高くなる気がしてなりません。
もし現段階で生体肝移植を受けて、リンパの癌を摘出する事が可能であれば。
現状の父にとって最高の治療となると思うのですが、可能でしょうか?
是非教えて頂けたら,助かります。
宜しくお願い致します。
私は広島大学で移植予定ですし 前にお話ししたように主人は被爆二世なので原発には少しだけ敏感です。被爆された方が心ない差別など受けることないようにと願っております。
話は変わりますが、私たちは夫婦はダイエットを始めています。ただ肝臓が無理な食事ダイエットすると飢餓状態になるようで バランスを考えながらが難しいですね 秋までに20キロはハードルが高いですが目標があるので頑張ります。私は肝臓が元気に大きくなる方法はないものかとささ身と野菜をいれた具沢山のスープ作って食べておりますがどうなんでしょうかねぇ(笑い)何か良い方法があったら教えてください 癌が発症して4年余り 泣くことが多かったまゆですが 移植に向かって心配は多いけど少しだけ癌の恐怖から今、解放されています。ドナーになれなかったらショックだろうと思いますが 神様がくれた休憩時間と思うことにしました。ひさ様お身体大切になさってご活躍くださいね ひさ様被爆の方たちのためにお仕事してくださってありがとうございます。
医療の現場でも、一番つらい患者さんが、がんばっているのに”がんばれ”といわれるのに違和感を感じるのと一緒だと思います。
これ以上何をがんばればよいのかと、少し腹立たしくなることがありました。
私より重い病気の体験あった同級生が、移植後のつらいときに”大丈夫!まだまだつらいことがあるから!あきらめた頃に、光がみえてくるよ”といわれ、”またーっ、嘘でしょ?”と返したことがありましたが、一番励まされた言葉になりました。
しんどい時を乗り越えた人にしか言えないアドバイスだったと深く記憶に残っています。
まだまだ、しんどい状況が続くと思いますが、光がみえるまで、もうちょっとがんばってみます。
被災された方はもう充分過ぎるぐらい頑張っていて、また、頑張りたくても頑張れない人も多いと思うからです。
これから頑張らないといけないのは、震災の影響をあまり受けなかった人たちですよね。
そんな中、ひささんは震災直後から、嘘の様な状況に置かれ頑張ってきたんですから、これからはご自分の身体をいたわってくださいね。
まだまだやらなければならない事は多いのでしょうが、ひささんの調子が悪くなっては元も子もありません。
福島は「フクシマ」として諸外国に有名になってしまいましたが、宮城とともに住みやすい街としては有名ですから、一刻も早く問題が解決して、少しでも以前の景勝を取り戻して、世界の「福島」として立ち直ってくれることを祈っています。
それにしても、福島に、地震が発生して、津波に見舞われ、原発事故が起こって、放射能問題があり、そこに、放射線医師として、そして移植で救命されたひささんが居る、なんだか運命というか、神様のいたずらというか、なんとも言えないものを感じています。