先週の日曜日、ベビーのお宮参りで近所の百済王神社に行って来ました。
(大むかし朝鮮半島にいた百済の王族がやってきて住んでたらしいです、この辺りは。)
ご祈祷ってやつをやってもらったんだけど、あれって不思議な感じよね。
みんなそろって祭壇(って言うの?)の方に向かって座って、宮司さんがナンタラカンタラ言うのをじーっと聞いてる。
頭の上で鈴を「しゃんしゃんしゃん」ってふったり、あのはたきみたいな棒の先に短冊みたいのがたくさんぶら下がってるやつを「ばっさばっさばっさ」とふったりして、それをじっとうつむいて聞いてるわけ。
「神様にお守りくださいという気持ちでお祈りしてください」なんて言われて、一応心の中で唱えたりして。
ひろきちは無宗教だし、占いとか迷信とかも信じないタチなんだけど、この日本古来の神道っていうのは日本人の自然界に対する姿勢として心地悪いもんではないな、と祭壇の向こうの林を見ながら思った。自然の力とか運命とか自分たちの力ではどうにもならないもの(これを「神」という存在に置き換えていると思っているんだけど)に対して、自分たちの無力さを完全に認めてるわけだ。で、どうか災いに遭わずに平和に暮らしていけますようにと実体があるわけでもないんだけどその「神」らしき存在に頭を下げてじっと祈るんだな。
この儀式がキリスト教なんかの一神教のような「絶対善」に忠誠を誓うというやり方と違って、八百万の神=自然界に対する謙虚な姿勢という意味で清々しさを覚えるわけだ。もののけ姫の世界観だな、と思う。
年をとったからなのかな?
(大むかし朝鮮半島にいた百済の王族がやってきて住んでたらしいです、この辺りは。)
ご祈祷ってやつをやってもらったんだけど、あれって不思議な感じよね。
みんなそろって祭壇(って言うの?)の方に向かって座って、宮司さんがナンタラカンタラ言うのをじーっと聞いてる。
頭の上で鈴を「しゃんしゃんしゃん」ってふったり、あのはたきみたいな棒の先に短冊みたいのがたくさんぶら下がってるやつを「ばっさばっさばっさ」とふったりして、それをじっとうつむいて聞いてるわけ。
「神様にお守りくださいという気持ちでお祈りしてください」なんて言われて、一応心の中で唱えたりして。
ひろきちは無宗教だし、占いとか迷信とかも信じないタチなんだけど、この日本古来の神道っていうのは日本人の自然界に対する姿勢として心地悪いもんではないな、と祭壇の向こうの林を見ながら思った。自然の力とか運命とか自分たちの力ではどうにもならないもの(これを「神」という存在に置き換えていると思っているんだけど)に対して、自分たちの無力さを完全に認めてるわけだ。で、どうか災いに遭わずに平和に暮らしていけますようにと実体があるわけでもないんだけどその「神」らしき存在に頭を下げてじっと祈るんだな。
この儀式がキリスト教なんかの一神教のような「絶対善」に忠誠を誓うというやり方と違って、八百万の神=自然界に対する謙虚な姿勢という意味で清々しさを覚えるわけだ。もののけ姫の世界観だな、と思う。
年をとったからなのかな?
私、巫女のバイトしてたので、神道について学ぶ機会があったり、このユタという宗教色の強ーい所に住むこともあって、色々思うところがあったりします。
ひろきちさんの読んで、同感だなぁ~と思いました。
そのあたりの話もぜひ今度紹介してください。
とても興味があります。
そういえば熊野古道も自然崇拝からその歴史が始まってますよね。
修験道の山岳信仰もやっぱり神仏と自然を融合したものです。
このあたり一度勉強してみたら面白いかもしれません。