平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1173 何よりも「対話」

2018-06-13 09:51:14 | 日記
       平和への希い1173 戦後73年 
     何よりも「対話」 2018.6.13.
昨日、歴史的な米朝首脳会談が行われ、世界の耳目はシンガポールに注がれた。
会談結果について、関係各国政府は、自国益に都合よいように喧伝し、マスコミは、「北朝鮮の完全な非核化」
について具体的な成果は無く、結局、北朝鮮は、時間稼ぎ、経済制裁解除という美味しいところ取りに成功した
のではないか、単なる政治ショーだった、と皮肉る向きも多い。
でも、
一触即発の危険を伴う威嚇合戦よりは、「対話」の方が、平和に近いことは間違いない。
「対話」が続いている限り、武力衝突の危険は小さい。
国際連盟を脱退し、「対話」の土俵を降りた日本が辿った戦争への道を思えば、いかなる論評があっても、
「何よりも、先ず、対話」こそが、平和的解決の決め手だと思います。
最悪の人災である「戦争」で、敵国を叩きのめす、降参、和平会議という、人類発生以来取ってきたステップが
どれほど多くの命と生活を奪って来たか。
中東での武力衝突も、宗教対立も、テロ集団とのモグラタタキ等も、武力制圧によって決着出来るのでしょうか。
武力抗争で疲れ果て、最後には、不承不承でも必ず「話し合いで」決着するのです。
それだったら、最初から、話し合いで武力抗争を避けることが、どれほど、人類の将来に光明となるか。
憲法9条の「武力による紛争解決はしない」という高邁な理想に、人類は思いを馳せるべきだと思うのです。
ウォーキング中に出会った花々です。

6月13日、「今日は何の日カレンダー」より
鉄人の日、
▲羽柴秀吉、京都山崎で明智光秀破る(山崎の戦い)。光秀は大津への途中、農民の襲撃で絶命。光秀55歳(1582)
▲日本人初の太平洋横断に出航(1610)▲本居宣長『古事記伝』完成(1798)▲築地小劇場開場(1924)▲細菌学者で
慶應義塾大学医学部創設者の北里柴三郎没(1931)▲太宰治が29歳の愛人の山崎富栄と玉川上水に入水自殺38歳。
死体の発見された6月19日は“桜桃忌”(1948)▲「ニューヨーク・タイムズ」、ベトナム戦争の「秘密報告書」を
暴露(1971)▲新自由クラブ結成。河野洋平を代表(1976)▲広島東洋カープの衣笠祥雄、2131試合連続出場の世界
新記録達成(1987)▲アメリカンフットボールの黒人ヒーローの0.J.シンプソンの前妻ニールとその男友達が
シンプソン自宅前でナイフで喉などを切られて死んでいるのが見つかる(1994)

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