平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い85 長崎70年目の「原爆の日」

2015-08-10 10:02:38 | 日記
平和の希い85 戦後70年 
     長崎、戦後70年目の「原爆の日」

長崎の原爆死没者が16万8767人になった。殆どの方々は、子供達を含む一般市民である。一瞬のうちに未来を失った方々。

ポツダム宣言をもっと早く受諾していたら・・・・と悔しい。
無謀な戦争を引き起こした張本人達が、無知蒙昧のうちに時間を空費し、敗戦明白の状況を理解しながら「一億玉砕」を叫ぶ愚かさ。
終戦記念日に合わせ、終戦の舞台裏が報道されると、結果論とは言え、無念の一言。

ウキペディアフリー百科事典によると、

7月27日、日本政府は宣言の存在を論評なしに公表した。ところが翌28日の新聞報道では、読売新聞で「笑止、対日降伏条件」、毎日新聞で「笑止! 米英蒋[30]共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などという新聞社による論評が加えられていた。また陸軍からは政府が宣言を無視することを公式に表明するべきであるという強硬な要求が行われ[28]、同日、首相鈴木貫太郎は記者会見で「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し断固戦争完遂に邁進する」(毎日新聞、1945年(昭和20年)7月29日)と述べ(記事見出しは全て現代式表記・仮名使いに修正)、翌日朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道された(産経新聞は1950年創刊でこの当時は存在しない)。この「黙殺 (Mokusatsu) 」は日本の国家代表通信社である同盟通信社では「ignore it entirely(全面的に無視)」と翻訳され、またロイターとAP通信では「Reject(拒否)」と訳され報道された。東郷は鈴木の発言が閣議決定違反であると抗議している[28]。なお、ラジオ・トウキョウがどのように応えたかは確認されていない

自分たちの失態を認められない軍部の立場は、許すことは出来ないが、反対せざるをえなかった。
許せないのは、マスメディアの論調だ。この期に及んでも、軍部の鼻息を大事に国民を煽動していることである。
国民は、メディアからの情報しか得られなかったのであるから、責任重大である。

広島、長崎の悲劇は、軍部ファッショと同列にマスメディアの責任が問われてしかるべきである。

マスメディアは安保関連法案でも、安倍総理の鼻息をうかがって、国民にまともな情報提供していないのではないか?と心配になります。

いずれにしても、いったん戦争になると、終戦の落としどころが難しくなるのは、ベトナム・アフガン・中東戦争など、その後の戦争を見ても同じである。
だから、戦争は絶対やってはいけないのである。そのための国連である。抑止力と言って、「武力の競争スパイラル」の地獄に落ちてしまっては、
世界平和を絶対実現できない。

むやみに仮想敵国みたいな論理を展開して「集団的自衛権」を含む安保関連法案を押し通すことは、世界平和を遠くするだけです。
日本は、広島・長崎、終戦記念日など「悲惨で人類にとって無意味な戦争」の事実を見据えて、「武力によらない」世界平和実現をするために
国連を舞台に積極的に努力すべきです。