チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

男のダイエット

2004-08-16 19:06:38 | Weblog
 ダイエットに取組んでいたことをお盆休みの間忘れていた。思い出してすぐサントリーのカテキン式を買いに行き早速500ccのペットボトルを飲み干した。盆休み前の2週間ほど毎日ペットボトルを2本飲み、体重が2.0kg減っていたのを盆休みでしっかり取り戻し貯金までできてしまった。今日からカテキン式ダイエットのチャレンジを続け、目標としてはとりあえず9月18日時点で2.0kg減量の61.0kgを目指す。もし、この体重になりそうになければ、最終日にサウナに通い、食事も減らして維持でも61.0kgに減らすチャレンジをする。

 サントリーのカテキン式ダイエットは私の周りで密かなブームになっている。私に効果が現れたことを知った人達が「私もやってみよう」と取組んでいる。
 お茶のダイエットといえば特定保健用食品に指定されている花王のヘルシア緑茶が有名だ。私も、友人のスタイリストのユカさんから「友達のモデルの子がヘルシア緑茶飲んで、お腹の肉がすっきりしたよ」という話を聞いて以来ヘルシア緑茶に関心を持った。そこで、ヘルシア緑茶を買いに近くのスーパーに行き、サントリーのカテキン式を見つけた。アバウトな性格の私は、ヘルシア緑茶とサントリーのカテキン式を混同し、その日からサントリーのカテキン式をヘルシア緑茶と思いこんでダイエットに取組んだ。
 あまりきれいな話ではないが、私の場合カテキン式を飲むと直ぐにトイレに行きたくなり、飲んだ以上に水分が出るような気がする。「きっと水分と一緒に身体の脂肪分も溶かしているからだろう」と勝手に思い込み、それからカテキン式ダイエットを続けるようになった。
 カテキン式が私になぜ効くのかはわからない。また、水分が多くでるのがダイエット効果と関係があるのかは、インターネットでいろいろと検索してみるものの、そのような内容にヒットしないので、本当のところはどうなのかはわからない。でも、とにかく効果は出ているように思われるので、来月まで続けてみる。



大型バイクで気持ちよく走る

2004-08-15 19:39:08 | Weblog
 愛車の大型バイクYAMAHA T-MAX(500cc)で、近くの山道を走ってきた。道全体が木々におおわれた気持ちの良いこの山道は、飛ばせば走りきるのに10分もかからない。1回走って気持ち良かったのでUターンして逆のルートを走った。2度目もとても気持ちが良い。もう一回走りたくなってUターンしてまた走った。まだ気持ちがよいのでもう一度走る。このことを何度繰り返したのか、気がつけば1時間半も走っていた。狭い山道で、こけると危ないなと思いながら最初は走っていたが、最後の方にはこけることは頭にない。気持ちよく走ることだけが頭にあった。T-MAXに乗り換えて初めて気持ちのよい走りをしたいと思い、自分なりに走りきったチャレンジだった。
 
 考えてみれば、大型二輪免許を取ったのも、T-MAXを買ったのも、思いつきのチャレンジだった。
 大型二輪免許は大学生時代に試験場受験したが、いい線までいくものの今一歩のところで合格せず、受験10回でそれ以降受験しなかった。当時は大型二輪免許は教習所でとることができず、免許は残念ながらあきらめざるを得なかった。
 一度はあきらめた大型二輪免許だったが、その後自動車教習所で免許がとれるように制度が変更された後は、いつかは免許をとりたいものだと思っていたが、教習所に行く時間がとれなかった。それが今年のゴールデンウイークの初日の朝にふと免許のことが頭にうかび、「この休み中にとれないものか」と思い、教習所に電話しその日の午前中に入校、午後には教習所のコースを走っていた。
 その後は1週間教習所に通いつめ、執念のストレート合格を果たした。一方で、普段の足に使っていたYAMAHA MAJESTY250ccはとても便利なバイクだったため乗り換えは全く考えていなかった。このため運転免許センターでの免許取得手続きも、教習を終了してから1月以上行かなかった。
 6月に入りけじめをつけようと免許センターに行き免許を取得しても、何も行動はおこさなかった。ところが7月に入ったある朝、新聞広告にバイク屋の広告を見つけ、なんとなくその店に行ってT-MAXに出会った。一目で気に入ってしまい、その場で注文してしまった。
 
 このような思いつきのチャレンジではあったが、この思いつきのチャレンジがないと、今日のチャレンジは起こらなかった。「チャレンジは連鎖する」「はじめの第一歩を踏み出すことが重要だ!」だ、心の中に秘めているチャレンジに踏み出さない自分自身に言ってみた。

700kmのドライブ

2004-08-14 13:27:15 | Weblog
 記念すべきブログ第1日目のチャレンジは久しぶりの700kmのロングドライブ。
 広島から長野県霧が峰高原までの片道700kmを往復した。元々運転するのは嫌いではなく、ドイツ、ベルギーに駐在していたころは、ドイツデュッセルドルフ⇔パリ間片道500km、往復1,000kmを日帰りでドライブすることもあったし、週末には日帰りで500km以上ドライブすることが普通だった。また、6年前に同じように霧が峰までドライブしことがあるが、それ以来長距離ドライブからは遠ざかっていた。
 夏になると霧が峰に行きたいと思いながらもなかなか実現できなかったチャレンジだった。途中睡魔に襲われることもあったが、好みの「午後の紅茶」を飲みながら、事故もなく、ねずみ取りにもひっかかることなく無事にドライブをし終えた。

 6年ぶりの霧が峰高原には以前と変わらないものがあった。まずは爽やかな空気。霧が峰高原は標高が1,600mあるため気温は20℃代の前半、吹く風も爽やかでエアコンは不用。夏の陽射しの下でも汗をかくことがほとんどない。朝夕は長袖が欲しくなるくらいの気候で夜はぐっすりと眠ることができた。
 そして3日間の宿となる霧が峰池のクルミのロベンドヒュッテからの景色。霧が峰に来た時の泊りはいつもここだが、ロベンドヒュッテからは隣接する1週2kmほどの天然記念物に指定されている踊り場湿原、そしてその先には車山や蓼科山が見える。人工の建造物が視界の中にほとんどなく、そして山の中だというのに高い木々もなく視界が開けている。耳をすましても聞こえてくるのは、ときおり高原を走る風がゆらす草花のゆれる音と鳥のさえずり。自然以外の音はほとんど聞こえない。

 ロベンドヒュッテの人たちも変わらない。宿のご主人は、先代のまさ子さんから息子のリュウさんナナコさん夫婦に代わったが、まさ子さんのころと同様にお客様をもてなす気持ち、霧が峰高原のような爽やかさは変わっていない。
 また避暑に来ていたまさ子さんにも会うことができた。まさ子さんは、初めてお会いした21年前と同様に素敵な方だった。たまたまお会いすることができた、まさ子さんの娘さんのミカさん夫妻のミカさんだけはしっかりと大人の女性になっていた。

 ロベンドヒュッテには1983年夏に5週間アルバイトをさせてもらったが、ここに来ると当時の記憶を思いだす。当時は、オーナーのまさ子さんが女手一つで宿を切り盛りし、それを私ともう一人のアルバイトのハラちゃんが手伝っていた。
 ここでは、アルバイトはいろいろな宿の仕事を全てする。まさ子さんは、いつも明るく私に接し、宿の仕事を教えてくれ、またお客様の中に入っていき、お客様と一緒に楽しむことを身をもって教えてくれた。まさ子さんの2人の子供達、リュウ君とミカちゃんは、中学生と小学生。リュウ君とは毎日のように将棋をしたが一度も勝てたことが無かった。賢くて素朴で、家族想いの気持ちの優しい少年だった。ミカちゃんは、テレ屋であまり話しをしてくれなかったが、たまにピアノを聞かせてくれた。リチャードクレイダーマンの「渚のセレナーデ」の響きは今でも頭の中に残っている。
 夏の間中、ほとんど満室の日が続き、いろいろなお客様と知り合いになれた。今回と同じ丁度この時期、甲南大学の天文学同好会が星空観測の合宿に来た時には、同じ大学生ということで、夜には一緒に星空観測をさせてもらった。誰もいない高原の広場にシートを敷いて皆で寝転んで星空を眺めた。ペルセウス流星群が地球に接近する時期にあたり、1時間ほどの間に大きな流星が数十個流れた。(今回も幸いなことにこの流星を見ることができた。)天の川も初めて見たし、その他の星座や、星座にまつわる伝説を聞かせてもらった。当時日大生だった神尾さんとそのお友達は、京都に戻ってからもしばしば下宿先に遊びに来てくれた。他にも多くのお客さんと毎晩のように楽器を弾いて歌ったり、ゲームをしたりして楽しんだ。ここにくると21年前の私自身も変わらずにそこにいることに気がついた。