チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

700kmのドライブ

2004-08-14 13:27:15 | Weblog
 記念すべきブログ第1日目のチャレンジは久しぶりの700kmのロングドライブ。
 広島から長野県霧が峰高原までの片道700kmを往復した。元々運転するのは嫌いではなく、ドイツ、ベルギーに駐在していたころは、ドイツデュッセルドルフ⇔パリ間片道500km、往復1,000kmを日帰りでドライブすることもあったし、週末には日帰りで500km以上ドライブすることが普通だった。また、6年前に同じように霧が峰までドライブしことがあるが、それ以来長距離ドライブからは遠ざかっていた。
 夏になると霧が峰に行きたいと思いながらもなかなか実現できなかったチャレンジだった。途中睡魔に襲われることもあったが、好みの「午後の紅茶」を飲みながら、事故もなく、ねずみ取りにもひっかかることなく無事にドライブをし終えた。

 6年ぶりの霧が峰高原には以前と変わらないものがあった。まずは爽やかな空気。霧が峰高原は標高が1,600mあるため気温は20℃代の前半、吹く風も爽やかでエアコンは不用。夏の陽射しの下でも汗をかくことがほとんどない。朝夕は長袖が欲しくなるくらいの気候で夜はぐっすりと眠ることができた。
 そして3日間の宿となる霧が峰池のクルミのロベンドヒュッテからの景色。霧が峰に来た時の泊りはいつもここだが、ロベンドヒュッテからは隣接する1週2kmほどの天然記念物に指定されている踊り場湿原、そしてその先には車山や蓼科山が見える。人工の建造物が視界の中にほとんどなく、そして山の中だというのに高い木々もなく視界が開けている。耳をすましても聞こえてくるのは、ときおり高原を走る風がゆらす草花のゆれる音と鳥のさえずり。自然以外の音はほとんど聞こえない。

 ロベンドヒュッテの人たちも変わらない。宿のご主人は、先代のまさ子さんから息子のリュウさんナナコさん夫婦に代わったが、まさ子さんのころと同様にお客様をもてなす気持ち、霧が峰高原のような爽やかさは変わっていない。
 また避暑に来ていたまさ子さんにも会うことができた。まさ子さんは、初めてお会いした21年前と同様に素敵な方だった。たまたまお会いすることができた、まさ子さんの娘さんのミカさん夫妻のミカさんだけはしっかりと大人の女性になっていた。

 ロベンドヒュッテには1983年夏に5週間アルバイトをさせてもらったが、ここに来ると当時の記憶を思いだす。当時は、オーナーのまさ子さんが女手一つで宿を切り盛りし、それを私ともう一人のアルバイトのハラちゃんが手伝っていた。
 ここでは、アルバイトはいろいろな宿の仕事を全てする。まさ子さんは、いつも明るく私に接し、宿の仕事を教えてくれ、またお客様の中に入っていき、お客様と一緒に楽しむことを身をもって教えてくれた。まさ子さんの2人の子供達、リュウ君とミカちゃんは、中学生と小学生。リュウ君とは毎日のように将棋をしたが一度も勝てたことが無かった。賢くて素朴で、家族想いの気持ちの優しい少年だった。ミカちゃんは、テレ屋であまり話しをしてくれなかったが、たまにピアノを聞かせてくれた。リチャードクレイダーマンの「渚のセレナーデ」の響きは今でも頭の中に残っている。
 夏の間中、ほとんど満室の日が続き、いろいろなお客様と知り合いになれた。今回と同じ丁度この時期、甲南大学の天文学同好会が星空観測の合宿に来た時には、同じ大学生ということで、夜には一緒に星空観測をさせてもらった。誰もいない高原の広場にシートを敷いて皆で寝転んで星空を眺めた。ペルセウス流星群が地球に接近する時期にあたり、1時間ほどの間に大きな流星が数十個流れた。(今回も幸いなことにこの流星を見ることができた。)天の川も初めて見たし、その他の星座や、星座にまつわる伝説を聞かせてもらった。当時日大生だった神尾さんとそのお友達は、京都に戻ってからもしばしば下宿先に遊びに来てくれた。他にも多くのお客さんと毎晩のように楽器を弾いて歌ったり、ゲームをしたりして楽しんだ。ここにくると21年前の私自身も変わらずにそこにいることに気がついた。